【泣いて、涙も尽きた赤鬼】
「自分は――憎い」
彼は言う。
天から仄かな白光を降らす、満月にのみ瞳を露わにし。
私に背を向け、決別するように、或いは懺悔するように、言葉を零す。
「憎い。憎い。憎くて憎くてたまらない」
四つの季節を四つ遡った月なき夜。
私は彼と出逢った。
人の姿。
人の言葉。
人の温もり。
そして人の心を宿す、人ならざりし化物の彼と。
「自分は大切に思っていた。慕い、敬い、愛していた。そう、愛していたのだ」
化物。
それは表現として不愉快極まりなく、不適切だが、表現するにはこれしか他にない。
他者の傷を肩代わりする異能を、痛みを請け負う異端を、彼はその身に宿して生を受けた。
ひどく、私からすれば愛おしさばかりが胸に溢れる、彼という存在を体現したような聖母のごとき異。
だが、しかし。
個人にとっては愛おしくとも、万人にとっては害以外の何でもなかった。
「君に解るか? 否、解らぬだろう。解って欲しくもないが、とても、とてもとても、地獄のような有様だった。それでも尚、愛を捨てずにいた自分のなんと愚かなことか」
彼は優しい。
ゆえに化物である彼は人を愛した。
他者の傷、痛みを己のものとして被り、傷を肩代わりして痛みを請け負った。
幾多の命が救われた。
数多の生が灯された。
なのに、それなのに人は化物と彼を怖れ、拒絶した。
彼が孤独の檻に閉ざされたのは言うまでもなく、口にしたくもない。
「水面の月。人の輪、人の和とはまさしく水面の月だと知った。自分がどんなに手を伸ばしても、触れれば揺らぎ、掴めば消える。那由他の彼方より眺めることしか許されない自分は孤独で、孤独は最悪なる不幸だとも知った。孤独が生む寂しさは胸を抉り、心の臓を貫き、死への渇望を生み落とすものだとも、知り尽くしてしまった。だから自分は、あの救いが本当に嬉しかったのだ。本当に、幸福だったのだ」
救いが訪れたと、彼は言う。
繋がれるはずのない孤独な化物の手を、繋いでくれる存在が現れてくれたのだと。
だが。
「だが、その幸福すら人は奪った。正義だと、正しいと、悪びれもせず、自分から奪い壊した」
化物の彼より、化物の傍らにいようとする同族のほうが怖く、異常に見えたのだろう。
彼と手を繋いだ存在は人であるにも関わらず化物と扱われ、壊され、終わらされた。
見せしめとでも言うように、泣き叫ぶ彼の目の前で。
「何が化物か。誰が化物か」
彼は言う。
「人ならば何をしても許されると? 化物と関わりし者は例外なく悪で、それを認めぬ者は正義だと? なんと、醜い。自分も相当な化物だが、あの者共には遠く及ばぬ。人の矜持も守らずして何が人か。化物にも劣る、人の皮を被った獣が、正義だ正しいだと喚いて掲げて、莫迦莫迦しいにもほどがある」
彼は言う。
「自分は、憎い。人が、人という存在が、自分からあの方を奪った人が憎くて憎くてたまらない」
彼は言う。
「自分は、憎い。自分が、自分という存在が、あの方から全てを奪った自分が憎くて憎くてたまらない」
彼は言う。
「自分は、憎い。この身この心が果てようと憎み続ける。憎まなければならない。懺悔も、救済も全てが不要。憎しみだけあればいい」
だからと。
彼は言う。
「だから自分は君が、嫌いだ。自分から憎しみを、自分を構成する全てを消そうとする君が嫌いで、大嫌いだ。……もう、自分に近付いてくれるな。自分に関わってくれるな
。自分から、憎しみまで奪ってくれるな」
でも。
それでも私は願うのだ。
涙を流し。
彼の代わりに、泣くように。
人を憎んでいても。
私を嫌ってもいい。
だから、だからどうか。
「貴方のことを、許してあげて」
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