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大切なのは「見た人の心に遺す」ことでは?

話題:原爆を考える


実は、広島を離れて初めて8時15分に黙祷できなかった私です。
何か、自分の中ですらヒロシマを思う心が薄れていっていくようで……自分自身ちょっとショックを受けてしまいました。

加えて、フェイスブックでのタイムラインを見て原爆資料館の改修工事の件を知りました。
衝撃的な印象を与える「蝋人形」を撤去するという話も……。

資料館に初めて訪れた人がまずショックを受けるのがあの被爆直後の様子を表した人形たちではないかと思います。
修学旅行で訪れた小学生には、きっと想像をはるかに超えるものでかなりショックを受けるのは間違いないでしょう。

人形の撤去の理由としては、そういった子どもたちへの配慮もあり、かつ資料館の展示品を“実物”重視にするため、ということなのだそうですが……。

このニュースを知って以来、ずっと心がモヤモヤします。

子どもたちには刺激が強すぎてトラウマになる。ということについてもモヤモヤするし
実物を重視するから人形の展示を止める、ということについてもモヤモヤします。

ネットを検索してもらえたら分かると思うけど、人形の撤去については反対運動も起きています。
「実物重視」と言えば聞こえは良いけれど、あの人形たちが伝える無言のメッセージはとても大きい。それは事実だと私は思います。
4日の月曜日に放送されたニュース番組「ZERO」で、櫻井キャスター(と、呼ばせていただきます)が、実物重視に変わることをすんなり受け止めるという何とも通り一遍な言葉でこのニュースをまとめていたそうですが……(残念ながら見逃しました)

撤去に反対している市民の声については何も報道されなかったのでしょうか??
……まぁ、資料館側の視点に立った取材ならそれも当然かもしれません。


果たして「実物」だけがあの日の惨状を伝えてくれるのでしょうか?
例えば、画像だけでもご覧になった方があると思われる

・黒こげのお弁当箱
・8時15分で止まった時計
・熱風で溶けた瓦

こういった遺品の数々は確かに「実物」です。
でも、ガンッと頭を殴られるほどの衝撃を見た人に遺すでしょうか?
正直、「偽物」である蝋人形たちほどのメッセージ性は無いと思ってしまいます。

実物だからメッセージ性があり、偽物にはそれが無い。

という考え方は、果たして正しいのでしょうか?
私は、例え子どもたちがトラウマになるほどの衝撃を受けたとしても


原子爆弾たった一発の恐ろしさがどれほどのものか。
戦争は二度としてはならない、正義の戦争なんか存在しない。


そういうことを肌で感じて欲しい。
あの人形たちは、リアル以上にリアルを伝えてくれていると思うから。

今、世界に存在している核兵器はその威力を説明する時

「広島型原子爆弾の○倍」

と、表現されたりするけれど、じゃあその広島型の被害がどれほどのものか、理解している人間はどれくらい存在するのか?
原爆投下が第二次世界大戦の終結を早めてくれた。だから原爆は必要悪だった、仕方ないことだったとそう主張する人の何割が広島の実際の惨状を知っているのか?
罪のない人々がこれほどの犠牲を負った事実を知って、それでもなお必要悪だと断言できるのか。

被爆による実物の遺品だけで、それが伝えきれるのか……私には疑問です。


旅行に行くなら、楽しいことをしたいでしょう。
珍しい景色をみたり、楽しい思い出を作りたいと思うのは当然のこと。
そういう意味では原爆資料館は、決して楽しい場所ではありません。
心踊ることもなければ、感動も無いと思います。

それでも。
やっぱり日本人なら一度は広島を訪れて、資料館に足を踏み入れてほしいです。
そして、今まで自分が知っていたものの次元をはるかに超える広島の(もちろん長崎もですが)惨状を知って欲しい。


こんなネットの片隅でつぶやいたところで何かができるとは思っていないけれど……
今日は、長崎の原爆記念日です。


この記事を偶然目に留めて読んでくださった方。
一緒に平和を祈っていただけると、嬉しいです。




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