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待ってて、今行くからね

あけましておめでとうございます。
このブログはおそらく
夜の海を漂って
誰も知らない海の底に沈んでいるので
おそらく誰も知らない場所なんだと思います。
むしろ書いてる本人もそうあってほしいと願っています。
だって、こんなこと現実で言っていたらさ、
みんな多分びっくりするでしょう。

なんだかね。
いつもとりとめもないことや夢みがちなことばかり書いているけれど。

夢みがちな世界を描くことは、幼稚園からきっと変わっていなくて
少しずつ想像力は衰えていくけど、
いつだって思い出す景色があって
それはとても大切なものだと思ってる。
おばあちゃんになっても
そんな景色を思い浮かべていたいなと思うよ


ともあれ。
誰も知らない場所だけど、
私のことを知らない誰かには届いてほしい気持ちや文があったりする。
それもまた不思議なことだなあ。
(最近まで、まあ誰も見てないだろうと思ってたけど、
アクセス解析を見ると、想像の5倍以上に訪問者がいて、
さては裏で誰かが工作しているんではないかと疑ってしまう程です。
本当に訪れてくれている人たちがいるならば、全力でありがとうと言いたい。)



色々とね、話したいことは山ほどあるよ。
まとまりもないけど、話していいかな。
・・・なんて聞いておきながら、勝手に話しちゃうけどね。

例えば、友達の話。

最近考えていたことがある。
友情とはなんぞや。
というようなこと。

年に一度、年末年始に実家に帰省した時に会う友達がいる。
お互い一年に一度しか会わないけれど、距離も変わらず
いつも毎年「この一年どうだった」と一緒に振り返って笑う。
一緒にみかんを食べて、
近況報告を聞いて、って
ただそれだけなんだけど。


ただただ、その時間が愛おしいと思う。

私は、人を大切にする方法がいまいちよくわからない人間で
ずるい感情も、醜い感情もあって、
時々自分が心底大嫌いになる。
自分のことも、うまく愛せない人間だなあと思う。

だけど、その子と話してる時、
私が、幸せだった話とか、嬉しかった話をすると
自分のことみたいに、その子は微笑んでくれる。

今回、帰省して会った時は
「みきは、大学のサークルの話をする時、すごく幸せそうに話すね、好きなのがわかる」
と言ってくれた。
とても優しい言葉だなあと思った。
この子が、
私をずっと昔から知ってくれているんだなあというのが伝わって

私はこの子に出会えて本当に良かったなあと思える。
私も、この子にとってそれくらいいい存在でいれたらいいなと思う。
そのためにも自分を好きになりたいなあと思う。

昔、
「大切なものは、そんなにない」
という歌詞に出会ったことがあって
なんだか、今になってしみじみとその意味がわかる気がする。

大切なものや人はそんなに多くないけど、
でも今持っているその関係や物を、
ずっと大切にしていけたらいいな。

社会人になると、ますます新しい人に出会う機会なんてのも減って
地元も離れているし、疎遠になる旧友だって少なくない。

それでも繋がってくれてる子とは、きっと一生繋がっているんだろう。
大切にしていれば。

。。。
なんか、普通の文章をこうやって書くことも久しぶりで、
まとまりがない気がする・・・
でも書きたかったから書いた!


そして、この年末年始の帰省で、実家から画材一式を一人暮らしの部屋に
持ち帰ってきました。
色を入れた絵を描きたい。
いつまでもずっと絵を描けたらいいな、と思ってる。
そんな感じの年始です。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

夜間飛行

あなたは知っているだろうか
夜の上空
雲の上の
酸素もわずかな場所に眠る城を

いつか青色のベアに連れて行ってもらったことがある
いつだっただろう
思い出せないな

目の前にはオーロラが広がっていて
流れ星がヒュンヒュンと通り過ぎていく
星たちが蛍のように瞬きながら交差する

夜の深い青色は水彩絵の具のような
淡くて優しい色彩を帯びていた

わたしは右手で彼の左手を握って
左手にはお気に入りの傘をさしていた
「上空でうまく風に乗るには傘が必要らしい」
誰かからそんなことを聞いたからだ。

上昇気流に乗ってぐんぐんと私たちは夜の海を泳いだ
深海魚のようにふわりふわりと揺れながら
暖かくてすこし肌寒い風の中を通り抜けた。
時々雲の中へだってすっぽり入って
わたあめのような柔らかさを感じたりした。

そしてわたしはそのとき見たんだ、
まさに天空に浮かぶ城だった。

わたしが言葉も失ってただただ見とれていると
彼は呟いたんだ
「見てごらん、
これはぼくが君に見せたかった景色のひとつだ。
君が夢に描いた世界は
いつだって存在しているだろう。」

得意げに彼が放ったその言葉は
なんだかとても優しい色をしていて
わたしは自然と笑顔になりながら

「ありがとう」

とだけ呟いたんだ

彼の名前も知らないまま
わたしはぎゅっとその手を強く握った。

あれはいつだっただろう
記憶からすこしずつ遠のいていくけど
それでも忘れないよ

君はいつもわたしのそばにいたね

もう一度あのお城が見たいと
何度思ったことだろう

きっとどこかの国の上を今も漂っていて
わたしは見ることができなくても
なくなることなく存在しているだろうって
それはわかるんだ

ねえ、あなたは知っているだろうか

こんな不思議な話を

ああ、

もう一度彼に会えたなら
今度は名前を聞こう

そしてずっと覚えていられるように
何度も彼の名前を呟こう

おやすみ、青色の君

月の海岸

いつも思い出す景色がある。
青草の茂る草原に佇む女の子と、少し肌寒い風。
曇った空の向こうで、太陽の光が差す予感がする。

雲が音を立てて流れる。
肌白の女の子は裸足で地面を踏みしめる。

どこまでもどこまでもその草原は続いてて
遠くには丘が見えるんだ
森もあって、深い青緑が広がっている。

風が女の子の長い髪を揺らす
とても心地いい
白いワンピースの裾が揺れる

そしたらどこからともなく
懐かしくて優しい音楽が流れる

ああ、これはどこかでいつか聴いた曲だ
なんだったっけなあ
とても大好きだった曲だ
なんて考える




そんな景色。

わたしはいつも絵に女の子を登場させてきた。
それは一体誰だったのか
今ならなんとなくわかる。

リリー、
それは君だよ。

君のために今まで絵を描いてきた
君のために今まで言葉を紡いできた

君が笑っているように
君が幸せであるように
いろんなものを残してきたよ

絵の中で
言葉の中で
夢の中で
わたしはずっと君を探し続けてきた

だからこの草原に君はいる
君はわたしを待っているんだろうか
君は何を待っているんだろう

君はわたしを好きでいてくれるかな

リリー

また絵を描くよ
君の絵を描こう。


わたしは月の海岸で
君に幾度も手紙を書いて
ボトルに詰めて海へ流す。


これまでそうやって生きてきた
きっとこれからも変わらない

月の海岸は広い
暗くて少し寒くて
それでも星は綺麗に光っている。
夜の繊細さを感じることができる場所だ


またいつもの言葉で手紙を締めくくるよ
君がいい夢を見れるように


おやすみ、

おやすみ。

うたかた

こんばんは。
久しぶりに覗いてみた。
やっぱり自分の文章が好きだなと思った。
上手いとか、才能があるとかっていうわけではない。
ただ単純に、自分のその頃の感情をまるっきりそのまま文にしたものだから、
パズルみたいにぱちっと当てはまる感覚が嬉しい。
自分が書いた文章なんだから当たり前じゃんと思われるかもしれないけど、
自分の感情をまるっきりそのまま文にする機会なんて、あるようであまり無い気がするよ。
日々の感情はいつも生まれては消えて、それが何億回ももう繰り返されてるわけだ。
ずっと覚えているつもりでいても、自然とその時の感情は忘却の淵へ追いやられる。
忘れてしまったことさえ忘れてしまう。
だからこそ文にして残すことが大事。
このぴったりはまるっていうのは、例えで言うと、どこかのアーティストの曲や歌詞を聴いて、「この曲は自分の気持ちを代弁してくれている」と思う、あの感覚に似ているかな。
遠のいていく記憶の中のわたしは、わたしでいてわたしではない。
本体のわたしの記憶から切り離されて、「わたしの知っていた人」になる。
だからこそ、そのわたしの知っていた人が書いた文章っていうのは、自分ではない誰かが書いているような感覚がある。
それでもその子は、わたしのことを一番よく知っているし、わたしもその子のことを一番よく知っていて、時間軸を超えた親友みたいな位置にいるんだよ。
それってなかなかすてきじゃないかい。
今夜はそんなことを考えながら寝よう。

おやすみ。

avec l'eloignement

Je t'ai aimé de tout mon coeur,
et peut être que je t'aime encore maintenat.

いつか忘れる時が来てしまう

いつか全て忘れる時が
きっと来てしまうから、

僕たちは

大声で泣かなければ

感情を全て放出せよ





君を全力で抱きしめたら

僕が君になればいいのにね



おやすみ