サイハテ



こんばんは。
特に意味は無いですが、先ほど祖父の葬儀が滞り無く終わりましたので思い出話でもしようかと…

毎年毎年3〜4回ほど何時間もかけて祖父母に会いに行っていました。
いっつも楽しみで、年中無休の仕事場で働いているにも関わらず、世間が長期休みの時は無理言ってシフトを代わってもらい会いに行ってました。
親戚中が祖父母を中心に回っているような、そんな人たちでした。
祖母は7年前に亡くなっていて、祖父は結構感情を表に出さない感じの人だったのですが祖母が亡くなってから寂しいのか親戚が集まる事をとても楽しみにしていました。
出来るだけ応えてあげたいし、出来るだけ会いたい。
そう思い毎年会いに行っていたのですが、いつもいつも親戚が集まって騒いだ後は皆を「返したくないなぁずっと居てもいいんだよ」って呟いていました。
姉の結婚式も、本当は体が悪くて歩くこともままならないのに遠くから来て本当に嬉しそうに姉を見ていたのはまだ記憶に新しいです。
次に集まるのはZの結婚式やねと、とても楽しみにしていると言っていました。
まだ姉の結婚式から半年も経っていません。
その時の笑顔の写真が遺影になっていました。
姉のお腹には赤ちゃんがいました。祖父に会わせてあげたかったと思います。
そして、姉夫婦は1月25日に休みが取れたので、結婚式の出席のお礼に時計を手渡しでプレゼント出来るように用意していました。
その日が、祖父の49日と祖母の7回忌になってしまいました。

そして12月23日に近所の親戚たちが揃って、クリスマスパーティーをする予定だったそうです。
計画中に祖父が「なんや?ええことか?」ととてもワクワクしながら聞いてきて、プレゼントの交換とお菓子を持ち寄ってパーティーしようと言ったらとても楽しみにしていたそうです。
その時に渡す予定だったクリスマスカードも、祖父を大好きな従姉妹たちが棺に入れていました。
まだまだ楽しみがいっぱいだったと思います。

葬儀中、なんで全員が集まっているのに一番重要な祖父が居ないんだろうと不思議に思いました。

私は祖父に沢山会いに行ったし悔いはありません。
でもたくさん会えば会うほど思い出が多すぎて離れがたいな…と思いました。
本当に本当に大好きでした。
祖母も呼吸器を付けていないと生活できなく、私が生まれる前にもう余命宣告されていました。
それから、食事制限など大好きな甘いものも我慢して何十年と共に生きてくれました。
祖父も体が悪く、かなり危なかったのに口うるさい周りに合わせて好きなものを我慢してなるべく元気に生きてくれました。
二人共全く同じ場所で同じ亡くなり方をしてました。
祖父はとても祖母が大好きでした。
二人がまた会えた事を祈るばかりです。

たくさん生きてくれてありがとうございました。
笑顔で見送れなかった事だけが心苦しいな…