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頭を下げる

頭を下げるのには理由が必要だ。それはその人なりのプライドがあるからで、その折り合いをつけないと中々自分を犠牲にするのは抵抗がある。

そもそも明確な理由がないのに、誰の行為かわからないのに、いったい俺は誰のために?何のために?

といった具合である。

「上の人間はそれが仕事でしょ?だからとりあえず謝って来いよ」

たしかに責任をとるといった意味では仕事だ。その分金は多くもらっている。

しかしだからこそ部下とはそれだけの責任を感じるべきだ。そしてこんな事をいうやつのために下げる頭など俺なら持ち合わせていない。

子供だって自分の親が自分のせいで他人に頭を下げるのは見たくないものだろう?

そしてより反省をするものだ。

まぁもちろん、信頼のおける、または尊敬している上司にたいしてだけだろうが・・・・

俺も一度過去に頭を下げまくったことがある。

当時俺は起業しようと何人かの人と動いていた。俺は中心メンバーの一人だったからけっこうお金もだしたし、時間もつかった。

でも2年ですべて失った。まだたして何もはじまってなく、話だけがすすんでいる状態で、だ。

多方面の方々に迷惑をかけた。不動産、話を進めていた他社の方々、俺の部下になるはずだった人達。

これらが社長になるはずだったクズの男によって全てなくなってしまった。

正直俺が一番失ったし、時間を無駄に過ごしたことになったと思う。

ついたのは度胸だけ(笑)

それからがある意味一番胃がいたく、忙しかったかもしれない。

人生ではじめてスーツ着て色々なところに謝罪しにいった。

何を言われるかわからないし、馬鹿にもされるだろうと思ったが・・・・さすがに同情された。まぁ24歳という若者だったからというのもあるだろうけど。

社長になる予定だった男が一番クズで、その他関係していた人達はいい人で助かった。

そんなクソみたいな思い出をおそらく一生忘れられないだろう。

少なくとも俺は今現在の上司に頭をさげさせるような事をしたいとは思わない。もちろん自分が原因になりたくないという理由が一番だ。

なにせ自分がミスしたらいったいどのぐらいの損失になるか・・・・考えたくもない。


話がだいぶそれたが、

ようは頭を下げるのには下げる前に色々明確にしておく必要があるということだ。

そもそも頭をさげて、客先で「原因は?」と聞かれたときに「わかりません」などナンセンスである。

それこそ下げ損だ。



セックスの飽き


何にでも飽きというものはやってくる。
遊び、勉強、仕事、食事そして恋愛やセックスもだ。

飽きるの対義語は凝るである。では凝る事とはどんな事なのか。

俺の場合は「新しい事」に出会ったとき、「欲しかったもの」を手に入れた時だ。
まぁだいたいの人は当てはまるのではあるまいか。

人はなかなか手に入らないようなものほど欲しくなる。しかし、いったん自分のものとなり、また時間がたつと飽きてくる。
これの繰り返しである。

では飽きないようにするにはどうしたらいいのか。

ドイツの哲学者はこう語る

すでに手に入れて、慣れてしまったから飽きるのだ。けれでもそれは、本当は自分自身に飽きてしまってると言う事だ。手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きる。すなわちそれに対する自分の心が変化しないから飽きるのだ。つまり、自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすいことになる。そうではなく、人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのである。


なかなかにハードルの高い事をおっしゃる。しかし言っている事はわかる。

例えばオンラインゲームやスマホゲームだが、これらは飽きさせないためにつねにアップロードを繰り返し行って新機能を追加している。これと同じ事である。

しかし人が成長するというのはすぐに結果が出るものでもなければ、人が見てすぐにわかるような事ではない。

また成長した先が相手にとって魅力がなければ意味がない。

今までノーマルセックスしかしてなかった人が、ある日突然スカトロをやりたいといっても到底受け入れられることではない。

お互いがお互いのために成長する必要がある。これがいわゆる互いを高めあうということにつながる。これが理想だ。

しかし理想と現実の差は大きい。なかなかそんな人は現れない。
だから人はセックスレスになり、浮気し、風俗にかよい、AVをみるのである。
喘ぎが新しく、表情が新しく、抱き心地が新しい人をもとめるのだ。

それがいやなら、フェラてくを磨き、騎乗位がうまくなり、演技上手になる。
言葉攻めを考え、クンニてくを磨き、テマン上手になる。

これら全てが必要なわけではないが、互いに必要な部分を模索する必要がある。何事もやりすぎはよくない。

しかしこれら全てでもまだたりなければその先にすすむ必要があるのだ。

その先にしか飽きのない世界はないのである。









映画サイコパスの感想


いまさらですが、皆さんあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

今年もゆる〜く更新していきます。

さて昨日映画サイコパスをみてまいりました。

大好きなアニメ「サイコパス」の映画化ということで、期待を胸に見に行った結果、今もう一度みたいという気持ちにかられています。
かなり面白かったです。アニメを見ていた方は見て損はないですよ。アニメ見てなかった人はよくわからないと思います。

正直もう一度ぐらい見に行きたいですね。それぐらいよかった・・・・

特に狡噛と朱の再開のシーンは朱の成長ぶりが窺える素晴らしいシーンだったと思います。また映画でないと味わえないあの音響ですね。映画とTVの一番の違いはそこなんじゃないかと思えてくる。EDがエゴイストの「名前のない怪物」で1期と同じなんですが、3割増しで良く聞こえたきがしました(笑)

唯一TV版と較べて劣ってしまうのは敵の存在ですかね。やはり槙島ほどの敵は出てきません。映画なので敵がわかりやすいですね。勿論魅力的な敵キャラは出てきますよ。ただまぁミステリー的な部分は時間が限られているのでしょうがないです。ただその分格闘シーンの映像は凄かったですよ。後ドミネーターの迫力も凄いw映像がすごいのでさらにエグイwww


とまぁ僕としては大満足な映画でしたw


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