人生通して、何年も好きな歌はそう多くない。
柴田淳『今夜、君の声が聞きたい』
一番好き、と聞かれた迷わず挙げる一曲。アルバム『ひとり』に収録されていて、このアルバムごと人生最高の名盤。
死にたいくらいの気持ちの夜を、救ってくれる。自分だけが苦しいわけではないと感じる。
大貫妙子『春の手紙』
毎年3月や4月になると、朝家を出るとき、自然と頭に浮かんでくるイントロ。
あぁ、コートいらないな。この気持ちとこの歌はほとんどセットになっている。
coba『泣カナイデ』
曲だけで意味を感じさせるのは、やっぱりcobaならではだと思う。でも、最後に歌い出してしまうあたりやっぱり大好きだな。
槇原敬之『どんなときも。』
マッキーにはメジャーなのからマイナーなのまで含めていろいろ好きな歌があるんだけど、結局は一番好きなのはこれのようだ。
ベタだし、ストレートだし、それでいい。
絶望少女達『強引 ni マイ Yeah〜』
強がりは最大のポジティブ。そう、そうなんだよ。否定され尽くされてきた私にとって、この意味は大きかった。
普通の人と同じように歩んできても、たまたま就職先が役所であっただけで、忌み嫌われる毎日が待っています。
ちゃんと覚悟した上で就職してほしい。
私たちの死は美談でもなんでもない、嘲りの対象でしかない。
悪魔とか、あるいはクズとか言われながら生きていくしかない。
よく理解しておいてほしい。
大げさじゃないことが、わかるはずだ。
内示がありまして、私はショックを受けております。
生活保護課から異動になったわけではないんですが、ケースワーカーではなくなりました。
保護申請があったケースの資産、収入、生活状況を調査・記録し、保護の要否を判定する……調査員となりました。
はい、調査員となりました。
つまり、保護の入口を任されたわけです。
この係は基本的に何年も保護課に勤めてきたベテランのワーカーだけで構成されるということだったので、私が行くことになるとはまったく想像だにしていませんでした。まったく。
実際、来年度の名簿を見ると、私はダントツの若手です。
内示が出た瞬間、課内で私の名前がある位置に気付いた何人かがどよめいてました。
なんで、あいつが、と。あんなひよっこに任せて大丈夫なのか、と。
係長の話では、課長が相当買ってるんだと。買い被りです。
任されたのは本当に一番難しいところ。私にやれる自信がない。
でも、やるしかないし。
なんだか、新章開幕な気分です。
最近よく、たかだか20数年生きたくらいで「俺らくらいのおっさんが……」「私くらいのおばさんになると」という会話を耳にする。いちいちツッコミはいれないが、どうも違和感を持ってしまう。
自嘲的に話しているのかと思っていたが、どうも彼ら彼女らの中には、本気でそう思っている人がいるらしい。そう思わざるをえなくなっているのかもしれない。
職場でのことを考えてみる。
若い職員、というのは当たり前だし、自分を「おっさん」「おばさん」ととらえている同期はまだいない。
そもそも、30代だって若手といえるくらいなのだ。「おっさん」「おばさん」どころか子供である。
と、いうことは「おっさん」「おばさん」という概念は相対的なところから生まれている感覚なのかもしれない。
近年はネットの使用層も広がってきていて、50代や60代のユーザーも増えている。が、私自身もそうだが、ネットを使用しているメイン層は若い世代というイメージが強い。そのためなのか、ネット上では20歳になったばかりのユーザーに対してさえ「おっさん」などとう野次が飛ぶことがある。
私は以前、ネットにおける20代ですら「ババァ」と呼ばれる現象を、ロリコンによるネガティブキャンペーンだと半ば冗談めかして書いたことがある。が、どうやらネガキャンの主体はロリコンだけではなさそうだ。
若すぎる環境のなかで、上の世代は次から次に「おっさん」として消えていくしかないようである。自分を「おばさん」として消していくしかないようである。
超高齢化社会などと言われる現代日本。街を歩けばお年寄りばかりが目につく。
引きこもってネットばかりやるのではなく、外に出て街を歩いてほしい。まだ自分が「おっさん」でも「おばさん」でもないと気づいてほしい。
www.kaien-lab.com
こういう取り組みをメインにした企業は知らなかった。
ちょっと頭に入れておきたい。