昨今の引越し検討に伴い、15年所有していたバイクを今日売った。
車両登録の届出を行ったのは、平成17年7月25日(大学卒業後に神戸届なので‐3年前が購入時点)。実に15年と1ヶ月。19,500-Kmしか走行していない。本当に出不精な主だったなぁと思いつつ、修理ばかりで申し訳ない気分になった。
最初は淡々と見積もり業者と話していたのだが、結局本日の見積もりで即決する事にした。
バイクを売る場合、業者専用のオークションがあり、競売に出せるかどうかでおおよその買取値段は決まるものらしい。よって、美品である場合は相見積もりを取るのも良いが、相見積もりを行う場合。同じ日時に両社を引き合わせて競わせるのが最も良いらしく。
逆に業者からすると「うわー(バイク所持者に)ハメられたなぁ、頑張ってみるか」と思うそうだ。
一方、大手でも不動車を修理して利益を上げるスタイルに強味がある、或は販売力に強味があり修理に対しては工数・金額の想定・実際のギャップが出る事を嫌う会社もあるらしい。
これからバイクを売る人は、相見積もりをとるならば、バイクボーイ、バイクランド、オメガワークス、バイク王の4社を同席させるように仕掛けるとよいだろう。
不動車にて電装3点、シャーシ2点/3点(破損修正あり事故扱いになる)、外装4点とのステータスにて4.4万円で引渡ししました。
続きは個人的な思い出話を。
いつか日記にバイク写真を上げていたと思ったのだが、埋め込んだ自分のHPを検索するGoogleだとヒットしなかった。
永らく乗らない事が多く、決まってバッテリー交換やギアの油分酸化によるサビなどで大掛かりな修理もした。
12年で2万km行かなかったのは、同じバイク乗りからすると驚嘆するほどだろうし、同時に「勿体ない・バイクに失礼」とも言われそうで耳が痛い。
思い返せば免許取得後。車かバイクかという話で、我を通して(ボンボンぽいけど)バイクを結局新車で買ってもらった。
今でも和歌山で引き取りに行ったとき、両親同伴だった恥ずかしい記憶は、今思い返すと鮮明だ。
バイク屋の主人は物語に出てくるような、元ヤンキー・暴走族がバイクショップやっていますな風貌で。
ヒヤヒヤしながら、購入したのを覚えている。
始めて乗った時の記憶は実のところないのだが、神戸・和歌山間をバイク(下道)で変える時、台風に直撃して前が本当に見えないままどこともしれない宿泊可能な銭湯で一泊したり。全身水気が滴る状態で入店はさぞや迷惑だったろう。
今ある自作のArt類の部材買い出しなどは、全部バイクで出かけた。あれらの大半は奈良で仕事をしていた頃のもので、あの頃は不便ゆえバイクで行動したものだ。荷物の運搬は本当に毎度ながら緊縛を応用した工夫を余儀なくされたが。
洗車場所がなく、あまり洗車が出来なかったのが心残りだが修理が得意という(買取担当者)バイクランドに引き取ってもらえたので、綺麗になっていい主人にめぐり合って欲しいと思う。
今日見積もり最中、3台しか止まらないバイク駐車場でお隣のバイクの所有者さんと出会った。ボロボロのカバーの中にキーロックを2つしっかりつけている様子は、大事にしているなあと思った。
駐車場スペースにカバーが飛んでいたと思い、俺のバイクにわざわざかけてくれたらしい。(買取業者がトラックを持ってくる合間だったため)
少しバイクオーナー同士で簡単な話をして、新しく交換したけど新品同然のカバーをその人に譲った。
快く引き取ってもらえて嬉しい限りだ。
一方、俺のバイクは2,3年前に生産中止となり、絶版車の種別になった。
次の住まいは駐車場がないし、実際乗る機会を今の生活サイクルで見いだせる余地がない。結論、売却するのが正しいのだが。
あの日購入するに至るまで、父親を説得したり、バイクに対するひたむきな憧れがあり。
父に買ってもらったバイク。
たかがバイクだが、手放した以上。「父が買い与えてくれた」あのバイクはもうない。
そう考えると、合理的だと理解は出来ても、涙がとまらなかった。
さようなら、俺のバイク。若かりし俺の思い。
さようなら、買ってくれた俺のバイク、お前は俺にとって唯一だったよ。
ありがとう。
エムブロを始めた理由は僅かな願いだったかもしれなく、その願いは叶わなかった。
2011年8月14日に始め、この6年後と2日後に、私のいくらかを含む要素を切除した結果。事象として只の結果と言えるが、彼岸たる盆と言うべきか。
断捨離などと宣えば響きは良いが、心なしか隙間風を感じる夜。
永らく乗らない事が多く、決まってバッテリー交換やギアの油分酸化によるサビなどで大掛かりな修理もした。
12年で2万km行かなかったのは、同じバイク乗りからすると驚嘆するほどだろうし、同時に「勿体ない・バイクに失礼」とも言われそうで耳が痛い。
思い返せば免許取得後。車かバイクかという話で、我を通して(ボンボンぽいけど)バイクを結局新車で買ってもらった。
今でも和歌山で引き取りに行ったとき、両親同伴だった恥ずかしい記憶は、今思い返すと鮮明だ。
バイク屋の主人は物語に出てくるような、元ヤンキー・暴走族がバイクショップやっていますな風貌で。
ヒヤヒヤしながら、購入したのを覚えている。
始めて乗った時の記憶は実のところないのだが、神戸・和歌山間をバイク(下道)で変える時、台風に直撃して前が本当に見えないままどこともしれない宿泊可能な銭湯で一泊したり。全身水気が滴る状態で入店はさぞや迷惑だったろう。
今ある自作のArt類の部材買い出しなどは、全部バイクで出かけた。あれらの大半は奈良で仕事をしていた頃のもので、あの頃は不便ゆえバイクで行動したものだ。荷物の運搬は本当に毎度ながら緊縛を応用した工夫を余儀なくされたが。
洗車場所がなく、あまり洗車が出来なかったのが心残りだが修理が得意という(買取担当者)バイクランドに引き取ってもらえたので、綺麗になっていい主人にめぐり合って欲しいと思う。
今日見積もり最中、3台しか止まらないバイク駐車場でお隣のバイクの所有者さんと出会った。ボロボロのカバーの中にキーロックを2つしっかりつけている様子は、大事にしているなあと思った。
駐車場スペースにカバーが飛んでいたと思い、俺のバイクにわざわざかけてくれたらしい。(買取業者がトラックを持ってくる合間だったため)
少しバイクオーナー同士で簡単な話をして、新しく交換したけど新品同然のカバーをその人に譲った。
快く引き取ってもらえて嬉しい限りだ。
一方、俺のバイクは2,3年前に生産中止となり、絶版車の種別になった。
次の住まいは駐車場がないし、実際乗る機会を今の生活サイクルで見いだせる余地がない。結論、売却するのが正しいのだが。
あの日購入するに至るまで、父親を説得したり、バイクに対するひたむきな憧れがあり。
父に買ってもらったバイク。
たかがバイクだが、手放した以上。「父が買い与えてくれた」あのバイクはもうない。
そう考えると、合理的だと理解は出来ても、涙がとまらなかった。
さようなら、俺のバイク。若かりし俺の思い。
さようなら、買ってくれた俺のバイク、お前は俺にとって唯一だったよ。
ありがとう。
エムブロを始めた理由は僅かな願いだったかもしれなく、その願いは叶わなかった。
2011年8月14日に始め、この6年後と2日後に、私のいくらかを含む要素を切除した結果。事象として只の結果と言えるが、彼岸たる盆と言うべきか。
断捨離などと宣えば響きは良いが、心なしか隙間風を感じる夜。
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- Since:14th,Aug.2011
- TODAY:2/10:YSTDAY
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