「デイモンが裏切った。現在北部へ逃走している」
執務室に静かな声が響き渡る。
遂にその時が来た、と思って僕はそっと息を吐いた。
前からスペードがジョットと諍いを繰り返してたのは知っていた。どちらもお互いに理想があって自分の意見を譲らないし揺らがないからいずれこうなる事は分かっていた。
エレナを失ったスペードは更に強さを求め、ジョットは二度と大切な人間が抗争に巻き込まれる事が起こらないようにマフィアではなく自警団を貫く事を決めている。
求める理想が違う以上、衝突は避けられない。どちらが悪いか…なんて僕には決められない。強いて言うなら傍観を決め込んだ僕が一番悪いのかもしれない、と。ふと思った。
「全員で追跡はするが…アラウディ、お前は捕縛が得意だろう?スペードを捕らえてくれないか。……もし、抵抗するようなら…」
「………そう、」
いっそ痛い程の静寂の中、紡がれた死刑宣告。
シモンファミリーの件は極秘にしてスペードの作戦が上手くいったように見せていたけど。それでも必要以上に他人を騙し組織を潰してきた彼の行動をフォローするにはもう限界があった。これ以上罪もない多くの人の血が流れない為に、最善で最悪の結論だった。
この場にいないスペードと僕を除いた5人の守護者の顔を見れば何かに耐えるような表情をしている。きっとそれはかつての仲間を失う事への、自分達が殺さなきゃいけないかもしれない事への痛み故だろうか。
普段から表情を崩さないから僕には平気だと思われたのだろうか。近くにいる筈の怒鳴る声が遠くに聞こえる。仲間を殺すかもしれないのに何も思わないのか、とか。耳障りでしかない。
――君達が思うより、ずっと僕の方が痛いよ。
怒鳴り声に対し何も言わずに会議室を出て自室へと向かう。部屋に入って扉を閉めれば一人になった事は明白。そのまま扉に背を預けて力を抜けばずるりと崩れ落ちた。
自分を見る人間はいないのに、本当は泣きたいくらい心が抉られ痛いのに、それを表に出せない自分を呪う。今、僕はどんな顔をしているだろうか。
スペードと何かあった訳ではない。恋仲でも無かったしスペードには既にエレナがいた。だから、これは僕の一方的な、恨みにも憎しみにも情愛にも似た想い。
もしも君に出会っていなければ人を想ってこんなに胸が痛む事を知らないまま死んでいたかもしれない。
もしも理解し合っていたなら、彼の裏切りを阻止出来たのかもしれない。
「 」
音として紡がずに唇だけ動かして吐き出した言葉は誰の耳にも届かずに風に溶けて消えていった。
全てはもう遅い事なのだけれど。
そして追跡から1ヶ月後。
彼を、見つけてしまった。
全力で追い掛けてはいたけれど、どこか心の隅ではこのまま捕まらないで欲しいと思っていたのに。あっさりと彼は僕に捕まった。
対峙して、説得して、銃を向けても。彼の野心は変わらない。霧に紛れて手錠を抜け出す事なんて容易いのにそれをしないから、僕はいよいよ銃を使う選択肢しか無くなった。
撃鉄を下ろし照準を彼へと定めると、ゆっくり彼は微笑してみせる。綺麗に、何の裏や策もない、静かな笑み。苦しくなる胸を無視して、僕は静かに眼を閉じた。
脳裏によぎるは今までスペードと過ごした日々。碌な思い出じゃない。いつも衝突しててまともな会話なんてした覚えがあまりない。
もっと話しておけば良かった、後悔のないように。話して心を通わせ震わせて。今更そんな風に思っても何もかも遅かった。
瞼を開けば逃げずに弾丸を受け入れようとする姿。
「 」
意を決して指先に力を入れたのと同時に開かれた彼の唇。何を言っていたのか、なんて。
響き渡る銃声に掻き消されて、辺りが静かになった後なのに、まだ君の声は僕に届かない。
―――――――
あれから何十年経ったのか、私は憑依を繰り返して野望を叶えようとしたが終ぞその願望は叶う事なく]世の大空に敗北した。
さらりさらりと少しずつ消え行く魂。ふと視線を空から逸らせば私の作り出した幻覚世界から解放された黒髪の子供がいた。見れば見る程に似ている、私の世代の雲に。
『雲雀恭弥という男をわかっていませんね、追い詰められてからが彼の本当の強さです』
戦いの最中に六道骸に言われた言葉を思い出す。
見た所、二人が親しくない事は明白なのにそれでもお互いに理解し合っている彼等。
……もしかしたら、私達にも同じように理解し合う事が出来たのでしょうか。ねぇ、アラウディ。
あの身体での私が死ぬ瞬間、私が想っていたのは愛していたエレナではなく貴方なんですよ。無表情な貴方が泣きそうな顔をするから、心がざわついてしまった。
こんな汚くて憂いに満ちた世界で、たった一つ願った小さな其れ。私の大多数は既に散り、残すは頭部だけ。深い深い底へ眠りに落ちてしまう前に、最期にそっと願いを口にしてみる。心の奥底でエレナに一つ詫びを告げた。
「……アラウディ、…貴方に、もう一度逢いたかった…」
でも、この言葉はもう貴方の元へ、届かない……。
『……お帰り、スペード』