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天邪鬼

天邪鬼

悪鬼神、小鬼の一種。
仏教では人の煩悩を表す象徴。
あまり強い力を持たない。
シャーマン的な存在が人の心を読み悪戯をしかけるウチになったとも。

茨木童子

茨木童子

酒呑童子の最も重要な部下。副首領。
酒呑童子と同じく美少年で女性に言い寄られ母に将来を案じられて神社に送られる。ある日家に帰って母が行李に隠した血塗の恋文を見つけ、その血を指で一舐めしたため鬼になった。

他に、産着のまま捨てられていたのを酒呑童子に拾われ茨木と名付けられ育てられた説、捨てられた後床屋の子として育ったが仕事中剃刀で客の顔を傷つけてしまい慌てて血を指で拭い、指を綺麗にしようと舐めた所その味が癖になり以後態と客の顔を傷つけるようになった。それを床屋に怒られ気落ちした彼が小川の端に凭れ河の 水面に映る自分の顔を見て鬼の様だと思い山に逃げ酒呑童子と出あう説(その橋は茨木童子貌見橋と呼ばれた)。
女説、酒呑童子の息子説、恋人説がある。

出生地は摂津説と越後説がある。酒呑童子一味は大江山を拠点に京の貴族の子女を誘拐するなどしたが、山伏に扮し宿を求めるふりをしてやってきた源頼光と頼光四天王によって壊滅(酒宴の後酔っ払って動かない所をやられた)。茨木童子は酒呑童子が討たれるのを見てこれはマズイと唯一逃げ延びその後頼光四天王の一人渡辺綱と 一条戻り橋や羅生門で戦う。渡辺綱に名刀髭切で腕を切られそれを取り戻しに綱の元へ行く話が有名(調べればわりとすぐに出てきます)。

酒呑童子

お久しぶりの妖怪情報更新。


日本最強の鬼だとよく言われる。白面金毛九尾の狐である「玉藻」、大天狗となった「崇徳天皇」と並んで日本三大悪妖怪と言われる。
京都と丹波の国境、大枝に住んでいた鬼の棟梁で本拠地は大江山で龍宮のような所に住んでいた(大江山は丹波の大江山説と京都市と亀岡市の境にある大枝山説がある)。
主な配下に副首領の茨木童子、四天王として熊童子、虎熊童子、星熊童子、金熊童子がいた。
出生伝説は色々あって
八岐大蛇がスサノオに負けて出雲から近江へ逃げ、そこで富豪の娘と子をなしたのですが、それが酒呑童子だとか。
越後説1…弘法大師が活躍した平安初期に越後で生まれ国上寺の稚児になった(国上山麓には酒呑童子が歩いた稚児道がある)。12,3歳でありながら絶世の美少年で多くの女性に恋された(外道丸と呼ばれる)。しかし彼は全て断り女性達は恋煩いで死んでしまった。そして彼は彼女等の恋文を焼いてしまい(読まずに放置し行李に 入れた文を思い出して行李を開けたら煙に巻かれたとも)、想いを遂げられなかった女性の恨みに因って文を燃やした時に出た煙に巻かれ鬼になった。その後本州を転々とし大江山に。
越後説2…鍛冶屋の息子として産まれたのだが、母の腹で16ヶ月過ごし、生まれた時には歯も髪も生え揃いすぐに歩き5,6歳程度の言葉を話したらしい。4歳にして15歳くらいの知識と体力を持った。その才覚は勿論、気性の荒さもあり周囲に鬼っ子と呼ばれた。その後6歳で母に捨てられ鬼に堕ちた。
捨てられなかった説では鬼っ子と蔑まれ寺に預けられたが住職が外法使いでその住職に外法を習い鬼になったとも。
 
伊吹山説…八岐大蛇と人間の間で産まれ若くして比叡山の稚児となり修行するも仏法で禁止された飲酒をし、しかもそれが大酒呑みで皆に嫌われていた。ある日彼は祭礼で仮装用の鬼の面付けたが、祭礼の後外そうとしても外れない。顔に吸い付いて外れないものだから仕方なく山奥で鬼として暮らしていた。そして茨木童子と会い 京都を目指した。
 
大枝町説…平安時代から鎌倉に掛けて都を荒らした無法者としての鬼。京都の西京区大枝と隣接する亀岡市篠町王子(小字に大江山がある)を本拠とし大枝山と呼んだ。そこは京都と外界の境界とされる。
 
大和説1…奈良県にある寺の稚児が近くの山で人の死体を見つけて好奇心でその肉を持ち帰った。彼はそれを人肉だとは言わずに師の僧侶に食べさせた。その後彼は頻繁に肉を持って帰るようになったのだが、やがて死体の肉を奪うだけでなく生きた人間を襲い出した。不審に思った僧が彼の後を追って真相を知ってしまい彼を厳し く責め山に捨てた。その稚児が酒呑童子となった。因みに彼が捨てられた場所は「ちご坂」と呼ばれるようになった。
大和説2…住職のもとに生まれた子が成長すると牙や角が生え、気性も荒々しくなる。住職は世間体を気にしてその子を捨て、その子が大江山に入り酒呑童子となった。

温羅

温羅(うら)
 
岡山に残る桃太郎伝説のモチーフ。
「うらじゃ」の「うら」は鬼の事。
 

吉備地方で百済の王子と自称した鬼。
あまりに悪さをするから吉備の人に都に訴えられ、崇神天皇が孝霊天皇の子供の四道将軍(よつのみちのいくさのきみ)の一人、吉備津彦命が派遣された。

吉備津彦命が温羅に矢を一本ずつ射るも、その矢は尽く岩に飲み込まれてしまった。
そこで今度は二本の矢を一度に射た所、その矢は温羅の左目を射抜いた。

射られた温羅は雉に化けて逃げたが吉備津彦命はそれを鷹に化けて追った。
次に温羅は鯉に化けて更に逃げ、吉備津彦命は鵜と成りそれを捕らえ討った。

この伝説から矢喰神社、温羅の眼の血が流れた血吸川、鯉喰神社が存在する。

因みに、刎ねられた首は死んで尚唸り声を上げ、犬に食べさせ骸骨にしても唸り、御窯殿の下に埋葬しても唸り続けた。
それに困った吉備津彦命はある日温羅が夢に出てきて、温羅の妻である阿曽媛に神饌を炊かしめれば温羅自身がお前の使いとなって吉凶を告げようと言った。

この事から鳴釜神事が始まった。
 
また、温羅は吉備を治めた技術者で豪族ではないかともされる。

吉備は鉄の産地で「真金吹く吉備」と呼ばれました。
岡山県には哲多町(鉄多からしかも今は合併して新見市だけどする前は阿哲郡)、刀鍛冶、などの鉄に関係する地名が多数あります。
血吸川の赤さは鉄分によるもの。

実際に、温羅が拠点としたと言われる鬼ノ城の東麓には日本最古級の製鉄遺跡があります。
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