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ぐぬぬ…


カリスマ、考えれば考える程考えさせられる…

ネタバレ含みます。



9巻。
この学園では、誰もがその分野で一番にならなければいけない。
そして、Xが新しいクローンを生み出した。それが、反乱を起こしたカイ達だとする。
それは、授業にプールで遊んでる世代だよね。
誰もがその分野の一番にならなければいけないのに、Xはジークムント・フロイトともう一人の…言い合いしてた人…
確か彼等は同じ精神学専行だよね?
何故Xはそんな事をしたんだろう。同じ学問の者が同時に一番を取れるわけがない。
でもXは同じ時期にわざわざ作った。
それはロクスウェルの存在が大きかったのかな…
対決相手が居ることが、その人を高めると思ったのかな…

そして、最後にロクスウェルが笑ったシーン。
あそこから学園が変わりはじめたのかな。
ロクスウェルはXの意思なんて興味ないんだろう。
多大な野望は所詮、ロクスウェル家の箱庭の遊戯だったのかなぁと思う。
あれだけ必死に生きてる生徒たちが、ただの遊びなんだなぁと思うと悲しくなった。

そんで疑問なのが、神矢はXのクローンなんだよね?そして、カイや史郎も。
何故現代では史郎が創設者のクローンだからと学園を任されたのだろう。
神矢が最もXに近かった存在なんだから、神矢が指揮をとるべきではないのかな…
と思うけど、どっかの巻で辞退してたっけ?

そして、神矢がXを殺したシーン。
もし、神矢がXを自己と同一視しているというのなら、神矢は自殺した事にならないだろうか。
過去の自分を殺した。
沢山の複製の中の一人じゃなく、過去の、未来の、自分。
自分より先を生きているXは神矢にとって過去であり、今から歩む未来である。

Xは100%の自分を生み出したかった。
研究に没頭し、Xの望みだけを見てきた神矢がなぜXとは全く違う道を歩みはじめたのか。
どこで齟齬が起きたのか。
「何故出来ない」
神矢のこの一言は凄く考えさせられる。
同じ成分で出来ている人間が、何故出来る事と出来ない事が有るのだろう。

ほんの少しの変化や、他人の一言でここまで全てのものがねじ曲がるのかと驚きと、でもそれが人間なんだという納得と安心がね…
この漫画なんだよね…
ああ、ちゃんと生きているって思う。

がむしゃらに勉強だけして、オリジナルの人生を写す彼等が、怒ったり悔しがったりするだけで凄く安心するんだよ…
そして、一番になれない彼等はきっと壊れてしまうんだと思う。
現在のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトみたいに。
自分の存在がモーツァルトでなければ何なのだと。
偉人のクローンの自分達が偉人になれなかったら、では私はなんなのだ、と。

でも、それが生きているということ。
悩んで苦しんでいる姿を見てやっと彼等が"生きている"のだと思える。
よく出来た彫刻なんかじゃない。


"人はみな、存在価値は同じなのか"

今巻のキャッチコピー。

さて、それはどうだろうか。


なんとなく今巻で黒江が史郎を大切にしてる理由がわかった気がする。
黒江は、史郎に神矢を見てるのかな。
神矢の様な悲しい始まりではなく、最初から豊かな感情を持ってて欲しい。まるで黒江には史郎が息子のように見えてるんじゃ無いかな。
神矢に見えて、ついつい手を出しちゃうとかだったら本当におかんみたいだ(笑)
愛しいよ。
黒江が凄く好きになった。

昨日


カリスマ9巻読んだんですが、今回もヤバかった。

神矢がさ…
黒江が一気に好きになった。

この設定じゃないと生きない"人間性"が凄く緻密に練り込まれてるよね。
毎回、驚きと感銘を貰える。

いつも、ジャンヌの「16歳を過ぎたら私は何を写して生きれば良いの?」が頭から離れない。
16歳と聞いて、この子はなんて幼いんだろうと思ったし、逆になんて大人なんだろうとも思った。


強い部分と弱い部分が紙一重で、なんて美しいんだろうと思う。
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