パスカルというのはそのように不思議な存在なのである。もちろん、現在では事情が変っている。『パンセ』を初めパスカルのいくつかの作品が翻訳され、広く読まれている。私のパスカルもその後徐々に読者を見出すようになり、今も版を重ねている。出来不出来は別として、処女作の出版というものは著述家にとってつねに懐しい思い出である。
パスカルやモンテーニュから入って、私はフランス哲学に対して次第に深い興味をもつようになった。それもさかのぼると、西田先生の著書や講義でメーヌ・ドゥ・ビランなどという、当時わが国ではあまり知られていなかった哲学者のことを知らされて、未知のものに対する憧れを感じたことに由来するであろう。私はいつも未知のものに対して憧れてきた。マールブルクからパリへ、永らく考え慣れたドイツ哲学の土地を離れて出て来たのも、未知のものに対する憧れからであった。西田先生は近年ことによくフランス哲学の研究をひとに勧められていたようである。パスカルについて書いているうちに、次に書いてみたいと考えたのはデカルトであった。その時分シュヴァリエの『パスカル』および『デカルト』を読んで、その明晰な叙述から利益を受けたが、それに影響されたというものであろうか。この次はデカルトについて書くとたびたび友人に話し、一度は私のデカルト研究というものの予告が書肆の広告にも出たくらいであるが、いまだに実現しないでいるのは恥しいことである。――今度『文学界』にデカルト覚書の連載を始めたのも、いつまで続けられるか分らないことではあるが、せめて当座の埋合せにしたいためである。