一次会から、予告通り二次会のカラオケに移動して
少し暗めの照明になっている部屋へと入る。
「先輩……大丈夫ですかね?」
「んー。何とかなるでしょ?」
「え……」
「平気、平気!」
すっかり安心しきっていた私が、再び不安におそわれたのにはワケがある。
二次会の参加人数は12名。そして部屋の都合上、2つに分かれることになってしまったのだ。
つまり。今この部屋には6人しか人がいなくて。
主任は隣の部屋だけど……石ちゃんは、同室だ。
――状況的に、かなりマズくない?
「って言うかさ、いざとなったらバレても良いんじゃないの?」
「いや、まぁそれは……」
道ならぬ恋をしている訳ではないから、そう言われてしまうとその通りなんだけど。
「やりにくく、なりますよ?」
「……確かにね」
しかも、交際が公になったら結婚していなくてもどちらかが異動になる可能性も高くなる。
この場合は、当然主任が異動になる側で……
それもまた、私たちには不都合なことが増えてくるだろう。
「はいはい。そんなことよりさっちゃん。早く曲入れて!」
「あ。はい」
序盤だから、比較的ノリの良い曲を適当に選んで順番を待つ。
「あっ!俺歌いまーす!」
次の次だな、と思っていたら私の前がちょうど石ちゃんだったらしく
数センチかさ上げされたお立ち台で彼はマイクを高く掲げる。
テンションも、かなり上がっているらしい。
「ふぅん。……上手いじゃん」
「……です、ね」
曲が始まって、軽快に、のびのびと、そして楽しそうに歌う石ちゃんは素人判断でもかなりの上級者で、
アップテンポな曲だけれどこのままじっくり、歌声を聞いていたくなる。
「コレで狙った女を落とすのね……」
「……はぁ、」
言葉のチョイスに多少問題はあるかもしれないけれど、私も佐々木先輩に同感だ。
2・3曲歌を聞いた後で“次は君のためだけに歌うよ”なんて言われてしまったら
下心があるのだろうと分かっていても……
――落ちるかも、しれない。
「ねぇ、さっちゃん」
「はい?」
「案外……本気で狙われてるのかもよ?」
「えっ!」
「石坂くんて“僕は好きになった女性に彼氏がいたって気にしませんよ”てタイプじゃない?」
「……そう、かも、しれません」
自分が大切にしている友人の彼女、とかでなければ
「好きになったらアタックあるのみ!」みたいな……
そういう印象は、確かにある。
「個人的には別に乗り換えちゃってもいいんじゃない?って思うけど?」
「せんぱぁい……」
クスリ、といたずらっぽく笑われると
すぐに冗談だと伝わってくるけれど、少しくらいは異議を唱えたい。
「だって彼の方が出世しちゃうかもよー?」
「そ、そんなこと、」
ありませんよ!とは……
言えない自分も何だか悔しい気がするけれど。
でも、私が好きなのは石ちゃんではなくて。
隣の部屋で、一曲も歌わずに抜け出すタイミングを伺っている
――博史さんなのに。
「ふふっ、分かってるって!!いっこ確実に言えるのは、アイツの方が絶対一途ってことかな」
「あぁ……」
「すごーく。大事にしてくれそう」
「へっ?」
今の今まで、主任のことを褒めてくれたことのない先輩が。
穏やかに微笑みながら、そんなことを言ってくれる。
「現に今。大事にされてるでしょ?」
「あ…………はい」
大事にされているか、なんて……
客観的にはよく分からないのが実情だけど。
それでも、少なからず真っ直ぐに愛されているとは……思う。
「ねっ?だってさっちゃん最近綺麗なんだもん」
「そ……です、か?」
その褒め言葉は、嬉しいけれど……かなり恥ずかしい。
「私は、そう思うよ?はいはい、次さっちゃんでしょ!石坂くんの後じゃ歌いづらいだろうけど、行ってらっしゃい!」
「え、前。行くんですか?」
ここで座って歌うんじゃ……ダメ?
「当たり前でしょ!」
「……はい」
今日に限ったことじゃないけど、先輩にはお世話になりっぱなしだから……
こんな些細なことは完全に逆らえない。
女性に人気のアーティストのポップな曲をとりあえず歌い終えて、一息つく。
「……ただいま」
「吉田、お疲れ!あの歌俺も好き!」
「あ……あり、がと」
席に戻ると、佐々木先輩の隣に座っていた石ちゃんが、スッと先輩との間に空間を作って
ポンポン、と手のひらで座るように促してくる。
――この状況で、どうやって抜け出すの?
思わず無言で佐々木先輩に助けを求めると、“任せなさい”と言わんばかりにウインクを返される。
先輩には、こうなることは予想済みということらしい。
「石坂くんて、歌上手いのね?」
「あぁーどうも。子どもの頃ステージで歌ったことがあって」
「ちびっ子のど自慢的な?」
「それです、それです。まぁ、歌手を目指そうとまでは思ってなかったけど」
「なるほどねぇー。ねぇねぇ、リクエストしたら歌ってくれる?」
「もちろん!知ってる歌なら」
ふたりの会話の内容で、何となく次の展開が読めてきた。
「さっちゃんじゃなくて、私の!リクエストでもいーい?」
「もちろんですよー!僕に歌える曲ならなんなりと!」
「ふふっ。ありがと」
先輩は手早くリモコンを操作して、石ちゃんへのリクエスト曲を予約する。
「あぁー、これですか」
「歌える?」
「大丈夫です。この人よく歌うんで」
「ホントに?じゃあ、楽しみにしとく」
「頑張ります!」
拳を顔の高さに上げて、石ちゃんは佐々木先輩……ではなくて私に向かって笑いかける。
こういうところが、何と言うか……
――うまいんだよね…。
石ちゃんが少し、席を外したタイミングを見計らって先輩が私の耳の近くで話しかけてくる。
「私のリクエスト曲の間奏で抜けるよ?」
「えっ!」
それは、さすがに石ちゃんに失礼では……?
「大丈夫!あの歌6分以上あるから」
「はぁ……」
「歌ってる時は絶対追いかけてこれないでしょ」
「それはまぁ……」
そうなんだけど。
そこまでやると、さすがに石ちゃんが気の毒になってくる。
「だいじょーぶ。次の手も考えてあるし」
「はぁ」
先輩って……どこまで根回しというか、準備しているんだろう?
ある意味本領が発揮されたみたいで……ちょっとだけ、怖い。
アルコールの代わりに注文していたジンジャーエールを一口飲んで
ドキドキしながらその時を待つ。
聞いたことのあるイントロが流れて、少し離れたところから石ちゃんが「よしっ!」と気合いを入れて立ち上がる。
いよいよ、その時が来たらしい。
「石坂くん、ファイトーっ!」
佐々木先輩が、ちょっとオーバーアクション気味に手を振りながら声援を送る。
ついでに、私の右手も先輩に取られて共に手を振るように促され
合わせるしかない私は、少し遠慮がちに石ちゃんに向かって手を振った。
――このあと、抜けるけど
そう思いながらの声援は、罪悪感がハンパない。
ただ……最終的に石ちゃんに送ってもらいたくはないから……
背に腹は変えられないといったところだろうか。
「やっぱり、上手いわねぇー」
「はい」
本当に歌の上手い人というのは、最初の一小節だけでも、専門家ではなくても、
聞いた瞬間上手いと解る。そういうものだ。
「店の入口で待ってて?すぐ追いかけるから」
「あ、じゃあお手洗い行っておきます」
「オッケ」
歌っている石ちゃんと視線を合わせないように、鞄を持って部屋を出る。
せっかくなら、隣の部屋をこっそり覗いてみたいけど……
今はそんなことをやっているヒマはないのだろう。
お手洗いから、部屋とは反対側に進んで受付近くで先輩を待つ。
「さっちゃん!お待たせ」
「先輩、本当に大丈夫ですか?」
「うん。順調順調。あとはサトリエに頼んであるから」
“サトリエ”と言うのは佐藤梨江子先輩のことで名前が似ている芸能人の彼女に負けないくらいの美人担当。
さっきは私たちとは別の部屋だったから……石坂くんを持ち上げてくれるように佐々木先輩が頼んでくれたのだろう。
さっき言ってた“次の手”というのはそういうことか。
「早く行こうっ!」
「あ、ハイ」
先輩と並んで、夜道を少し歩く。
「待ち合わせ、そこのコンビニだから」
「先輩はどうするんですか?」
「ん?戻るけど?」
「ひとりは危ないですよ?」
「あら、ありがと。大丈夫用心棒いるし」
「はい?」
言葉の意味が分からずに聞き返してみるものの
佐々木先輩はクスッと笑うだけで、答えを教えてくれない。
「来れば分かるから」
「はぁ……」
そうして、私たちがコンビニに着いて5分も経たずに
入口から男性がふたり入ってきた。
「んー?」
ひとりは主任で、もうひとりは……
「あ」
「ありがと、山田くん」
「おぅ。佐々木も吉田もお疲れ!」
幹事の山田主任が、背の高い博史さんの陰からひょこっと顔を覗かせる。
「山田主任!イイんですか幹事なのに…」
「ん?帰る訳じゃないし平気だって。それに佐々木の付き添いが無いと仲川がうるさいから」
「……はい?」
どうやら、私ひとりだけこの計画に乗り遅れているらしい。
ニコニコと笑いながら、佐々木先輩が補足説明をしてくれる。
「だからね?私がさっちゃん連れてきて、落ち合った後ひとりで店に戻るのはダメなんだって」
「そうそう。俺もちょっと驚いた。仲川がそういうコト言うのが」
「ねぇー?でも、さっちゃんもさっきおんなじこと私に言うから。愛されてるんだねぇー」
「お前ら、ペラペラうるさいんだけど」
「ハイハイ。邪魔者は退散しようよ山田くん」
「そだな。想像してたより案外お似合いだぞ仲川?」
「はぁー?」
「そうね。さっちゃんがいるとちょっと表情が柔らかくなんのね?」
「つか、吉田がめっちゃ嬉しそうなんだけど」
「えっ!!」
急に自分に話が振られて、無意識に緩んだ頬を引き締めようにも……すでに手遅れだったらしい。
「乙女だねぇー」
「仲川。手、繋いでもイイんだぞ?」
「うるさい。沙知、行くぞ」
「きゃあ!山田くん今の聞いた?」
「山田っ!早く戻れ!」
「ハイハイ。じゃ、行こうか」
「さっちゃんまた明日ねー!」
「あっ、あの!色々ありがとうございました!!」
今回の計画は、このふたりがいなければ実現不可能だったのは間違いない。
「気にしないで!おやすみー」
「仲川今度奢れよー」
「あたしも、奢りならついてくー」
「ったく。世話になった、ふたりとも」
「えっ、あっ!おっ、おやすみなさい!」
もうこれ以上聞いていられなくなったのか、主任が私の手のひらではなく手首の上あたりをぎゅっと掴んで大股で歩いていく。
「さっちゃん、おやすみー」
「じゃーなー!」
主任は後ろを振り向くことなくただ片手を上げて「マジで奢らねぇとうるさそうだな…」と小さな声で呟く。
「あの、主任、」
「主任禁止」
「博史さんっ」
「なんだ」
「ちょっと……痛い、です」
「あ。すまん」
慌てて手が離れて、今度はそっと手が握られる。
「……大丈夫か?」
「はい」
手を繋いでくれたから、治りました。
嬉しくてそんな言葉が出そうになったけれど、逆に離されてしまいそうだから心の中で呟くに留めておく。
「タクシー拾うぞ」
「あ、はい」
電車を使っても帰れる時間だけど。
今はまっすぐ、家まで帰りたい気分だ。
週の真ん中水曜日の夜だけど、運良くタクシーはすぐ捕まって、先に乗るよう主任に促される。
そうして主任が運転手さんに告げたのは、私の住む町の名前だった。
「……ん?」
それってつまり……
主任も一緒に降りてくれる、ということ?
「いいんですか?」
「そのセリフ、そっくりそのまま返してやる」
「んふふ。大丈夫です」
「なら、俺も大丈夫だ」
重ねられた手に、相変わらずドキドキしながらも
明日の朝、ご飯作ってくれるかなぁなんて。
ちょっとだけヨコシマなことを考えていたのは、
――博史さんには、内緒だ。
**********
(4)に続く。
こまめにコメントありがとうっ。
ハラハラしてくれたー?
最後は、甘々で、まとめるのがいつもの私のやり方〜。
「うまく抜け出せるかなー?」ってハラハラしてたのも成功したし、なんだか2倍ほっとした(笑)
甘いの待ってる!