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対極の法則について その2

あおやま提督:ところでSig、不幸な状態では不幸を、
幸福な状態では幸福を引き寄せるもんじゃないのかな?

Sig:まずは対極の法則が働くね。
そうしないと状態を決定できないから。
もちろん自分が幸福を選択したからといって
必ず不幸な人が目の前に現れるわけじゃないよ。
どこか自分の知らないところに現れるかもしれないし
目の前かもしれない。前回のお話は目の前に現れた時のことだね。

あおやま提督:じゃあやっぱり幸福は幸福を、不幸は不幸を引き寄せるんだね。

Sig:まずは自分がどう"在る"かだね。
そうだよ。同じものを引き寄せ合う。

あおやま提督:自分がもともと不幸を引き寄せたのか、
それとも対極の法則が働いてるだけなのか、見極め方はどうするんだろう?

Sig:今までに自分がどんな自分で"在った"か、"在り方"を覗いてみるんだ。

あおやま提督:幸福を選択していたにもかかわらず
不幸が現れるときは対極の法則が、もともと不幸を選択していたら
当然不幸が引き寄せられる。この違いかな。

Sig:対極の法則によって落ち込んでしまって不幸に陥らないように
気を付けないといけないよ。(不幸はうつるからね、本当に気を付けて)
忘れてはいけないのは外部の状態で
あおやまさんが幸福になったり不幸になったりするわけじゃないということ。
もし不幸がうつりそうになっても一度立ち止まり観察すること。
真実を見抜こうとすること。自分はこれを選択するのか?こう"在りたい"のか?
受け入れるか否かの決定権は常にあおやまさんにあるんだ。
あおやまさんはどう"在る"かを選択する。

対極の法則について

あおやま提督:対極の法則というのがあるね。

Sig:あるね。

あおやま提督:望みの結果を引き寄せようとすると
まずは反対の状態が出現する。

Sig:右があれば同時に左ができるね、闇の中でないと光は
感じられない、だから反対の性質のものが現れるということは
望んだものが現れていることの強調なんだよね。

あおやま提督:そこで思うんだが、私が幸福になったとしよう。
すると不幸な人が対極として現れるんだよね、これってさ、
自分のために不幸になった犠牲者がいるってこと?

Sig:犠牲者ではないね、あおやまさんの幸福を強調するために
現れた協力者だ。

あおやま提督:だけど協力者と言ってもやはり自分のためにその魂は
苦しんでるんじゃないかな・・・。

Sig:誰が苦しんでるの?

あおやま提督:私のために不幸になった人だよ。

Sig:あおやまさんは幸福を選択した。それと同じように
不幸になった人は不幸を選択した。自らの意志で。
あおやまさんが幸福を選択して不幸な人を出現させたことは
事実だけど不幸になった人は自ら不幸を選択した。
ここに神性なる二分法があるんだ。あおやまさんが選択したけど
その人が選択した。

あおやま提督:神性なる二分法か、久しぶりに聞いたな。

Sig:逆に考えてみよう。その不幸な人が不幸を選択したから
対極の法則として幸福なあおやまさんが出現し
その人の不幸は強調される、願いは叶った。

あおやま提督:!!!

Sigは満足そうにほっこりとしている。
少し間を開けてSigは語った

Sig:それとその不幸な人は幸福もちゃんと味わっているよ。
なぜならあおやまさんが見ているその不幸な人は不幸な"経験"をしている
パラレルワールドのその人であって、別のパラレルワールドでは
幸福に浸り、世界に宇宙に、神に感謝してることだろうね。
だから気兼ねなくあおやまさんは対極の法則に感謝して
幸福の標とすればいいんだよ。

あおやま提督:すると目の前に現れた人が不幸であればあるほど
幸福であることの証なんだろうか?だったら不幸な人を見つけたら
喜んでいればいいのかな?むしろ周りの不幸を長続きさせるように定期的に
絶望させることもしていいのかな?
周りの不幸を祈ることで自分の幸福が維持されるのかな?

Sigは表情を変えず涙を一滴流した。

Sig:周りの不幸を助長させる行為、周りの不幸を願う心
それが宇宙の法則によってどんなものが自分に還ってくるのか
分からないわけじゃないよね?

あおやま提督:うん、実はそう言って欲しかった。ありがとう。

Sig:分かっているさ。ところであおやまさん、対極の法則は
これで終わりじゃないんだよ。今、あおやまさんは
幸福であることを"知った"だけなんだ。魂は経験を望んでいるよ。
自分が幸福で周りが不幸、さぁ、こんな状態で自分は何を経験をするだろう?

あおやま提督:そうか!幸福だから人を癒せるんだ!!

Sig:自分を表現するチャンスさ。
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