あおやま提督:対極の法則というのがあるね。
Sig:あるね。
あおやま提督:望みの結果を引き寄せようとすると
まずは反対の状態が出現する。
Sig:右があれば同時に左ができるね、闇の中でないと光は
感じられない、だから反対の性質のものが現れるということは
望んだものが現れていることの強調なんだよね。
あおやま提督:そこで思うんだが、私が幸福になったとしよう。
すると不幸な人が対極として現れるんだよね、これってさ、
自分のために不幸になった犠牲者がいるってこと?
Sig:犠牲者ではないね、あおやまさんの幸福を強調するために
現れた協力者だ。
あおやま提督:だけど協力者と言ってもやはり自分のためにその魂は
苦しんでるんじゃないかな・・・。
Sig:誰が苦しんでるの?
あおやま提督:私のために不幸になった人だよ。
Sig:あおやまさんは幸福を選択した。それと同じように
不幸になった人は不幸を選択した。自らの意志で。
あおやまさんが幸福を選択して不幸な人を出現させたことは
事実だけど不幸になった人は自ら不幸を選択した。
ここに神性なる二分法があるんだ。あおやまさんが選択したけど
その人が選択した。
あおやま提督:神性なる二分法か、久しぶりに聞いたな。
Sig:逆に考えてみよう。その不幸な人が不幸を選択したから
対極の法則として幸福なあおやまさんが出現し
その人の不幸は強調される、願いは叶った。
あおやま提督:!!!
Sigは満足そうにほっこりとしている。
少し間を開けてSigは語った
Sig:それとその不幸な人は幸福もちゃんと味わっているよ。
なぜならあおやまさんが見ているその不幸な人は不幸な"経験"をしている
パラレルワールドのその人であって、別のパラレルワールドでは
幸福に浸り、世界に宇宙に、神に感謝してることだろうね。
だから気兼ねなくあおやまさんは対極の法則に感謝して
幸福の標とすればいいんだよ。
あおやま提督:すると目の前に現れた人が不幸であればあるほど
幸福であることの証なんだろうか?だったら不幸な人を見つけたら
喜んでいればいいのかな?むしろ周りの不幸を長続きさせるように定期的に
絶望させることもしていいのかな?
周りの不幸を祈ることで自分の幸福が維持されるのかな?
Sigは表情を変えず涙を一滴流した。
Sig:周りの不幸を助長させる行為、周りの不幸を願う心
それが宇宙の法則によってどんなものが自分に還ってくるのか
分からないわけじゃないよね?
あおやま提督:うん、実はそう言って欲しかった。ありがとう。
Sig:分かっているさ。ところであおやまさん、対極の法則は
これで終わりじゃないんだよ。今、あおやまさんは
幸福であることを"知った"だけなんだ。魂は経験を望んでいるよ。
自分が幸福で周りが不幸、さぁ、こんな状態で自分は何を経験をするだろう?
あおやま提督:そうか!幸福だから人を癒せるんだ!!
Sig:
自分を表現するチャンスさ。
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