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大切だった時間D

ある事件…

それが結局二人が
別れるきっかけの始まりになった。
彼は…
片親で子離れしない母親の元
何度も傷ついていた。
自分の身体を傷つけ…
それを知ったのは
彼が初めて友達を紹介してくれた時。
薄々気づいていた元ヤンの面影。
外でヤンチャして
中では閉じこもり。
義母親の干渉に押し潰され
親に本音は言えず。
悪い事もしたけど
それが彼の葛藤の仕方…

式場探しの日
彼は義母親と私に挟まれ
感情の持って行き場が無くなり
遂に…
手を挙げられた。
車に乗ったと同時の事
額に出来た傷から血が出た。
痛みと恐怖で私は車を飛び降り
逃げ出した。

別れなければ
私自身が生きていけない

別れ話を繰り返した

何度も謝る彼
外では何もなかったようにしか
出来ない私には
分かりたくないのに
彼が似たもの同士であるが故
その事は時間が経つにつれ
許してしまった。

「何があっても生涯守る」と
誓ってくれたから。

式場は
納得は行かない所やったけど
私達なりにやりたい事を
やり尽くしていいって
優しいプランナーさんに出会い
決めた。
時期は義母親が決めた。
二人の様子、付き合いを認めれたら…
一年以上前に式場決め。

でも、それでも色々な事が起きた。

今、思えば周りが言ってくれた意味は
漸く分かるかな…

大切だった時間C

全部書こうと思いながら
なかなか書けない。
でも、前に進みたい…


あの頃の私達は
職場も同じで
上司にシフトを殆ど
1ヶ月一緒に作られていた。
仕事も私生活も同じ。
私達はこのまま一緒に生涯居ると
思っていた。
私は両親の別居が始まってから
父親と会う時間はなくなり
母親、叔母、従姉と双子の子供には
彼を会わせた。
彼の母親の事は知った時から
結婚を反対したけれど
付き合いは許してくれた。
には父親が居らず
彼に懐くのも早かった。
子供好きで…
いつかは私達も子供欲しいねって
を一緒に買い
本当に毎日
幸せと葛藤の繰り返しだった。

別れ話はしても
承諾しない彼
付き合って3ヶ月目に結婚決めた。
ずっと義母親説得し
一年目には式場探した。
義母親の互助会の所では
どうしても結婚式したくなかった。
古風豊かが似合う場所かな。

結婚に夢を抱き
結婚式に憧れを持ち
その狭間で葛藤している二人

ある事件が起きた。

大切だった時間B

家族は崩壊し
私は心身崩壊し
自分がどうしたらいいのか
全く理解出来なくなっていた。

唯一、心から話していたのが
本当に信頼していた
元婚約者だった。
二人の中では3ヶ月目には
結婚を考えていた。
最低一週間に一度は
お母さんと逢い、話し、
付き合う事を許して欲しくて…

でも、お母さんの友人には
「あの人は女友達」としか
いつまで経っても言って貰えなかった
認めて欲しい自分
どうでもいいって
振り切って結婚してしまいたかった私

彼がお母さんの管理で生活している事
小遣い制
デートはいつも私持ち
出掛ければお土産

結局、父親の家から
母親の家に移った私は
実の母親の干渉の毎日。

正直、息苦しかった。
全く眠れなくなった。
生きていく事も辛くなった。

でも、身体を傷つけても
絶つ事は出来なかった。

護ること
護られること

何が正しくて
何が違っているのか
自分の本心で誰かとも話せず。

よそに男が居る
母親の事はどんどん嫌いになり
嫌いだった彼のお母さんを
いつしか自分の義母親になる人だと
覚悟してから
何故か少しだけ好きになっていた。

今思えば訳分からないけれど
あの頃は
私は感情は涙にしか表せなくなり
喜怒哀楽が涙
誰かと話す時はメールに手紙
仕事や外、家に居る時は
でしかなかった。
外面作るのに必死で
親とも
お母さんとも
友人とも
本音、本心でぶつかれなくて
何もなかったふりばかりだった。

元婚約者は
私が全てだと
私はあなたが全てだと
二人誓った日
何があっても結婚する
何があっても
お互いが一番の理解者である

だったはず。

書いたら前に進めるかなって
思っているけど
気持ち整理はナカナカ出来ない。
でも、もう私には
今の彼…しんちゃん
しか居ない。
親友
ここでのお友達

迷惑かけてばかりだけど
前に進みたい
誕生日迄には
少しは変わりたい

私が大切にしなきゃいけない時間は
これからのはず。

まだ続きます…

良かったらお付き合い下さいm(_ _)m

大切だった時間A

私にとっては
幸せな時間がありつつ
私の家族も崩壊していた。

私の兄の結婚式を境に
私の母親は
父と別居、離婚したいと話があった。
元々父は束縛をする、
[会社の飲み会、旅行もダメ]
料理は美味しくない時だけ
口に出して文句を言う。
その他は会話なし。
単身赴任も多く
一人の生活から自由が増え
問題は増えていた。

母は苦痛から逃れたいと。
自分の人生このままは嫌だと。

兄妹で出た結論は
自分らは成人しているし
気持ち離れているのを知っていて
止める気はない。

母は兄の結婚式翌日
父の仕事中に家を出る事を決めた。

そんな中、母の行動に
不審を感じる日々が増えた。
女の勘
母を問い詰めた。
同窓会で偶然再会して
話すようになり
互いに意識始め好きになったと。

父は昔から寡黙な人で
我が儘で勝手で…

だから、その人は
話を真剣に聴き受け入れてくれる。
それが一番嬉しいと。

ただ…
その人は関東に居て
直ぐには会えない。
しかも、相手には妻子が居ると…

母が離婚して
相手も一人ならまだ許せた。
でも…W○○は…

私だけが知ってしまった事実。
私は昔から
過保護されすぎる程の家庭に育ち
親の敷いたレールを
踏み外す事も許されず
学歴に煩い両親に挟まれ
小中高と虐めに合った。
当時のヤンキーには優等生虐めが多かった

そのせいか…
人に上手く気持ちを伝えられず
話す事も出来ず
私は当時はでblogを書いたり
チャットで見ず知らずの人に
聞いてもらう事だけが救いだった。

「結婚するまで
家を出る事は認められない」

私は一人になりたかった。
兄は反抗期が激しく
両親に暴行も見られた。
だから
兄だけは自立、更生させようと
一人暮らしをさせた。

家庭崩壊
家族崩壊

私は
心身崩壊し始めている事に気づき
全く眠れなくなった。
後に心療内科へ行き
重症扱いを受け
診断された。

両親からすれば
立派な子育てやったはず。
でも、私には自由もなく
過保護と思えた日々だった。

家族愛
見失ってしまった。

兄の結婚式後、母は家を出た。

私は父との生活を選んだ。
仕事が不規則な面、
仕事と言い、
彼との時間が増えた。

でも、彼の母の干渉、束縛も 
激しい物だった。
何度も別れ話をして
その都度
「俺は守る、失いたくないから。
母さんよりお前だよ。」
そう言われた。

彼と私
育てられた環境が似ていた分
惹かれてしまい
互いを支える
互いに自分で付けた身体の傷を
命を大切にするようになった。

何があっても
もう離れない
離れたくない
失いたくない

そう思った人は
初めてだった。

何度押しつぶされそうになったか
何度挫けたか

それは時に
恋にも愛にも情にも感じた事もあった


長いな…



大切だった時間@

コメ返より先にごめんなさい
気持ち整理していく為に…

私にとっては最後だと思った人
元婚約者との出逢いは
私が24歳の時
3つ年上の彼は専門から来たから
一年後輩で職場に入社した時だった。
当時お互いに恋人が居て別れた後に
一緒の夜勤した日があった。

夜勤明けで彼ともう一人の女の子と
三人で「ただ君を愛してる」を
観に行った帰りの事から始まった。

私は知らない道をただ連れ歩かれ
落ち葉を無邪気に踏み合う二人
気づいたら手を繋ぎ
そこから三日間位仕事も合わせて
一緒に居た。
お互いにあっという間に惹かれた

付き合い始めて5日目の事
彼の母親から呼び出された。
その日に言われたこと…

「うちの子供を誑かせて楽しいか?
付き合っているなら
何故挨拶に来ないのか?
うちの子供は
嘘ついて出掛ける子じゃない。
貴方には
別れたばかりの男が居るじゃないか。
何でうちの子なのか?」

三時間くらい説教されて
全く意味分からなかった。
噂にはあった
子離れ出来ない母親が居る
本当だった。
それから…
何度も別れ話があり
でも、彼は納得しなかった。
私はお母さんに挟まれる事で
精神崩壊した。
息子の携帯を見ている事。
デートするには行き先を報告。
母親の休憩時間には

それでも私は
彼の事愛してしまっていた。
別れきれない私。
お母さんから離れたい彼。
親離れしたかったんだよね。

付き合って3ヶ月
別れきれないなら結婚しよう
そう話が進んだ。

前のblogにも書けなかったけれど
友達には本が出せそうと
よく言われた恋でした。

一度に書けなくてごめんなさい。
前に進みたいから
全部書いてみます。
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