お弟子さんが書いた鈴木大拙の伝記と思想。
西田幾多郎とは心友の仲である。

二人とも参禅しており、二人の思想も禅に座している。
しかし、西田は哲学者として、鈴木は宗教家として、互いに照応しながら活躍した。

鈴木の著作を読んだわけではないが、鈴木の説く思想はわかりやすく思う。
もちろん、理解というわけではないが、なにか親しみやすく接しやすい。
鈴木も西田も参禅しているのもあり、二人の思想は近時しているが、西田はあくまでも東洋の禅を西洋の哲学で解釈しようとし論理付けた。(「日本人初の哲学者」といわれる由縁もここにあるかもしれない)
禅の広大で深遠な論理性を理路整然と記している。なので、禅経験のない私にとっては逆に難解であった。

対して、鈴木大拙は東洋の禅をそのまま海外へと輸出した。
例えば、生きとし生けるものはすべて仏となる性質を内にもっているという意味の「一切衆生悉有仏性」というのを西田は場所的逆対応の論理や絶対矛盾的自己同一などで説明するのに対し、鈴木はただ一息に「一切衆生悉有仏性」を読めと言う。
これほど、わかりやすいものはないと思う。あとは自分次第であるのだ。
これの著者も、これに代表する禅の心理主義のみの理解に注意を促しているが(つまり哲学も必要だということ。これには鈴木も了解している)、それだけわかりやすいということにもなるだろう。

次は、鈴木大拙の著書を読んでみたく思う。



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