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白いブラウス

習作。季節はずれですが夏の別れ話の話(ややこしい)。服の描写をしたかったというそれだけですが、続きも考えてみたいかもしれない。
 
 
「別れよう、わたしたち」
 
 部屋に通してもいつになくだんまりしていた里佳がぽつりと落とした言葉を、青天の霹靂と表してしまうことはできそうになかった。確固たる予感こそ抱いていなかったけれど、時おり里佳の言動の端々ににじみ出ていた限界のサインから、あえて目を背けている自覚はあったのだ。
 時子はローテーブルに置かれた二つのコップを見つめてから、今この場で崩れていこうとしている恋の相手に目をやった。シンプルなデザインの白いブラウスは、たしか何度目かのデートで時子が見つくろったものだ。フリルやリボンで主張しない代わりに、胸元の小さなボタンを外せばピンタックの隙間からキャミソールの柄が覗く。着回しがきくので重宝していると喜んでいたブラウスの袖から伸びた腕には、かすかに汗が浮いていた。冷房のスイッチはつい先ほどオンにしたばかりで、まだ涼気は部屋に満ちていない。徐々に上げていった視線が合いそうになったところで、里佳は逃げるように俯いた。
 彼女は特に内向的と呼ばれる性格でもないのに、時子の反応をうかがうときは決して目を見ないという癖がある。普段から直したほうがいいと告げてはいたのだが、どうやら忠告は今このときまで聞き入れられなかったらしい。
 
「そういうことくらい、私の目、見て話したらどうなの」
 
 かすかな苛立ちは返す言葉を尖らせる。言われてゆっくりと顔を上げた里佳の瞳には既に光るものが浮いていた。
 本当はお互いに知っていて、分かっている。自分たちはいつもどこか、ひとつずつボタンをかけ違えたようにずれていた。そのままでは着られないのに裾を引っぱって無理に着ていたら、いつかは生地を傷めてしまう。そうなればもう捨ててしまうしかないのに型紙にこだわり続けるのが、時子にはとても滑稽に思えた。

極光

習作。喧嘩したカップルの話。冬。
 
 
 公園の入り口からこちらに向かってくる茶色いふわふわしたものがある。それを見て私がついたため息は、数瞬きらきらと空中に漂ったあと、何事もなかったかのように消えた。
 そういえば以前、極域では吐息が白くならない、という知識をテレビ番組から得たことがあった。水蒸気が白く色づくには大気中の細かな塵が必要なのだが、オーロラが観測できるような緯度の高い地域では、空気が澄みきっているゆえにその条件を満たさないらしい。
 興味深い話じゃないかと、それを知ったときは思った。
 けれどここは日本の東京だ。
 オーロラなど望むべくもない、排気ガスと光化学スモッグに抱かれて息づくビルの国。シャボン玉は凍らないし冬空に吐きだした息は白く染まる。
 そんな国で私たちは生まれて育って出会って過ごして喧嘩をしている。
 
「なんで来るの」
 
 できるだけ低くと思って絞り出した声は、まるで獣の唸りのようになった。
 聞こえたのか聞こえなかったのか分からないが、茶色いふわふわは尚も近寄ってきて、やがてひとりの女性の形になる。
 私の視力では遠くから見たときに茶色いふわふわとして認識される、パーマのかかった茶髪のベリーショート。耳がさらけ出されていて寒そうだと他人事のように思う。いや実際他人事なのだけれど。
 
「来るでしょうよそりゃ」
 
 どうやら唸り声は聞こえていたらしい。
 その憎まれ口に意図通りむっとして、私は彼女のことを茶色いふわふわと呼び続けることを密かに決めた。
 
「来てなんて頼んでない」
「はいはい」
「はいはいって何。私怒ってるんだけど」
「知ってる」
「そうだよね、だって怒らせたのマリだもんね!」
 
 ああ、早速名前を呼んでしまった。
 
「そうだね、ごめんね」
 
 言葉とは裏腹に、茶色いふわふわ改めマリはしれっとしたもので、その無表情からは申し訳なさなんてかけらも伺えやしない。
 
「悪いなんて思ってないでしょう」
「思ってるから来たの」
 
 そういうところが嫌いだ。
 
「じゃあもうちょっとくらい『本当にごめんって思ってます』って顔したらどうなの?」
「そんなこと言われても、思ってるからとしか言いようがないじゃん」
「嘘でもちょっとは表情変えてみなさいよ!」
「嘘でいいわけ? …ねえ」
「馬鹿なの? いいわけないじゃない!」
「ユカリってば」
「なによ!」
 
 そうやって飄々としながら。
 
「…うち飛び出すのはいいけど、風邪ひくから上着くらい着ていって。あと眼鏡。裸眼なのによくここまで来れたね」
 
 ――なんだかんだ言って私を負かしてしまうところが。
 マリは低い柵をまたいで私が腰かけているブランコまで近づいてくると、傍らに抱えていたモッズコートをぐっと差し出した。有無を言わせない強さにうろたえて私がそれを受けとると、今度は自分のコートのポケットからなにかを取り出す。私の赤縁眼鏡だ。
 
「なによ、なによ…喧嘩してるんだからほっとけばいいじゃない」
 
 言い募るのを制するように、耳の上をプラスチックが滑った。
 視界が一気にクリアになり、公園の遊具と私の顔の両側に伸ばされた腕と、それから少しだけ眉根を寄せたマリの表情が、暗闇のなかではっきりとした輪郭を持つ。レンズを通さなければ分からないくらい微細な揺らめきだけれど、それでも無表情ではなかったようだ。
 耳に載った眼鏡のつるは、マリのポケットに入っていたせいか奇妙な温もりを持っている。
 
「本当に、そこまで怒るとは思ってなかった。ごめん。けど心配したんだよ」
 
 彼女は適当なくせに気が利いて、口下手なくせに私がほしい言葉を敏感に拾い上げる。
 マイナス評価とプラス評価が二転三転して、まるでカーテンの襞に生まれる陰影の山と谷だ。けれど結局カーテンは広げてしまえばひとつの布でしかないことを、私は知っている。
 何やら気恥ずかしくなり、立ち上がってマリの体の横をすり抜け、黄色い塗装の剥がれた柵をまたいで越えた。
 振り返るとマリもこちらを向いて、ついて行くべきかと問いかけるように、私の目をじっと見つめている。
 
「食べちゃったやつよりもっといいプリン、奢ってくれなきゃ許さないから」
 
 言い放って、抱えていたモッズコートを羽織った。
 人肌に温まっていない化学繊維は冷たかったが、パーカー一枚よりは格段に私を守る。かじかんだ手でファスナーを閉めながらオーロラの現れない夜空を見上げ、近づいてくるマリの足音を背中で聞いた。

この声が聞こえるうちに

習作。中途半端なところで切れていますが眠くなっちまいました
 
 
 ふわふわした感じ。
 漠然とそんな印象を抱いた理由は、もう一度しっかり目を合わせるとすぐに分かった――色素が薄い。
 目線は彼女の薄茶色の髪に移り、白い肌に映える頬のかすかな赤みに移り、最後に再び瞳に戻る。
 ミルクを注いだ紅茶の色をした瞳だ。
 
「わあ」
 
 あたしが思わず漏らした感嘆の声を受けてかは分からないが、少女は困ったような笑みを浮かべ、
 
「変な色だよね」
 
 ぽつりと呟く。
 同じことを幾度となく口にしてきたのだろう、すらすらと澱みのない発音だった。あたしのように瞳の色に興味を示す人間なんて、きっと今まで履いて捨てるほどいたに違いない。
 
「ううん綺麗。けど珍しいね。もしかしてカラコン?」
 
 そんな質問をしたのはたとえ不躾だというその一点だけでも、今まで同じ反応をした人々の中に埋もれたくなかったからだった。
 もしかするとその考えさえ使い古されてすり切れているかもしれないのに、あたしの水面は静かなまま、他の方法は何ひとつ浮かんでこない。
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