こく はく

氣、ボディワークのネガティブな面についてはあまり書いてきませんでした。整体業のPRブログとしてスタートしたというのもあり、偏差やクンダリニー症候群のようなことについては気功をやっている人でなければ単に「?氣って危なくね?不健康になるじゃんか」と解釈されるであろうことを避けたい気持ちがありました。ですから私自身の偏差的身体についてもあまり書くことはなく、良いようなことばかり書き連ねてきたと思います。今日は今まで書いてこなかったことも書きます。


まず、偏差や好転反応の類いは、直観察能力でなければ的確には見抜けません。学問、占い、浅はかな経験知識からの推測などしていては、目の前の今この瞬間の他人や自己の身心の動きを見逃します。治療師の身体能力と治療術はシンクロします。自己を知らなければ他人のことなんてもっとわからないのです。自分はこういう者だという思い込みは他人をも「お前はこういう者だ」と規定するのです。

で、こういうことを書く私はナンボかというと、首から上にかけて、エネルギーの走行がズレて、アンバランス症状が出ることがありますた。本来良いものである氣のエネルギーが、逆に首から上の痛みを引き起こすことがあるのです。

身体が「たまたま」ズレただけなら、身体の物理的な処置で治ります。しかし存在のしかたのズレがエネルギーをずらし身体をずらし、そうして「痛」のサインを送る場合があるのです。 痛=悪ではありません。ズレ=ダメな人、でもありません。痛は「気づきのサイン」です。

この痛みはイヤだ、何でもいいから早く消そう、としたりするのは単なるアクシデント的痛みに対するには構いませんが、そうでなければ賢明ではありません。我慢しつづけろというのでもありません。そして、カルマだとか悪霊のせいにするやり方は、スピリチャルモルヒネの投入だと私は思います。根治はしません。

…話が長くなりますね。瞬間の直観の話なのに…


またいづれ。


本我にくつろぐ


鏡餅って、何で鏡餅って言うの? 何であの形?

例えばこんな疑問が浮かぶとき、とにもかくにもサクッとググる習慣はあまり無い私。

多くの色んな疑問が生じても、本当に知りたいのは、すべからく、真体功のことだからです。 ほんとうは知っていた答えを知るために、つくられた疑問。そして疑問は元いた答えのところに還ってゆく。


「神様ぁ、ミカンはオカズっすか?デザートっすよね?」 などと思考をはぐらかして脱線してるうちに、デパートで迷子になってワンワン泣いた子供の頃を思い出すが、親である答えがどこにあるか、私はもうウッスラ知っている。さ、還ろうか。


…と、ここまで書いて、最初に予定していた「鏡餅における真体考察」を綴る気もなくなった。笑




目が水晶玉みたいな感じがする昨日今日。

周天というのは、呼吸や身体の鍛練などしなくても、観察をしてりゃ勝手に起こっていることに気づくもんだとおもいます。
ただ、たぶん普通だとそこで、止まってしまう場所があったり、逆回転していたりしていることに気づく。 止まる、逆回転するのは「自分、エゴ」といわれる分離のエネルギーによるものです。根源的な恐怖芯といっても差し支えありません。

周天身体に、「自分」という感覚はあまり色濃く存在していません あるとしても周天にノっています。サーフィンってこれに似た感覚があるんだと思う。

武術的には「捨て身」、崇高な表現をしてしまえば「捧げる」、メソッド的言い方するなら「身体は自分じゃない」「自分なんてそもそもない」 みたいなことでしょう。


で、ソレにノってると、姿勢は確かに中国武術のように腰はまるくなる。肥田式の前期の型なんかもある意味自然だとおもう。それは「無我」といった感じである。

しかし「真我」においては腰は反りかえる。

「悠久の時間」と「一瞬の爆発」のような趣の違い。
どちらにせよ「自分」は消滅する。








オールナイトチブポン

素っ頓狂な夢に素っ頓狂に登場した、アン・ルイスと桑名正博(だったと思うが志村けんが少し混じっていたかもしれない)。ファンでもないし、ストーリーにも関係なく、すき家と養老乃瀧を足した店の入口にいた桑名けんに私は挨拶をした。笑みを浮かべて煙草を吸うアン・ルイスは格好が良かった。

めが覚めてから。ストーンズの歌が頭の中で 流れる。ストーンズ派ですかビートルズ派ですかという質問は犬派ですか猫派ですかという質問と同じことだろうかそれともチエミ派ですかひばり派ですかだろうかそれとも裕次郎派ですかゆうたろう派ですかだろうかそれとも町蔵派ですかトモロヲ派ですかだろうかそう言えば、最近全く、硬派軟派って言わないよね、…逆ナン…かぁ。クッ。

ストーンズ聴きてえ!CD持ってねえ! レーザーデスクは何者だ!カラオケは、あるけれど、かげる機械は見たこたね、新聞ね、雑誌もね、たまにくるのは回覧板オラこんな村イヤだ〜オラこんな村イヤだ〜東京へでるだ〜東京へスカパラ〜 や、東京事変や! 新宿は〜豪雨〜 …

めが覚めてはじめに思い浮かべたのは、ブランキージェットシティの「CAT WAS DEAD」
だったんです。ちょっと苦しすぎて、自分の脳に、せめてストーンズのナニカシラにしてくれないかと頼んだのです。 私のペットロスは消えていないのでした。


ではラバースコンチェルトでお別れです、シーユー


雨のしずく やさしく森を濡らし

小鳥はうたう 愛のうた

あのメロディ

いつの間にか 虹は丘の上に

二人のために 輝くよ

七色に








シンタイシセイ




中心軸はそもそも、骨や肉や鍛練や念力で出来ていたり作ったりするものではなく、空&氣です


中心空氣に芯があるのは、地球は宇宙のなかで宇宙であり地球であるのと同じことです
あるいは、


初めに「事場」ありて、的な。








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