雨が窓を濡らしている。ざかざかと音を立てるそれにイヅルは急いで隊首室のそばの傘立てを見た。
「やっぱりだ!」
銀色の歪んだ幾何学模様が描かれた紺色の傘がそこにはあった。イヅルのただでさえ青白い顔が余計に白くなる。持ち手にはイヅルの副官章と同じ金盞花のピクトグラムが刻まれており、それがイヅルの焦りを加速させる。
(あれほど今日は降るって言ったのに!)
イヅルは副官室の自分の傘を取ると急いで一番隊へと向かった。
一番隊の前には同じように傘を持った副隊長達が何人かいる。いかに傘という品物が忘れやすいか分かる光景だ。
「なんだ、お前んとこもか」
「檜佐木さん」
黒い傘をさし、白い傘を持った檜佐木がイヅルに声をかける。
「東仙隊長もですか?」
「ああ。……ま、たまにわざと忘れてたりするんだけどな。雨とか雲が好きな人だから」
檜佐木は空を見上げて目を閉じる。イヅルもそれを真似た。
空は灰色の雲に覆われてはいるが、決して停止することなく流れておりそのたびにかすかに風の流れと匂いが変わる。地面や屋根や樹木に雨粒が当たればそれぞれ違う音を立てるし、傘から手をだせば冷たい雨粒が当たる。見えなくても雨にはこれだけの『楽しみ』がある。
「楽しいのは分かるが、風邪引かれることがたまにあるから俺はやめてほしいんだけどな」
檜佐木は困ったように笑う。
「……本当に隊長には元気でいてもらわないと困りますよね」
元気でも仕事をしないのがギンの基本コンセプトだが、それを言うのは副隊長失格だ。イヅルも苦笑した。
「あ、終わったみてえだな」
軒下にいた門番が扉を開ける。雨音に紛れて話し声が聞こえてきた。
「ほな、次の合同演習の最終打ち合わせはそっちで」
ギンは藍染と話していたが、藍染が傘立てから傘を取ったのを見ると、少しだけ視線を泳がせる。ギンに耳打ちをしながら藍染が珍しく少しだけ意地悪そうに笑う。イヅルは駆け寄ろうとした。
「イヅル」
「は、はいっ」
イヅルは少しだけ出鼻をくじかれたが、ギンに駆け寄った。傘を渡すとギンはいつもと同じ笑顔になる。藍染もからかうような表情はすでに引っ込めていた。
「傘、おおきにな」
「はいっ」
「ほな、また。五番隊長さん」
ギンは傘を差して歩きだす。イヅルも藍染に一礼するとすぐにギンの後を追った。
「五番隊長さんがボクの子供の頃んこと知ってるいうんは知ってるやろ?」
雨の街を歩きながらギンはぽつりと呟いた。
「はい」
「昔、ボクが一番さんとこに五番隊長さんの傘とその前の隊長さんの傘を持って行ったことがあってな。ボク、そん時も自分の傘持ってくん忘れてたんよ」
藍染がからかっていたのはその時のことだろう。背中しか見えないイヅルには今のギンの表情は見えない。しかし、声は少しだけいつもよりもトーンが高く、ギンの首筋がほんのり赤くなっているようにイヅルには思えた。
「なあ、イヅル。なんか食べたいお菓子ある?」
「お菓子、ですか?」
「うん、そん時の帰りに駄菓子屋さん寄ったんも思い出した」
ギンは振り向いていつものよりも少し子供っぽく笑う。もちろん返事は決まっている。イヅルは昔のギンと同じように答えた。