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そのとき彼は叫んだ

話題:トイレに紙がないとき

折り曲げて自分ごとトイレに流しちまいな。



さて
トイレで紙がないときというのは、たいがいにおいて、パニックになるというのがオレの私感ではあるが、いかに対処するか。

人類はこの困難に敢然と立ち向かってきた長い歴史がある。
歴史というものも案外つまらないことばかりではないのだよ、ワトソンくん。

さて、枕草子では
貴族のおひい(姫)さまが、排泄することについての記述がある。
まあ、いってみたら弁当箱みたいなもの(しかも漆ぬりの豪華なやつ)に、糞尿やらかして、蓋をして、位の低い奴に渡して処分してもらうのだ。十二単という重くて分厚い壁のなか、用を足し、清少納言は「うっすら濡れ光るのがいいよね」オイオイ、スカトロかよ、という感想を述べる。つまり、拭いてないのよね。

フランスではハイヒール、日本では一本歯の高下駄、履物が高くなるってのは、カカトでう○こを踏む気色悪さに耐えられなかった人類の知恵ですわよ。
ハイヒール履くってのは、ドMの太股を踏むためにあるんじゃなくて、う○こ踏まないためなのよ。だからオカマ業界ではハイヒール履く人をう○こババアと呼ぶのよ。クソババアじゃなくてう○こババアよ。

さて話が逸れたが紙というのは、いってみたら世界的歴史的な発明で、ケツを拭くものになる日が来るとは誰も想像だにしていなかったであろう。


さよう、
ティッシュがない時代、ハンカチは使い捨てでないティッシュだったのだ。

しかし
多くの人は、使い捨てでないのであれば、ケツを拭くのに、なおさら使いづらいと感じるであろう。
されば、使い捨てであるモノを利用することが重要であると、私は考える。

世の中は、使い捨てであるモノばかりとなっている。身につけている使い捨てできるものとはなにか。それが肝心だ。

そして、われわれはひとつの回答を得るのである。

社会の歯車である自分も、所詮は使い捨てだと。今日はめきめきと仕事をしているが、明日には派遣村にごやっかいになるかもしれぬ、大きなリストラ政策で、若くして使い捨てられるかもしれぬ。

そして

われわれは、
人間の人間たる確固たる意志をもって、人間が自由に使うことができる器用で繊細で、時として、運命をつむぎ、時として、芸術をつくり、時として、愛しい人に料理を作るときに使うモノを、おもむろにシリにあてがう。


手とは。
全ての道具の祖。
紙にできて、手に出来ぬわけはない。


あ、左手でどうぞ。

らーぶ

話題:I LOVE YOU を訳しなさい

英語の辞書を作るのに頑張った昔の日本人(中村正直という人だと記憶している)は、LOVEの訳語を、難産の末「愛する」と変換した。

ふ、。

惚れたはれたの文化しかない日本には、この語はなかなか理解しがたいのだよ、ワトソンくん。

もともと恋愛感情を単純に意味する言葉ではない。LOVEとはキリスト教における「神の愛」、そこに存在するすべてを、存在してよいと認め、または変化させ、あるべき姿であるように見えない力を、その場に注ぎ込むことを言う。宗教的な感性がないと、真の意味を見失う。

「敬い、助け、慰め、神ならぬ身のゆえ、死がわたしたちをわかつまで」神の心を真似てあなたに仕えます、と訳す。そもそも日本の神と違うから、さらに理解は大変だ。

だいたい、いまどきI LOVE YOUで相手を口説くのは、頭の痛いアメリカンジョークで、普通はもっと知的な色っぽさがないとモテないぜ? ←モテたことのないオトコが頭の痛いトコロを実演販売中。

「僕の愛を君が知ってくれたらとどんなにか願うよ」とか「君が愛すると僕に言う気が起きるまで忍耐の力を、神よおあたえください」とかね。男バージョンでモテ台詞を訳すと、鳥肌がたつよね。
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