そうすれば、方法は元来歴史的なものそのものに外ならぬ。かくて科学方法論は知識社会学に結合しなければならない義務を初めから負わされていた筈ではないか。――だが現存する科学方法論と現存する知識社会学とには、事実到底このような結合を望むことは出来ない。実際そういうことは多少見当違いのことだろう。併し何故見当違いなのか。
外でもない、方法論は方法を、全く固定した事物としてしか理解せず、之を歴史的な動的発展に於て捉えようとしないし、知識社会学は知識――科学――の発展を、科学の内容(それが方法論理真理価値だ)の発展として理解せず、従って又科学の真に歴史的[#「真に歴史的」に傍点]な発展として捉えようとはしないからなのである。――で吾々の課題はこうなる、科学の方法[#「方法」に傍点]を歴史的[#「歴史的」に傍点]原形質にまで掘り下げ、同時に科学の社会的(歴史的[#「歴史的」に傍点])存在を方法の核にまで追跡する。この課題はどう展開するか。
一方に於て科学方法論は、科学的諸根本概念構成のイデオロギー的制約の問題[#「イデオロギー的制約の問題」に傍点]として、他方に於て知識社会学は科学に関するイデオロギー論の問題[#「イデオロギー論の問題」に傍点]として提出し直されねばならない。見られるように、こうすれば、二つの独立に見えた理論は、誤る余地なく、統一に齎されざるを得ないだろう。