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――タルバデアに古くから存在している中級貴族が嘗て作り出したと言われていた、暗殺集団『アルカロイド』。それはその名の通り、毒のようにじわりじわりとターゲットを犯し、そしてその命を奪っていく、殺しを生業とした組織だった。

狙われた人間は自身がいつのまにか毒に犯されていたことに気付かず、そしてやがて死ぬのだ。

そんな組織に拾われて、物心ついた時から人を殺す仕事をしていたのが、私だった。当時私に与えられていた名前は『ノーヴェ』。9番目を意味する、数字の名前だ。

ゴールドに近い髪と、空のブルーを溶かしたような目の色。それはこの世界における有名な魔女の特徴の二つを併せ持つ色だった。だからなのか、それとも元々なのかはわからないけれど、私は生まれつき魔力が人より遥かに高く、そして魔法を使う才能があったのだ。


――人は、殺すものだ。


その教えに何の疑問も抱かず、ただ息をして食べて、命をつなぐのと同じように当たり前に、人の命を奪う日々を生きていた。そうして何度も何度も目の前で息絶えて動かなくなるその物体を見つめる度に、この生き物は、どうやって生まれ、どうやって魔法を使い、どうやって生きていたのかが、気になるそのときまでは。



「…リーサ、入るよ?」

「…、」


私は、逃げたのだ。人を殺すだけのあの場所から。自分自身の欲望とも言える、探究心だけを追い求めるためだけに。あの場所が、そんな行為を見逃すはずも無く、そしてそれは私が死ぬまで永遠につきまとうものであるとわかっていても。

それでも私はあの場所に居続ける事を選べなかった。人は何故生きて、死ぬのか。どうして生まれ、そして命をつなぐのか。魔法とは何か。世界とは何か。生き物とは、魔導士とはどうやって魔法を生み出すのか。人は何故、感情を持つのか。その全ての謎を、知るためだけに。

その全てを知ろうとして、この手にかけた人間は、数えきれない程居て、そして同じようにあの場所を捨てて巡り逢った世にも貴重な種族を目の前にした私は、そこで漸くこの世の地獄を見たのだ。


「シノちゃん、いらっしゃい」


私はいつだって奪う側。殺す側。自分が狙った相手に殺されるなんて事はない。そう思っていた。そうやって世界を舐めて生きていた。だから何をしても平気だって。自分が死ぬなんてそんなことはないんだって。

だから何をしても許される。何をしても、私は平気。そうやって、手を出した月の化身は、いとも簡単に私を片腕を吹っ飛ばし、そして今まで一度だって狙った獲物を殺す事にミスをしたりしなかった私の息の根を容易く止める寸前まで追い込んだのだ。

この国が、私が初めて目の当たりにした地獄で、そして同時に、天国だった。


「…腕、大丈夫?」

「んー?腕?腕はそのうち新しいのつけるよ〜」


それよりどうしたの〜、といつもの調子で笑ってみせる。この間捕らえた古巣の人間は、洗いざらい事情を吐かせて、寸前まで追い込んで、現在牢屋行きだ。あとは本来この国でその職に就いているリーシャルの役目なので、ここから先は私は手出しが出来ない、が。

まあもう、気は済んだからいいんだけど。


「リーサ」

「あの人はもう牢屋に入ったから大丈夫だよ」

「…それは、…うん、心配してない」

「そう?でも危ないからやっぱり暫く一人で行動しないほうがいいよシノちゃん。ルカさんにもそう言われなかった?」

「ルカには、リーサに逢いに行くっていって来た。話を、聞いたから」

「…、そっか」


人の心は、不思議だ。命は、容易く奪ってはいけなくて。力があっても、誰かを意図的に傷つけたりはしてはいけない。それがこの世界の常識。当たり前の事。私が知っていた全てと真反対の世界のルールは、死にかけの私にはまるで理解の出来ない異世界の話だった。

悲しくて涙を流して、嬉しくて喜びを分かち合う。それが人という生き物で。人は人から産まれて、そうして人に育てられて、人を慈しみ、敬う生き物だ。そんな物無くても命はつなげるだろうに、それでも人は心を捨てたりはしない。

そうして出来上がった人が国を作り、世界を作る。そのことを理解して、受け入れるのに、私は随分と長い時間を費やした。そうして、今、ようやく、本当にそれを理解したんだろう。


「ルカさんに聞いた?あの人がなんだったか」

「…暗殺者だ、って」

「うん、多分私の後輩。同じ時期に居たのかなあ、全然覚えてないんだけど、でもきっとそうだから今更こんなとこまで追いかけて来たんだよねえ。まさか気付かれるとはなあ〜って…巻き込んでごめんね!シノちゃん」


今はもうない。左腕が、疼く。

人の命の尊さを私に説いたあの人は、いとも容易く私の命を奪おうとした。強い人は、簡単に他人の命を摘み取れる。だからこそ、慎重に命を守るのだと言ったんだ。まるでそれは言い聞かせるみたいな言葉だった。

そうして世界のルールを私に教えた物知りな彼は、それでも私にとっては十分に、人を超えたバケモノのような人だった。


「後始末もちゃんとしたつもりだったんだけどなあ、またこんなことがあると、」

「リーサ、」

「…、」


そんなバケモノのような人が、愛した人。

私が何度も殺し、奪い、なくしてきた。弱くて、脆い。人と同じように。誰かを思い、敬い、そして愛した。それをただそこにいるだけで、静かに教えてくれた人。

私をこの国で一度“殺し”、そして再び生み出してくれた、ルカ・アニシナはいつだって人外のような能力でそこにいて、いつだって人のように息をしていた。はずだった。

そんな彼が、たった一人、まぎれも無く人間として、必要とした人。


「怖がらなくて、いいよ。私、リーサの事、嫌いになんてならないから」


何の力もない。知識も、言葉すら、なかった。それでもそっと人を包み込んでくれる。そんな少女を。


「――助けてくれて、ありがとう」



いつのまに、私は、こんなに“大事”に思っていたのだろうか、と。









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