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:†爽やかな夏風と迎え盆+α†:




はい。皆様こんにちは♪
昨日は眠い眠いと綴って記事が終わりましたが実はイノシシと遭遇していました燈乃さんですっ!!(○皿○)/

仕事から帰宅して18時過ぎに愛犬の散歩に行ったのですが、田んぼの畦道を走って来るイノシシを目撃。激震が走りました。
しかし。こちらがダッシュで逃げる前に、イノシシの方が先に逃亡しました(滝汗)

いや〜……ガチでビックリしました←

田んぼの苗も漸く稲穂が付き始めたので、この時期にイノシシが出て来るとは思いませんでした。山の食糧難半端無いなぁ。
台風も来ていますし、今稲穂を倒されるとかなり死活問題になるのですがね。人間も獣も鳥も植物も、生きるのに必死です。

そんなこんなで。今日は連日連夜猛暑が続いた日々と比べると、こちらは湿気も少なく空気も乾いていて、爽やかな風が気持ち良くて過ごしやすい1日になりました。

蝉の鳴き声に混ざり始めた鈴虫の声。
青葉から稲の色へと変わり始めた苗。

涼しい風の向こうに、少しずつ少しずつ、秋の気配の足音が近付いて来るような。
暦の上では秋。そんな迎え盆でした。


さてさて。本来ならば毎年恒例の創作怪談的創作文を載せたい所ですが、今年は職場の都合で余力が足りなかったので、残念ながら今年は少し遅れて載せる予定です。

なので。今回は実家に纏わる話を少し。

写メでも分かる通り実家は山の合間にあります。街中と比べれば正しく秘境地帯。
田んぼに沿って山の砂防ダムから川が流れており(山からの湧き水も含む)、実家は山の出入り口に当たる場所にあります。

公園なんてありませんし、テレビゲームの無い幼い頃は、本当に何の躊躇いも無く童心のままに山や川を駆け回ってました。

今でこそ、思い返せば微笑ましい思い出の光景ですが、反面、大人になった今では絶対に入っていけない場所に、あの頃はよく入っていけたなぁとつくづく思います。

『柳田國男×京極夏彦 遠野物語 remix』を読み終わった今だからこそ分かりますが、山深い場所って何気に怖い話が沢山有るんですよね。怪異の住処。山は此岸と彼岸の境界とも言いますし。実際に山の出入り口と思われる場所には、川を跨いで(短い橋渡しの様な形で)道を敷いています。

何と言うか、空間と空間とを区切る敷居とか縁(へり)の役割をしているのかなと。
(※礼儀作法なのか倣わしなのか、昔から部屋の敷居や畳の縁は踏んではいけないと良く言われて来ました←主に祖母から)
幼い頃から、暗くなってからは奥の田んぼの方には行くなと言われてますし、やはり山には色々とナニかいるんでしょうね。

樹齢百年はとうに越している大きな椿の樹があるんですが、木霊とか宿っていたらと思うとちょっとドキドキします。最近元気がなさそうなのが、ちょっぴり心配(凹)

あとは。子どもの頃って、良く隠れんぼをして遊んだ記憶が有るんですが、子どもの隠れる場所って、基本的に鬼には簡単に見付けられない場所を選びますよね。

狭い場所。暗い場所。低い場所。高い場所。様々あると思いますが、これらの場所を集約すると、大体『異界の一歩手前』的な場所に落ち着くんですよね。今時の洒落た建築物じゃなくて、本当に昔ならではの日本家屋とか。南玄関で土間を跨ぐと直ぐに居間が見える様な。畳和室で親族が集まれる客間が有って、障子戸の向こうに庭が見渡せる回廊状の縁側が続いてる感じの。

そんな造りの家だと、隠れる場所は大体決まっています。縁側の下だったり。布団の隙間だったり。箪笥の後ろだったり。押し入れの中だったり。トイレの個室だったり。納屋の中だったり。屋根裏は流石に無かったですけど、『物陰に隠れる』と言う部分は、どれも子ども心に共通した着眼点ですよね。身体が小さいから、尚の事そう言った場所を見付けやすいんでしょうね。

そして。大概そう言った場所は、ナニかが居たりします。良く『入ってはいけない場所(開かずの○○)』に入って神隠しに遭ったと言う昔話は耳にしますが、上記を挙げると、家の中でも十分に遭遇する可能性は有ります。家に纏わる妖怪も沢山居ますし、とある怪奇譚でも家で隠れんぼをして神隠しに遭ったと言う話が有りますから。

……はい。ここまで大分長くなってしまいましたが、要点を纏める、子どもの頃―もとい、子どもは『怖さを怖さだと知らない怖さ』を持っているのかも知れません。

大人が知っている怖さ。大人になってから知った怖さ。大人だから知っている怖さ。大人になったら絶対に入っては行けない領域。大人が躊躇して入れない『場所』。

そこに入れる無謀さ。旺盛な好奇心。
踏み入れた先に待つモノが何なのか。

何が有るかも知らない。それでも前進すると言う予想もしない怖さを持っているのが、子どもの純粋な所であり怖い所でもあると思いました。だからこその、昔から語り継がれている寓話や教訓が、戒めとして存在しているのかと。何と無くですが、改めて感じ入ったお盆の日でした。


【昼間の出来事ダイジェスト】
『昔は良く山に登って無我夢中で探検したけど、今でも出来る?』
と言う私のからかい半分の問いに対し、

『あー、うん。今は絶対に無理だわ』
と思いの外真顔で返した兄貴の台詞に、

『ああ。成程』と、素直に納得した私がいたことに、時間の流れを感じました。


記憶に。感情に。居場所に。思い出に。
境界線を引くのは、何時だって人間だ。



ではでは、今回はこの辺で☆



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