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詰まった排水口



入口は広く、出口は狭い

たくさんはいって来れるのに、少しずつしか出ない

僕の排水口は詰まってしまったよ。

沢山の汚れが押し寄せて、排水溝に溜まって、固まっているんだ


今にも溢れてしまいそう




でも、ちょっとした刺激で汚れがとれて


少しずつだけれど、溜まったものが流れ始めたよ。



これでまたしばらくは詰まらない。溢れない



でも、これでいいのだろうか?

今は堆積物の山に小さな穴が空いて、そこから細々と流れているだけ。


根本的な解決にはなっていないもの。

これでいいのだろうか?


僕の狭い排水口でも、もうすこし勢い良く流し出せるんじゃなかろうか?




今はその場しのぎの一時しのぎ、
騙し騙し耐えるしかないのかな。



きっとそうだろう


少なくとも半年は。いや、きっと年単位になってしまう。



いや、それまでのあいだに溢れてしまうかもしれない
だってまたすぐに詰まってしまうもの。








ぼくのきもち。


でも小さな穴でも、あいたのだから


今日はよしとしよう。


もともと長期戦なのだから

いまはこれでいいんだ。







足場には細い綱。

頭を支えるは、首の皮一枚だけ。






今日は楽しかった。
まだ残った堆積物が、ときどき心を濁らせたけど

でも、楽しかった。

久々に日程が合ったので遊びに行って。

お弁当は僕持参。
鮭が食べたいってずっと聞いてたから鮭たくさん使いました。
なかなかおいしかったです。

…俺は理想的なカノジョか!

おいしいパスタ作ったおまえか!

つまり湘南之…やっぱいいや



唯一失敗したのは、
味噌野菜にした鮭が
塩鮭だったということかorz
それもよりによって塩濃かったしww
てへっ(ノω`*)☆
まぁベタなドジ踏んで
味噌炒めが保存食みたいになっちゃったけど
お弁当箱に詰めたら水気である程度緩和されました←

こんどは上手に作ろう。



でもほかはおいしかった!

鮭ハラスの唐揚げと、
作り置きだけど、鮭とタマネギのリゾットとか他にも

いつもよりおいしくできたのは気の所為かしら。

ぼくは料理が趣味なのです。
上手に出来たらうれしい
おいしく食べてくれたらうれしい。
もこみち目指して…はないけど。





綱渡りはまだ終わらない

綱渡りの日々




足場は細い綱。

首は皮一枚で繋がってる。


綱から落ちなくてもいいんだ
少しバランスを崩しただけで首が落ちる



いまは毎日がそれくらい緊張してる。


でも
今日のための綱渡りなんだよね。
今日を毎日にするための綱渡りだもの

だからせめて今日を目一杯楽しまなきゃ。


おべんと作ってあそびにいきます

りだつ



うちで飼ってたハムスターが死んだ

というより妹が飼ってたやつ

小学生のがきんちょが
わーわー泣いてる


なんていうんだろう
何とも言い難い気持ちだな。


慰めの言葉も
なにも思いつかん

ちっさいガキに
僕の理屈臭い励ましが
伝わるわけがないもん


心から言葉を発せないって
我ながら情けないな。



ちょっと種類さえ違えば、


餌につられて人間の罠に捕まって飢え死ぬ

それと同じげっし類の死なのに


こんなに悲しめるっていうのもな。

なんというべきか


なにか一つのものを大切に思う気持ちって凄いんだなと思った



同時に

これは人の死も同じだけど


こんなに愚かなものかと思った。
死んでから悔やむなんて
もっとどうすればよかったとか
もう戻せないことばかり悔やんで


それをできるうちに、しなければいけなかったり
できることならしてやりたいと気付くことって
こんなに難しいんかね。



僕も似たようなことがあったっけな
昔飼ってたミドリガメが死んだとき
学校に行ってから、とたんに悔しくなって
ひとりで机に伏して泣いたんだ


今僕が、それくらい大切に想えるものは
いくつあるのだろう
何人、何匹いるのだろう



もし、それを失ったとき
もっと大切にできた、なんて
そんな後悔をしないように
今からできることを、もっと沢山探さなきゃ。


それから、これは不謹慎かもしれないけど
それでもいい


大切なものと、失ってから大切だったなんて
誤解して悲しむものを
混同させないようにしなきゃ。

それくらい大切なものを、もっと大切にしなくちゃ。
他のなにも見えないくらいに




あ。



僕をうしなって


本当に、本当の意味で

苦しんで、悲しんでくれる人は

いったいどれくらいいるのだろう


僕を必要としている人は

どこかにいるんだろうか。


妹のハムスターと同じように

みんなに囲まれて、愛されているのだろうか


僕は。







なんでだろうね


素直に悲しめばいいものを

こんな風に

ひとに不快感を与えるようなことしか思えない




だって、それくらい寂しいもん。

でもだって、こんな不快な奴は
寂しい思いをして当然だもん。


なんて


もうやだ

久しぶりに抜け出せない自己嫌悪かな

ぐにゃぐにゃ



人間てぐにゃぐにゃだね。

僕だけ、かしら


不安で仕方がないとき

何かがんばる理由を見つけても

そんな大切なことも忘れて

またすぐに忘れる。


頑張って前に進む理由なんて
足元に、辺り一面に転がっているのに



僕もきっとそう


だから、忘れないようにしなきゃ


夢に裏切られるまでは進む。

疑うのは騙されてからでいい。

辛いときや悲しいとき

躓いたときや失敗したとき


そういうときこそ思い出して

自分を鼓舞するんだ




僕らは前へ進む

妄想の世界



猫を、飼うのよ。

もし猫と一緒の生活になったらすっごく幸せだろうな

ほおずりで甘えてきたり
撫でてたら噛みつかれたり
食べてるものかすめ取られたり。笑


寒い日は、布団の中に潜り込んできて…













僕の寝返りで圧死させてしまうかも。


朝起きてみたら、布団の中でくくっと丸まって死んでる僕のにゃんこ。


もしそうなってしまったら
僕は立ち直れるだろうか



みつけたときも死に顔を見ながらでも
にゃんこのぬけがらを、天に帰す時も
たくさん泣くだろう。


いつも最悪の場合を浮かべてしまう僕の臆病な妄想パターン。


でも、本当はただ思い切り泣きたいだけなのかも
その為の理由が欲しいだけなのかも。


もしそうだったら僕は

感傷に浸るのが大好きな
ひどい人間なのだろうか?



でも

今はたくさん泣きたい

最近はまた涙もろくなった

泣いたらすっきりするのを覚えた


だからまた気が済むまで泣く。

嬉しいときも悲しいときも。



泣いている自分に、
ちっぽけな人間味を感じて安心する



泣くことはすきだ。

でも

生き物が死んだことをネタに感傷に浸れるほど
ぼくは落ちぶれているのだろうか?


というか、
その感傷を期待せずにいられるのか?



答えなんて、なってみなきゃわからない

ただひとつ、

それくらい猫はかわいい。
死んだ姿すら、眠っているようで
かわいいんだもん。


サヨナラが寂しいから、毎日抱きしめたいくらいに。
でもぎゃくに、殺してしまいたいくらいにかわいい。


こんなこと書いてると自分変わったなと思う
溺愛ってこういうことなんだろうか。



…まあ猫好きに限って猫アレルギーっていうジンクスがねw
僕もアレルギー性ぜんそくとかなるし。





いまはゲーセンでひろったぬいぐるみの猫達を撫でて抱きしめるだけ。

きっと好きすぎて殺すほどの愛も度胸も、ぼくにはない。

嬉しいやら悲しいやら、ね。



関係ないけど、
良し悪しはともあれそこまでの愛が
家族に対してあるのか?


きっとないな。


だから僕は父に宣戦布告をした。
僕に乗っかってみんなも。

これでいいのさ。




はやく一人暮らしできるだけの
経済力身につけなきゃね。


戸籍上の“家族”には悪いけど
僕の居場所は此処じゃない
僕の家族はここにはいない
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