何にでも飽きというものはやってくる。
遊び、勉強、仕事、食事そして恋愛やセックスもだ。
飽きるの対義語は凝るである。では凝る事とはどんな事なのか。
俺の場合は「新しい事」に出会ったとき、「欲しかったもの」を手に入れた時だ。
まぁだいたいの人は当てはまるのではあるまいか。
人はなかなか手に入らないようなものほど欲しくなる。しかし、いったん自分のものとなり、また時間がたつと飽きてくる。
これの繰り返しである。
では飽きないようにするにはどうしたらいいのか。
ドイツの哲学者はこう語る
すでに手に入れて、慣れてしまったから飽きるのだ。けれでもそれは、本当は自分自身に飽きてしまってると言う事だ。手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。すなわちそれに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。そうではなく、人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのである。
なかなかにハードルの高い事をおっしゃる。しかし言っている事はわかる。
例えばオンラインゲームやスマホゲームだが、これらは飽きさせないためにつねにアップロードを繰り返し行って新機能を追加している。これと同じ事である。
しかし人が成長するというのはすぐに結果が出るものでもなければ、人が見てすぐにわかるような事ではない。
また成長した先が相手にとって魅力がなければ意味がない。
今までノーマルセックスしかしてなかった人が、ある日突然スカトロをやりたいといっても到底受け入れられることではない。
お互いがお互いのために成長する必要がある。これがいわゆる互いを高めあうということにつながる。これが理想だ。
しかし理想と現実の差は大きい。なかなかそんな人は現れない。
だから人はセックスレスになり、浮気し、風俗にかよい、AVをみるのである。
喘ぎが新しく、表情が新しく、抱き心地が新しい人をもとめるのだ。
それがいやなら、フェラてくを磨き、騎乗位がうまくなり、演技上手になる。
言葉攻めを考え、クンニてくを磨き、テマン上手になる。
これら全てが必要なわけではないが、互いに必要な部分を模索する必要がある。何事もやりすぎはよくない。
しかしこれら全てでもまだたりなければその先にすすむ必要があるのだ。
その先にしか飽きのない世界はないのである。