はい、どうも。なんだか急激に忙しかった王子である。

たくさんのミニメほか、質問が貯まってきたので答えてみることにする。

Q自己満ブログですね

はい?
それは、もしかして、もしかすると、たぶん、おそらく、まずまちがいないと思われるが、このオレを侮辱しようとしたものであろうか?
……。
良心的な解釈をすると、自己満というものの意味を分かっていない可哀相な人だと思う次第である。
人間は、自己満足のために生きている。
それ以外に何か必要があるのだろうか?
果ては、自己満足すら必要のない境地も人間だけにはあるが、まず生きとし生けるものは、自己満足がなかったら生命として成り立たないとオレは考える。
だいたいにおいて、このブログのサブタイトルにも、それなりに意味はあるのである。…しこしこしこしこ、とは、いわゆる男性の自慰行為における擬音語であり、そもそもこのブログは自慰行為以外の何物でもない。
そんなものを見せるな、とでも言うつもりかな?

残念ながら、オレは自分の自慰活動にいささかの自信を持っている。教師になる前は、AV男優であったり、ボーイズストリップのダンサーもやっていた。性的な行動でビジネスをすることができない人間には、あいにくなことであるが、オレの自慰は、ぶっちゃけ、金になる。金という価値ではかることができるものである。

自己満足を果たせない人間は、オレのような人間を見れば、批判をあびせ罵ろうとするが、オレにかかずらっているより、自分の性器でも磨いているほうが有益であるとお勧めする。


Q占いを信じないのになぜ占い師なのか?

真っ当な疑問であるが、逆説することができる。占い師は誰も彼も占いを信じるか?
信じる信じないという話題が出ている時点で、それは信じるに値しないものである。
オレの立場は、多くの占い師が言わないことを看板にしているだけのことで、占いを信じ込んで生きることの無意味さや空虚さを、アドバイスすることにある。そのため、オレの占いの診断結果は「オレはこう見るが、必ずしもあなたにとってはそうではないかもしれない」「オレの一方的な指摘ではなく、ひとつの考えとして参考程度にしていただくのが望ましい」というニュアンスを必ずどこかに潜ませる。
つまり、オレは「占い師」になったのではなく「占いを信じない占い師」となったのである。
もちろん、養家と師匠の英才教育のたまものであることは否めないし、そこから逃げても、結局自分の意志で、占いに関わってしまう人生なのでどうしようもない部分もある。人より少しだけ先が見える……落とし穴が開いている道を歩いている人に、しらんふりするよりは、穴が開いていますよ、と教えたり、靴紐がほどけてますよと注意を向けるほうが、性にあっているような気がするわけである。

答えになっているだろうか。


Qプロフ画は本人ですか?

その通り。化粧もせず、まこと一糸まとわず、全裸の宣伝材料である。ちなみに自分撮りである。

はっきり言って、普段ちょーいい加減な格好をしているために、弟子たちにどれほどイロイロ言われることか。いまさらファッションなんかめんどくせ。いや、まあ、その昔、オカマ業のころは華々しいこと限りなしであったが、そこで一生分の洋服センスを使い果たしたと思っていただければよい。

つまるところ、服が何を着たらサマになるか、どうもズレているために、面倒なので裸だ。
裸の王さまという寓話の意味をひそかに込めたものでもあり、また、自由を束縛する被服からの脱却という野望でもあり、ただエロいだけという説も否定しない。


Q普段何を?

仕事のほかには、炊事洗濯、耕作、読書、ゲーム、研究、修業、筋トレ、睡眠などを主に行う。

何ごとも経験、である。

いずれにしても、すべて仕事に還元される。


Q頭いいですよね?

そう見せることができる。
オレの友人たちに知能では敵わないことを、オレは知っている。
知識をためこんでいるだけとも評されることがあるが、歩くエンサイクロペディアとして、使われることもある。ウィキペディアがある時代には、ポンコツすぎるオレの脳ではあるが、相手により平易な言葉にすることも自在である。


Q馬鹿ですか?

哺乳類としての共通点を認める。
ただし、オレの顔を見て、ウマだとかシカだとか言う奴は、呪う。


ふいー。こんなものだろうか。


質問に対する正当な答えであり、あまり感情を読み込んでいないが、答えることはすごく楽しい。
自分のことを考えるきっかけとなる。