森 信成の講演内容を文章化したもの。

神に対する信仰が動揺した近世以降、哲学は唯物論か観念論かの潮流であると説明する。
つまり、意識に対して存在が根源的であるか、意識が存在に先立つかである。
この高尚な対立を、それぞれの代表的な哲学者の理論を用いて明確にしていく。

しかし、それは主観か客観か、意識か存在かの二元論ではなくて、どちらが根源的かということである。
両者の交互作用は当たり前なのであると注意書きする。(意識がなくては存在を認識できないし、存在がなくては意識はしない)

そして、マルクスの史的唯物論から弁証法的必然の理論を援用し、一定の形態はそれが発展すれば自分を否定する条件を自分の中から生み出すと発展させる。
そのうえで、ヘーゲルの「真理は全体である」と示し、各部分は全体との関連に置かれたときのみその妥当性と真理性を持つとし、個人的な意志が必然または偶然の結果として全体を動態させるする。

注意されていたように唯物論と観念論とを真っ向な対立として捉えていた私にとっては、新たな広がりを実感するものであった。
深く考えてみれば気づきそうなことではあったが、その誤解は本質の複雑さに比べれば平易なものに落ち込み、それ故見落としやすいものであった。(同時に詰めの甘さも実感。反省・・・)

シュールレアリスムも、時に観念的で時に唯物的でもあったので混乱があった。きっと、この誤解が混乱の種のひとつなのだろう。
理解の助けになりそうだ。



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