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過去の恥をちょっと穿り返しました。
一応隠しリンクにはしたけど、携帯だと簡単に見つかるんだろうか。
あとで確認します。
パソではなかなか見つからないと思われ。

酒呑童子

お久しぶりの妖怪情報更新。


日本最強の鬼だとよく言われる。白面金毛九尾の狐である「玉藻」、大天狗となった「崇徳天皇」と並んで日本三大悪妖怪と言われる。
京都と丹波の国境、大枝に住んでいた鬼の棟梁で本拠地は大江山で龍宮のような所に住んでいた(大江山は丹波の大江山説と京都市と亀岡市の境にある大枝山説がある)。
主な配下に副首領の茨木童子、四天王として熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子がいた。
出生伝説は色々あって
八岐大蛇がスサノオに負けて出雲から近江へ逃げ、そこで富豪の娘と子をなしたのですが、それが酒呑童子だとか。
越後説1…弘法大師が活躍した平安初期に越後で生まれ国上寺の稚児になった(国上山麓には酒呑童子が歩いた稚児道がある)。12,3歳でありながら絶世の美少年で多くの女性に恋された(外道丸と呼ばれる)。しかし彼は全て断り女性達は恋煩いで死んでしまった。そして彼は彼女等の恋文を焼いてしまい(読まずに放置し行李に 入れた文を思い出して行李を開けたら煙に巻かれたとも)、想いを遂げられなかった女性の恨みに因って文を燃やした時に出た煙に巻かれ鬼になった。その後本州を転々とし大江山に。
越後説2…鍛冶屋の息子として産まれたのだが、母の腹で16ヶ月過ごし、生まれた時には歯も髪も生え揃いすぐに歩き5,6歳程度の言葉を話したらしい。4歳にして15歳くらいの知識と体力を持った。その才覚は勿論、気性の荒さもあり周囲に鬼っ子と呼ばれた。その後6歳で母に捨てられ鬼に堕ちた。
捨てられなかった説では鬼っ子と蔑まれ寺に預けられたが住職が外法使いでその住職に外法を習い鬼になったとも。
 
伊吹山説…八岐大蛇と人間の間で産まれ若くして比叡山の稚児となり修行するも仏法で禁止された飲酒をし、しかもそれが大酒呑みで皆に嫌われていた。ある日彼は祭礼で仮装用の鬼の面付けたが、祭礼の後外そうとしても外れない。顔に吸い付いて外れないものだから仕方なく山奥で鬼として暮らしていた。そして茨木童子と会い 京都を目指した。
 
大枝町説…平安時代から鎌倉に掛けて都を荒らした無法者としての鬼。京都の西京区大枝と隣接する亀岡市篠町王子(小字に大江山がある)を本拠とし大枝山と呼んだ。そこは京都と外界の境界とされる。
 
大和説1…奈良県にある寺の稚児が近くの山で人の死体を見つけて好奇心でその肉を持ち帰った。彼はそれを人肉だとは言わずに師の僧侶に食べさせた。その後彼は頻繁に肉を持って帰るようになったのだが、やがて死体の肉を奪うだけでなく生きた人間を襲い出した。不審に思った僧が彼の後を追って真相を知ってしまい彼を厳し く責め山に捨てた。その稚児が酒呑童子となった。因みに彼が捨てられた場所は「ちご坂」と呼ばれるようになった。
大和説2…住職のもとに生まれた子が成長すると牙や角が生え、気性も荒々しくなる。住職は世間体を気にしてその子を捨て、その子が大江山に入り酒呑童子となった。

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