A migratory bird…雀報恩

在るところに、お約束通りの大変心優しい老婆がおりました。

ある日のこと、腰の折れた雀を拾いましたので、家に連れ帰り手厚く看病いたしました。

そのうち元気になった雀は、どこかへ飛んでいってしまいました。

しばらくして、再び老婆の前に現れた雀は、一粒の種を落としていきました。

その種を庭に埋めたところ、芽が出てどんどん生長し、やがてたくさんの瓢箪が生りました。

その瓢箪を軒先に干しておいたところ、瓢箪から米が零れ出てきました。


いくら溢れても米は尽きず、老婆は何不自由なく裕福に暮らすようになりました。




それを見ていた隣の欲深い老婆は、自分もあやかりたいと怪我をした雀がいないか探しましたが、そう易々とは見つかりません。

そこで、雀に石を投げつけ見事に怪我をさせました。

その雀を拾って帰ったものの、世話もせず、そのうち煩わしくなり捨ててしまいました。

しばらくして、その雀がやってくると種を落としていきました。

老婆は早速その種をまきました。

やがて芽が出て生長し、瓢箪が生りました。

老婆はそれを収穫し、しばらく待ってみましたが、一向に何も出てきません。

トサカに来た老婆は、瓢箪を斧で叩き割りました。



すると……





上は宇治拾遺物語集に収められている【雀報恩の事】のあらすじだ。







伝承民話である【舌切り雀】の原型であるとされる。

この後は瓢箪から飛び出してきたセアカゴケグモだ、タイワンオオムカデだ、ヤドクガエルだ…と推測されるものに襲われ、心貧しき老婆は死んでしまうわけだが、原作を読まれると宇治拾遺というのは本当に面白い。

子ども向けに編纂されたものだと、先に書いたカチカチ山みたいに単なる教訓になってしまう。

えげつない話を純真な子どもの耳に入れたくない、という思いからだろうが、言葉というのは生きている。

滅菌消毒された棚で栽培される虫食れの穴のひとつもないキャベツよりも、しっかり大地に根を張り天恵に育まれたキャベツを子どもに食べさせたい。

そう思われる方たちが割高でも有機栽培された野菜を選ぶのは、口に入れるものから人の体が作られているからだろう。

同じように、目や耳から入ってくるものから人の心は作られる。





あくまでも僕の感じていることだが、死を怖がらない子どもが増えているように思う。

いや…子どもだけじゃなく、僕らも死を畏怖していない。



ケータイ小説の中の登場人物の死に涙しながらも、連日ニュース画面から流れてくるテロ犠牲者の数には何も感じない。



いつだか、酷く憔悴しきった声の女友だちが電話をかけてきた。

理由を訊くと、喪に服してるんだという。

ハマってた育成ゲームの中のペットが死んでしまって、とてもショックなのだと……

冗談じゃなく、これは実話だ。

笑うに笑えず、それでも何だか滑稽で、僕は弔電メールを送った。





さて、だいぶ話が逸れてきた。

ツバメの飛来する家は栄える、という言い伝えの由来について調べていたら、宇治拾遺物語の雀報恩にたどり着いた。

ツバメじゃなく、スズメの話じゃないか……と思われるだろうが、さらにこの腰折れ雀にはベースとなった話がある。

長くなったので、その話はまた次に書かせていただきます。