どうも、ハウリルです。

来週の日曜日は、大震災から一年が経ちますね。

恐らく方々で、震災発生の時間頃に黙祷を捧げる方々がいらっしゃると思います。




確か、その時間帯ゼミの飲み会前哨戦のカラオケ大会だわ。
あー。誰かが人の死を悼んでる間に、私はカラオケで思う存分叫んでるんだな。

っていう不謹慎ジョーク。


いや。別にさ。

人に強制されることじゃないでしょ?人を悼むことって。


誰かさんには誰かさんの人生があるように、その人にはその人のタイムラインがあるんだから。


一分間黙ることを「黙祷」っていうの?
それは違うでしょ。
大きな事件で死んだ人間以外には「黙祷」は捧げないの?
それは勝手でしょ。


だから私は、私が思った時に勝手に人の死を悼もうじゃないか。
時間とか、黙祷とかじゃなく。
ふと、思い出そうじゃないか。

それが、私の「勝手」だ。




大震災は結局、人間の醜さや政府の役立たずさをあらわにしてくれた。
天が怒りに震えているのなら、きっと地がそれを人に伝えたんだ。

なんてことは微塵も思わないが。

優しくない私は、たった一分思い出すだけの「優しさ」に、優しさを感じないのです。

上辺だけ取り繕ってるみたいに感じちゃってさ。
黙った一分間、何を考えているんだろうね、って。




それでも黙祷をしてくれる方は、どうか多くの魂が安らかに眠れることを祈ってあげて下さい。
見ず知らずの人へ。
同情はせずに。
ただ、祈ってあげて下さい。



あなたの行為が。
あなたの好意が。
“偽善”、と、揶揄されませんように。