姿勢、呼吸、中芯軸、肚。

体幹マッスルとか肺活量とか運動神経といったスポーツライクな身体づくりをするならいざしらず、武道的な禅的な身体においては、上記のものを「どのようにかして」構築しようという作業、修行、心得のすべては邪道です。

身体づくりが悪いことだと言いたいわけじゃない。そして逆に、あまりに若い人は「道」に参入する必要もないとすらおもう。何かを身につける段階だろうし、身につけたゴミも少ないだろうから。という前提でなお言わせていただくなら、どのようにかして→どのようにかなる というプロセスを必要とするのは、リキミの活動である。 エゴの要求である。因果関係が欲しいのだ。因果の理屈でコントロール下に置きたいのである、因果では計れないものを!。

ボディワークを通して真摯に真摯と向き合うならば、どこかしらの関門で、必ずその葛藤にぶち当たる。そしてたとえば「エゴを滅する修行」のようなことをしたところでそれこそエゴの活動に他ならず、「どうにかするキャンペーン」の一環である。裏口入学でもしようという試みである。


…などと、記している私自身が無我の達人なわけでもなんでもありませんけど(笑)。 偏差とか分裂症状のようになって苦しんだりもして、むしろ不健康極まりないことをやっているようにもおもえる。

でも、他にやりたいことなど何もありませんのでね。


次回予定「身体、氣は流動的波動的なのに、体内には、幾何学的構造のエネルギーが厳然としてある。テンプレート?でしょうか。ま、とにかくここに、すべては同じであるが別個でもあるというこの世界の仕組みがあるのである。たぶん。」