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まっすぐで淀みない。その瞳だけは、あの人の生き様によく似ていた。多くの事を知っている、それでもどこか人になりきれなかった雰囲気を持つあの人と、自分はほんの少し似ているような気がしていた。

それなのに。


「…助け、られたのかな」


それなのに。たった1年。たった一人。目の前の女の子の手に寄って、ようやく彼は『人』になった。――それじゃあ、私は?


「私は、」


私は、今、何者なのだろう。


「…人殺し、だよ」

「リーサ、」


人に嫌われる恐怖。人に好かれる喜び。人に避けられる悲しみ。人に懐かれる幸せ。その全てを、あの人がじわじわと噛み締めて過ごした日々の中で、私も同じようにそれを眺めて生きた。

そう思っていると、思わせるのは簡単だ。そうやって今まで世界を生きてきた。人を騙す事は容易い。同時に自分を騙す事だって、難しくない。けれど、それはいつも嘘ばかりで、本心がどこにあるのかなんて、自分にもわからなくて。

口からでまかせで可哀想だなんだというのは簡単だ。世間一般の常識人はこうやって思い、発言するだろうという予測が出来るだけの話だ。

あの人だって、同じだった筈なのに。


「…初めて、」

「え?」

「…初めて、人を殺して来た過去が、怖いと思ったよ。私、」

「…怖い?」

「私が私を、一個人の人間として認識出来る頃には、私は既に暗殺者だったよ。生まれは多分、そこじゃないけど。でもそこで育てられて、そこで生きていたから。奪うのが当たり前。殺すのが当たり前。疑問なんて無くて、強い方が生きて、弱い方が死ぬってだけの、世界だった」


それを別に怖いとか悲しいとか淋しいとか思った事は、今まで一度だってない。だってそれが私という人間だから。それはもう、仕方のないことだった。

今は、この国にいて、魔導士として、人と同じように、世界の大半の人間が守るルールのもとで生きている。過去何をしていても、今の私はそうじゃない。何をしても変えられないなら、それは気にするだけ無駄なはずだった。


「そこを生きて来たことを、後悔したことはない。でも、」

「…、」

「今日初めて、シノちゃんを目の前にして、ちょっと怖いなって思った」


コレが人の持つ当たり前の感情である事すら、今までの私は知らないまま。知識としては知っていて、常識としてはわかっている。けれどそれを私個人が抱くかどうかというのは別の問題で。好きな人はもちろん居る。嫌いな人間も。けれどそのどちらも、自分の人生を左右するほどの大きな物だとは思わない。

なければなくてもいい。いるならいるでいい。それなのに、私は今目の前の少女が、私の過去を知って、私を怖がるのが、怖いのだ。


「この国の人は強い。だから私が過去に何をしてても、例えそのことで何かがあっても、きっと皆自分の力でなんとか出来る。でもシノちゃんはそうじゃない」

「うん、」

「今回みたいに狙われたら、私がいなかったら、ルカさんが居なかったら、シノちゃんはきっとあっという間に死んでた。私はそれを、過去に何度もやってきた。それなのに、」

「…」

「それなのに、今更自分の大事な人が、同じ目に遭うのが、嫌だと思った。なんかすごく、卑怯だよね」


意味なんて、なかった。

生きる事にも、殺す事にも。意味なんて無かった。私にも、他人にも。だから心なんて要らなかった。要らなかった、はずなのに。

同じように、多くの世界を知っていて、多くの知識を持っていたあの人も、人のようで、人のように、生きていて。それでいて、人より遥かに秀でた力で、いつだって人以上の存在になれるはずだった。

そんな人が見つけた、弱くて優しい女の子。


「初めてシノちゃんを見たときに、私は初めて、『この生き物を知りたい』じゃなくて、『この人を知りたい』と思ったの」


冷酷で非情で、いつもどこか冷たい目で世界を見る人が、そっと握りしめたその白くて細い手が、触れても居ないのに暖かい物に見えた。魔法も使えない。言葉も話せない。この世界の事を何も知らない。争いなんて、見た事もないような、純真無垢な姿をした、平凡な女の子。

人の姿をした、人ではない何かであると思い続けていた、この国の守護神が、そっと静かに絆されて行くのを、まるで自分の事のように見続けた。

人は、力がなくても。魔法がなくても。言葉が無くても。誰かとわかり合えるのだということを、初めて知った。私は、


「ルカさんが、シノちゃんを好きになっていくのを見るたびに、おんなじように、シノちゃんが好きになっていったの」


私は、私と同じような心を持った、冷たい月の人が、目の前で静かにただの人へと戻って行くのをただただ暖かい心で、見続ける事が出来た。産まれて、初めて。



「この人と一緒にいたら、私も人になれるかもしれないって、」



産まれて、初めて。『人』になりたいと、そう思った。








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