ガタンと馬車が揺れる。
春の温かな陽気の微睡みに浸りながらその揺れに目を薄く開く。
「まだ寝ていていいぞ」
隣で柔らかく微笑むのは、ルシフェルと現在恋仲であるオズマ・ランディールだ。ルシフェルは自分がいつの間にか眠っていたことを自覚して背筋を伸ばす。
「悪いな……眠ってたのか」
「構わん。長旅に付き合わせているのは俺の方だ。それに………お前の寝顔を眺められて幸せだ」
そんな歯の浮くような台詞を天然で垂れ流す恐ろしい男に、ルシフェルは呆れと共に肩を竦めた。
「そういう言葉は基本女にしか言わないほうがいいぞ」
「な……っ、お、お前以外に言うわけないだろうこんな事」
ようやく自覚したのか今更恥ずかしがるオズマに、今度はルシフェルが思わず笑む。
ルシフェル達が今向かっているのはオズマの故郷であるメルシエという村だ。ただの村ではない。そこは代々国に仕える由緒あるランディール家を公爵とした、幾人も優秀な騎士の若者を排出したきた歴史のある場所である。
農業も盛んな村の収穫祭にオズマにどうしてもと誘われ、この度ルシフェルもついていく事になったのだが。
「お前が休暇を取るなんて珍しいって、アルが言ってたぞ」
「…まあな。収穫祭もだが……前からお前に俺の故郷を見て欲しいと思っていたんだ」
「ふーん……故郷ね」
外の景色を眺める。
黄色の美しい花がまるでオズマを歓迎するように花道を作っている。
しばらくその景色に目を細めていると、それらしい建物が見えてきた。
「あれがメルシエ村の風車だ。古いがまだ現役みたいだな」
「到着したのか?」
「ああ。のどかで、いい村だぞ」
「……そうか」
オズマの温かな表情に、故郷ではいい思い出が多いのだろうとルシフェルは少しの憧憬を覚える。自分の記憶の中の故郷にいい思い出などはない。過去を捨て去った己からすれば、帰る場所があるオズマを少しだけ羨ましくも思った。
「オズマ坊っちゃんお帰りなさい!」
村の一番奥にある一際大きい屋敷。そこに馬車をつけ、案内されるまま屋敷に足を踏み入れた途端に黄色い声がオズマを歓迎した。若い使用人から、老齢の庭師までが嬉しそうにオズマを取り囲む。
その中の五十代の、恐らく一番ベテランであろう使用人の女性がオズマの手を取った。
「急にお帰りになられると聞いてびっくり致しました。皆首を長くして待ち兼ねておりましたよ」
「すまないミランダ、たまには故郷の収穫祭を手伝いたくなってな」
「オズマ坊っちゃんが帰られると聞いて奥様が跳び跳ねて喜んでおられましたよ!」
「そ、そうか……母上は今どこに?」
「旦那様を引っ張ってどこかへお出掛けになられました」
「遅かったか……あれだけ何もしなくていいと言ったのに……」
はあ……、と指で額を抑え深い溜め息を吐く。ふと、使用人達が後ろに立つルシフェルに気がついた。
「オズマ坊っちゃん、その方は?」
「ああ……この人はルシフェル。収穫祭を手伝いに来てくれたバレンティノの学生だ」
「ルシフェル・レイアートです。お世話になります」
この世界に来て半年。未だ光の使徒などと何度呼ばれても慣れないし、わざわざ言いふらすことでもない。むしろ知られたくないとルシフェルはオズマに事前に釘を刺していた。ルシフェルを光の使徒だと堂々と紹介したかったオズマだが、ルシフェルがそれを望まないならばそれに従う他ない。
オズマの紹介ににこやかにルシフェルの手を握るミランダ。
「メイド達を取りまとめさせて貰っているメイド長のミランダです。ルシフェルさん、ようこそいらっしゃいました」
「収穫祭を手伝うのをとても楽しみにして来ました」
そう答えた途端にミランダは半ば興奮ぎみに握った手をぶんぶんと上下に振る。
「若いのに手伝いだなんて偉いわ!それに見たことないくらいとっても綺麗な子!そう思いませんかオズマ坊っちゃんっ」
ミランダがキラキラとルシフェルを見つめ他意なくそう振るものだから、オズマは思わず頬を染めながら咳払いした。
「ミ、ミランダ。そのへんでいいだろう。そろそろ手を離してやってくれないか」
「あらっ私ったら!ごめんなさいね、若い男の子の手なんか久しく握らないものだから」
やだーと手をヒラヒラさせ年相応のジェスチャーを加えながら離れる。ルシフェルは構いません、とその陽気さに密かに心和ませた。
「オズマ坊っちゃん、お帰りなさい」
奥の部屋から駆けてきたのは初老の男性。ロマンスグレーの品のある紳士だ。
「今帰った。元気だったかフェリス」
「はい、とても。オズマ坊っちゃんも以前よりもより精悍な顔つきになられましたね」
「たかだか二年だ。そこまで変わりないだろ?」
「いえ。このフェリスにはわかります。もしや……」
何か言い掛けた言葉の先を何となく察したオズマは、それを遮るように荷物をドンと置いた。フェリスはハッとして、直ぐにルシフェルに一礼する。
「お客様を前に申し訳ありません。わたくし、この屋敷に仕えさせて頂いている執事のフェリスでございます」
「ルシフェル・レイアートです。この数日、お世話になります」
「ではレイアート様、荷物は我々が部屋に運んでおきますのでオズマ坊っちゃんとお部屋でしばらくおくつろぎ下さい」
「ありがとうございます」
「宜しく頼む」
執事のフェリスはペコリと一礼し荷物一式を先に部屋へと運んでいく。通された客間のソファーに座りルシフェルは部屋を見回した。
「立派な屋敷だな。流石は候爵様の家」
「候爵と銘打ってはいるが昔から贅沢とは無縁でな。父がバリバリの武人で華やかな世界に興味が無いのが要因だが」
「勿体ないな。財も貰っているだろうに」
「何より立派な武人を排出するのが生き甲斐の人なんだ。財はほとんど必要な道具や弟子を食わせるために使っている。俺達も昔はその中でコッテリ絞られて毎日泣かされたものだ」
「…………俺達?」
「ああ……いや、何でもない」
達、という言葉に違和感を感じ不思議に思うも、ノックの音に消されるほどの些細な違和感で。
「紅茶とお菓子をお持ちしました」
「すまない。置いておいてくれ」
フェリスは丁寧に、テーブルの上にティーカップと皿に盛られたクッキーを並べていく。
「……父上達はいつ戻るだろうか」
「恐らく奥様のお買い物があと一時間ほど掛かると思うので、最低でも二時間はお戻りになられないかと」
「そうか。お前の見立てはいつも正しいからな」
「いえ。オズマ坊っちゃんが久方ぶりにお帰りになられて皆本当に喜んでおられます」
「俺も元気な姿が見られて安心した。夕食を楽しみにしている」
「シェフと相談致します。レイアート様はお好きな食材と何かお嫌いな食材はございますか?」
「ないです」
「畏まりました」
にこりと微笑み、姿勢の良いお辞儀をしてフェリスは部屋を後にする。ドカッと隣に座ったオズマの脚をぽん、と蹴った。
「慕われているんだな、オズマ坊っちゃんは」
「おい茶化すなよ。……まあ、皆俺が子供の頃から屋敷に仕えてくれている者ばかりでな。既に家族のようなものだ。フェリスが初めてこの屋敷に来たのは確か俺が五歳の頃だったか」
紅茶とクッキーを口にしながら、ルシフェルは懐かしむオズマを眺める。
「帰る場所があるのはいいもんだな」
「お前にもあっただろ?」
「俺は故郷を棄てたクチだから。軍隊がすべてだった」
そんな話をしたことが無かった事をオズマは今になって思う。ソファーに預けていた身を思わず起こした。
「家族は?」
「父親はさっさと死んで、母親は子供を捨ててどっかの富豪と再婚。兄は警察官で…まあ器用な奴だから逞しく生きてるんだろ」
そう淡々と他人事のように語るルシフェルにオズマは目を見開く。
「すまない…知らなかった」
「何で謝るんだ?どうせこの世界に来た時点で、俺とアイナに故郷は無い。むしろ別れを惜しむ相手が居ない俺のほうが気楽なもんだ」
肩を竦めて何でもない風のルシフェルにオズマは堪らない気持ちに駆られる。
「寂しくは……ないか」
「全然。俺は欠落した人間だから」
「お前は欠落してなんかない」
「さあ?俺の胸の内なんかお前にはわからないだろ?」
体を近づけオズマは真剣な顔でルシフェルを見つめる。
「俺がお前の帰る場所になる。俺の帰る場所も、お前だけだ」
熱い瞳で見つめられ囁かれるも、ルシフェルは感情のこもらない言葉を返す。
「涙の出るようなお言葉どうもありがとう」
「……本気で言っているつもりなんだが」
不満そうな顔をする男の首に両腕を回してルシフェルは挑発するようにくす、と笑った。
「馬鹿だな。前から言ってるだろ?俺は根なし草」
「ルシフェル……」
色香に当てられうっとりとルシフェルを見つめる欲情の瞳。自然とその腰を抱き締める。
オズマの後頭部を優しく、いやらしく撫で誘うような指先。
だが囁く言葉は残酷で。
「他にいい男が居れば、お前なんか直ぐにサヨナラだ」
うっとりとした瞳も、ルシフェルの言葉に途端ギラギラとした色を浮かばせる。
オズマは己のことを冷めた人間だと思っていた。
愛や恋などという浮わついたものに興味も沸かず、女性との交流の場に誘われても断るのが常。堅物過ぎると同僚たちに心配されてきたものだった。
ひたすらに武を磨き続けること。
バレンティノ王国を守るために皆の手本のような騎士であり続けることだけが生き甲斐であり、それが自分の人生だと信じて疑わなかった。
故に親から幾度結婚の話を持ち掛けられても、どんな美しい女性を紹介されても心動かない。むしろそれを面倒に思って父や母をずっと避けていたのに。
だが、今はどうだろうか。
この妖艶な恋人を前にすると箍が外れ自制が効かなくなってしまう。誰かのものになるなど、想像しただけで己がおぞましい化物になってしまう気さえした。
「俺は……お前を手放す気なんかない」
「俺に決定権はないのか?そんな一方的な男は嫌いだ」
「どうしたんだルシフェル、何故そんなことを突然……」
不安感から腰を強めに抱き締める。その圧迫にルシフェルは小さく息をついた。
「別に……ただ言ってみたかっただけだ。気にするな」
オズマの頬を撫で、その唇に唇を重ねる。そうすれば、オズマは少しだけホッとしたようにそれに応えた。
ただ本当に思っている。
オズマを真に愛する女性が現れれば躊躇なく離れよう、と。
こんな関係はいっそまやかし。
一度離れてしまえば、なんてことはなかったとオズマも思うはずだと。
収穫祭は三日に渡って開かれる。広大で肥沃な土地に育った麦を村の皆で文字通り収穫するのだ。
その前夜祭が今日の夜行われる。日もそろそろ暮れ始め、しかし村の広場には炎魔法で灯りが点され準備は着々と進んでいた。豪華なバイキング形式のご馳走や、後で打ち上げるのであろう花火がこれでもかと揃えられている。
オズマに案内され、賑やかな広場を眺める。
小さな村と侮るなかれ、そんな言葉がふとルシフェルの頭に浮かんだ。
流石は多くの騎士を輩出するだけのことはある。周りを見渡せば鍛え抜かれた若者が精力的に参加している。他所からやってきた盗賊が金目当てに襲おうものなら、つついた藪から飛び出すのは蛇ではなく熊だ。
「若者がこんなにいる村も珍しいな」
ぽつんと溢したルシフェルの言葉にオズマは可笑しそうに同意する。
「普通は大きな街へと出ていくものだからな。この村は例外だ。逆に多くの若者が志願しにくるものだ」
「そんなに来られたら村が街になるんじゃないか?」
「すべてを受け入れる訳じゃない。定員は毎年決まっている。父の眼鏡に敵った者だけが入村を許されるようになっている」
オズマの父。
出掛けているらしくまだ姿は知らないが、屈強な騎士を育成しているほどだ。見た目は想像に難くない。
「お前の父親も騎士団長だったのか?」
「ああ。祖父が亡くなり十年前に引退したが、今でも戻って欲しいと言う声は少なくない」
「そんなこと言われて嫌じゃないのか」
現団長はオズマだ。それを聞いて不快に思わないのだろうか。
ルシフェルの視線にオズマはああ、と思い出したかのような声を上げる。
「俺も父の下騎士団に所属していたからな。比べられるのもむしろおこがましいくらいだと思っている。父はそれほどに優れた武人だ。俺程度、まだまだ敵わないさ」
自分の父親を尊敬し称える息子も珍しい。そういえばアルも父王に憧れ尊敬していると目を輝かせながら言っていた。
父の記憶が曖昧なルシフェルからすれば、自分が知らないだけで普通はそんなものなのか?と少し首を捻る。
「そういえばお前の両親はまだ帰らないのか?」
「………ああ。そのようだ。お前を早く紹介したいんだが」
「間違っても恋人とか言うなよ」
「なっ……そ、それはだな……」
途端に慌てるオズマにルシフェルは溜め息を吐いた。
言っておいて良かった。
会って早々「付き合っています」なんて公表されようものなら二度とこの村の敷居は跨げないだろう。
「どうせなら愛嬌たっぷりの可愛い女を紹介してやれよ。俺みたいな無愛想で、しかも男を紹介なんかしてみろ?俺はお前の父親に殺される気しかしないぞ」
「そんなことはない。俺は二人を信じている」
「受け入れてくれるって?無理あるだろ」
オズマは心外だと言わんばかりにムッとする。
「父も母も話のわかる人だ。きっと理解してくれる」
「もしかしてお前、そのために俺をここに?」
「…………………………………そうだ」
たっぷりの沈黙の後、肯定される。
はあ、と今度はわざとらしく肩まで竦めて見せる。真っ直ぐであることは勿論長所だが、ここまで尖れとは誰も言っていない。
「収穫祭とやらはついでだったんだな。呆れる」
「故郷を見て欲しかったのは本心だ。祭りも勿論お前と参加したかった。ただ……まあ、挨拶は早いに越したことはないだろうと……」
「俺お前のプロポーズ断ってるだろ」
「そ……!それは、そうだが……付き合っているのは確かだ。恋人を紹介して何が悪い」
開き直ったなコイツ、とルシフェルはやれやれと内心首を横に振った。
「もし誤って恋人だなんて紹介してみろ。俺は一人歩いて城下まで帰るからな」
何かを物凄く言いたげなオズマだったが、後ろから声を掛けられそれは叶わなかった。
「オズマ坊っちゃん」
フェリスだ。
「申し訳ありません、ちょっとよろしいですか?」
「あ、……ああ。すまないルシフェル。ここでちょっと待っていてくれ」
ルシフェルに後ろ髪を引かれる想いをしながらも、呼ばれるままオズマはフェリスについていった。
そうこうしている内にあっという間に空は闇色に染まり、点されている炎魔法がようやく本領発揮とばかりに温かく辺りを照らす。
待っていろ、と言われたものの周囲を散策するのは許されるだろう。
ルシフェルは目的もなく歩き始めた。
皆顔見知りである故に、見たことのないルシフェルを村人達は時々チラチラと気にしている。かと言って声を掛けられる訳でもないのでこちらからも敢えて触れない。
ドンっと背中に誰かがぶつかってくるまでは。
まあまあな衝撃が背中を走る。ルシフェルは何事かと視線を素早く巡らせた。
「ごめんなさい……!!!」
だが直ぐに慌てたような謝罪が飛び込んできて、思わず耳を塞ぎたくなるほどの音量に目を剥く。
「急いでたもので……怪我はないですか!?」
ぶつかって来たのは肩まであるサラサラの赤毛を揺らす綺麗な女性だった。年は自分より少し上だろうか、とぼんやり考える。
「大丈夫です。あの、拾います」
女性が落とした荷物を拾い土埃を払う。
ようやっと真正面からルシフェルの顔を見た女性はまあ!と口に手を宛て驚いていた。
「あ、ごめんなさい。この辺じゃ見ない方だったので驚いてしまって」
「友人に連れられて今日から手伝いに来た者です」
「そうだったんですか。収穫祭なんて基本身内だけで楽しむ祭りなので、外から来た方が参加されるのは珍しくて」
「そうなんですか」
耳に髪を掛けた女性はありがとうございます、と荷物を受け取った。そのまま去るかと思いきや話を続けるようで。
「年はおいくつですか」
「………………17です」
27歳だと言いたい所だがフェリス達にも学生と言ってしまっている。多少老けて見えるだろうが、誰もが十代だと疑ってないだろう。バレた時が後々面倒そうなので統一するに越したことはない。
ルシフェルが年齢を口にするや否や女性はそうなのね!と明るく笑った。
「私より随分下じゃない。落ち着いてるからちょっと下くらいに思っちゃった」
正解だと言ってしまいたい。27にもなって17と言い張るのも中々メンタルを使う。
そんな事はつゆとも知らず、女性は手を差し出した。
「来てくれてありがとう。私はレミリア。どうせ狭い村なんだからまた会うことになるじゃない?先に自己紹介しておきましょう?」
どうやら明るい赤毛に霞むことなく、性格までも明るいらしい。ルシフェルは合理的な提案にそれもそうですね、と細い手を握った。
「ルシフェルです」
「宜しくねルシフェル。それじゃあ私はこれで」
ニコッと人好きのする笑顔を見せ、レミリアはまた慌てるようにどこかへ走り去って行った。
香水だろうか。甘い果実のような残り香がそこに暫く漂った。
さて、と何事も無かったようにルシフェルは再び散策を始める。
賑やかな広場から少し外れれば、そこは静寂に包まれた麦畑が視界一面に広がっている。
明日はこれを村の者総出で刈り取る作業が始まるのだ。
おおよそ同じ高さに成長した麦が風に煽られ同じ向きに靡く様は美しく荘厳でもある。明日には無くなってしまうと思うと、多少の勿体なさを感じた。
ふと、人影を見つけ目を凝らす。
広場では皆あんなに楽しそうに準備をしているのにこいつは何をしてるんだ、とルシフェルは不思議に思う。
だが直ぐに見知った顔だと気がつき、気安く話しかけた。
「お前、フェリスさんに呼ばれてどこかに行かなかったか?」
静かな通路にその声はよく響いたらしい。ゆっくり振り返りルシフェルを見る。
「こんなところで何やってるんだよ。もうすぐ前夜祭も始まるみたいだし、見に行かなくていいのか?」
「…………………」
話しかけても、返事がない。
確かにこちらを見てはいる。顔もよく見える。だがルシフェルを見るその目が、いつもと何か違う。
「…………?」
違和感を覚えるも、こちらに向かい歩き始めた姿に肩を竦める。
さっきの言葉….恋人として紹介するなと言った事を引きずっているのか。
それともフェリスに何か重大なことを告げられたとか。
まあ、本人に聞けばわかる話だ。
「オズマ」
そう声を掛けた瞬間、オズマは笑った。それは何時もの、どこか暖かさを滲ませる笑みでは決してない。ルシフェルは歩を止めた。
何かがおかしい。
だがオズマはずんずんとルシフェルに近づき、とうとう目前まで迫った。
そして。
「誰かと思ったが、お前オズマの知り合いか?」
オズマの、知り合い。
その言葉の意味がわからない。
どう見てもオズマは目の前の男だ。
まるで本人ではないような言葉が飛び出る違和感。
不可思議そうに訝るルシフェルの表情にオズマはさも面白いと言わんばかりに笑った。
笑い方すら何時もと違う。どちらかと言えばオズマは上品に笑う。今の笑いは……どこか下品だった。
「オズマ?」
確かめるように名を呼ぶと、オズマは首を横に振った。
「誰だか知らねぇが、俺はオズマじゃねぇぞ」
「オズマじゃない?」
「あいつから聞いてねーの?まあ、別にダチとする話でもないもんな」
頭を掻きながらなんとも間抜けな欠伸を一つ。何もかもがオズマと違うその仕草。それもその筈。
「俺の名は、テオドア・ランディール。オズマ・ランディールは俺の双子の兄貴だ」
初耳だった。
兄弟がいることすら知らなかった。
驚いているルシフェルの肩を、テオドアはバンバン叩く。
「はは!驚くなって!これでもオズマに間違えられることは滅多にないんだぜ?」
「俺には瓜二つにしか見えないんだが」
まだ驚いているルシフェルの様子に、テオドアは仕方ねぇなと腕を掴んだ。そのまま広場へと二人で向かう。
そして炎魔法で照らされたテオドアの姿に、ようやく合点がいった。
決定的に、色が違う。
さっきは暗がりでまったく分からなかったが、テオドアは身に纏う甲冑やマント。そして髪もすべて真っ黒だった。
「これでわかったろ?兄貴は金髪で俺は黒髪。顔はそりゃ一緒だが、見間違うことはねぇだろ」
「……確かに」
ようやく納得したルシフェルは、その顔を改めて見つめる。手を離したテオドアもルシフェルを見下ろした。
「お前兄貴のダチか?」
「ああ。収穫祭を手伝いに」
レミリアには敬語が咄嗟に出たが、オズマに似ているせいで言葉が普段通りになってしまう。
だが微塵も気にしていないらしいテオドアはへえ、と感嘆の声を漏らす。
「あんだけ王都から離れたがらねぇ堅物の兄貴が、ダチを地元に招待ねぇ。珍しいこともあるもんだ」
「たまには息抜きでもしたいんだろ」
「んな訳ねぇよ。兄貴には実家に寄りたがらねぇ理由があんのに」
「?そうなのか?」
「つーかさ、お前誰?」
思い出したかのようにテオドアは改めてルシフェルをまじまじと見る。そういえば自己紹介していなかったことを思い出す。
「ルシフェル・レイアート。一応バレンティノの学生だ」
「学生?へー、あいつそんな年下とダチな訳?妙なこともあるもんだな」
「……まあ色々とな」
「俺今帰ってきたばっかなんだが、兄貴は一緒じゃないのか?」
「フェリスさんに呼ばれてどっか行った」
「屋敷に行くっきゃねぇかな」
「……いや、どうやら戻ってきたみたいだぞ」
タイミングよくオズマが広場へ戻って来るのが見える。兄弟の感動の再会だな、とルシフェルは見物気分だ。
オズマはルシフェルを見つけると嬉しそうに手を上げて合図する。だがふと、隣に目をやった瞬間その場に足を止めた。
不思議に思いルシフェルはテオドアを見る。
その顔は不敵に笑っていた。
「よお、兄貴。久しぶり」
「テオドア……」
「何年ぶりだっけ?俺が屋敷を出る前には兄貴ももう居なかったしよ。四年くらいは軽く経ってるよな」
「収穫祭のために帰ってきたのか」
「そうそう。まさにその通り。大好きな故郷の一大イベントだもんな」
「……嘘をつけ。村に居た頃サボって良く父上に怒られて居ただろう」
「ははっそうだっけ?」
ルシフェルは二人のやりとりに何となく訳ありなものを感じた。それが何かは皆目見当もつかないが、和やかなムードとはとても言い難い。
その会話を蚊帳の外で眺めていたルシフェルの肩を、テオドアに突然組まれる。
「帰ってきたところで、丁度お前のダチに出会ってよ。楽しくお喋りしてたとこだったんだぜ。なっルシフェル」
「別に楽しい会話はなかった気がするが」
「そんなこと言うなよ、寂しいだろ?」
わざとらしく顔を歪めるテオドアに、顔は瓜二つでもキャラは真反対だと内心ごちる。
ふとした瞬間、オズマに腕を掴まれ怪力にこの身を引っ張られる。
「行くぞルシフェル。父上と母上がもう帰って来るらしい」
「……ああ」
握る力は心なしか、強い。
引かれるままついていく背中に、楽しそうなテオドアの声。
「後で俺も挨拶に行くって言っといてくれ」
その言葉に、オズマは何も返さなかった。