*2024年3月29日 17:16σ(・∀・)ノ


 夕飯前、仲間たちがぞろぞろと宿に戻ってくる。それぞれを席に着かせる。
「何かを机の上にお供えして、お祈りして」
 そう杉元は命じた。
「何。わけわかんない。杉元どうかしちゃったの?」
「俺は今日一日ずっとどうにかしてんだよ」
「え〜……大丈夫? 夕飯終わったら一緒にお座敷にでも行く?」
「白石黙ってろバカ飴でも供えとけ」
 白石はしょんぼりして、チョコンと机に飴を乗せた。
 それぞれが椅子に座って、机の上にお供え物を置く。鯉登と月島は帰りがけに買ったらしいキャラメルをそれぞれ置いた。
 今日獲ったという何らかの草を机に置いたアシリパは杉元に問うた。
「で、何を祈ればいいんだ?」
「へ? え? 何を……?」
「供えるだけか? 何か一言添えるんじゃないのか」
「え〜っ……お世話になっております、とか……?」
 会話を聞いていた面々がそれぞれ、杉元と同じ言葉を口にした。
 両手を合わせながら、杉元は心臓の血が足元まで降りていくような寒気を感じた。
 なんだか合っていない気がしてきた。
 そもそも妖精って何。お供え? ロシアのお供えって何? お供えってもっとロシアっぽいものを供えるんじゃないか。ロシアの妖精が喜びそうなものを。
 下調べが不十分だったことを悔いた。ロシア定番のお供えものとか聞いてそれっぽいものをちゃんと用意するべきだったのだ。杉元の発想はこういうものが多い。「こうすればいい」というのはわかっているのに、そこにたどり着くまでの道筋が曖昧なのだ。
 お供え物はテーブルの真ん中にとりあえず集め、それを囲みながら食事をした。
 食事を終え、部屋に戻る。湯を浴びる。
 杉元は、明日がまた【今日】であるという自信みたいなものが沸いてくるのがわかった。
 明日はまだ来ない。おそらく今日は、失敗だ。失敗したから、鯉登のお誘いも「抱いて」から「抱かせろ」に変わるだろう。杉元が尻を明け渡す日もそう遠くないかもしれない。
 風呂場から部屋に戻る途中、廊下で鯉登と目が合った。鯉登は目を逸らさず、ジッと杉元を見た。
 ……それだけでわかってしまう自分が嫌になる。あれは確認だ。今日も来るよな、の確認なのだ。
 杉元も鯉登を見つめる。一度まばたきをすると、鯉登は満足したようにその場からいなくなった。
「今日はさすがにないよな……?」
 不安である。さすがに鯉登も受け入れる側の苦労は知っているはずだから、今日の今日させようとすることはないだろうが……。


「明日は私が貴様を抱く」
 刑の執行が明日であると知り、杉元の身体に体温が戻った。今日じゃないことにパッと顔を光らせて喜んだので、それを見た鯉登は怪訝な顔をした。
 いつもの時間である。皆が寝静まった後の鯉登の部屋、二人膝を突き合わせている。
「やり方を教えてやる。風呂はだいたい、正午から人はいない。その時を狙え。中の洗い方だが――」
「ねえ。鯉登少尉」
 説明しようとする鯉登の声を遮る。視線を上げたのを見計らって頬に手を伸ばす。
 鯉登はぴく、と身体を小さく跳ねさせた。
 もう杉元は必死だった。抱かれる前に抱く。抱かれる側の心構えやら準備やらを聞いてしまったら実行せねばならなくなる。どうしても避けたい。その日が来るのを先延ばしにしたい。
 鯉登の反応を気にせず、杉元は唇を寄せた。ふにと唇が触れる。鯉登は逃げなかった。
 ゆっくりと舌を口の中に入れる。片手で鯉登の頭を押さえ、もう片手で浴衣をまさぐる。浴衣の合わせに手を差し込み、指先で肌を撫でる。鯉登の身体が強ばったのがわかる。口付けをしながらきわどいところまで指を這わせる。びく、びく、と鯉登の身体がしなる。下帯に手を伸ばすと、ゆるく反応を兆している。
 唇を離し、頭を押さえていた手を退かすと、鯉登はコテンと布団の上に横になった。そして目元を腕で隠し、肺いっぱいに空気を吸いこんでいる。
「急にどうしたのだ、お前……」
「いや? そういえば昨日は蕎麦屋だったな〜と思っただけで」
「……どういうことだ?」
「場所が違ったんじゃない? って話」
「……場所」
「うん。だからさっきの面倒な話は後回しにしよ。ね。いい?」
 目を覆っている鯉登の腕をどかす。薄く涙の張った目と視線が噛み合う。がち、と歯車が合ったような感覚があった。まだ触れたままの鯉登の下帯、そこは次第に硬くなっていく。
 鯉登は小さく頷いた。
 ギュッと心臓が引き絞られる。ドク、ドク、と心臓の鼓動が首筋にまで伝わってくる。……緊張している。鯉登とのこれを続けて、初めて沸き上がった感情だった。
 どうして急に。わからない。もしかしたら、能動的に鯉登を抱こうとするのが初めてだからかもしれない。
 それか、小さな火鉢の灯りに照らされる鯉登が、妙にいじらしく見えたからかもしれない。
 下帯越しに触れている陰茎が、何をせずとも硬さを持っていくのを嬉しく思ったからかもしれない。
 杉元は、とびきり優しくしようと思った。
 鯉登のいう愛だのなんだのはいまいちよくわからないが、これに限定して言えば、杉元の愛の作法は間違いなくそれだった。



 次の日。
 杉元はいつもの時間に起きた。変わらず白石はいびきをかいているし、アシリパは頭から布団を被っている。杉元はノタノタと階段を下りた。今のところ変わった様子はない。普通の朝である。いつも通りの朝だ。
 食堂に降りると、いつものように月島は新聞を読んでいる。その隣で鯉登が茶を嗜んでいる。
「おはよ〜軍曹。あと鯉登。……毎日毎日新聞、飽きないねえ」
「お早う。まあ、新聞だからな」
「そんな毎日違いある?」
「あるだろう」
 杉元はいつものようにテーブルの向かいに座り、掲げるようにして新聞を読む月島の、その裏面を読む。
 日付。
 あっ。
 ――えっ?
「えっ、軍曹、これ今日の新聞?」
「お前は昨日の新聞を読むのか?」
 鯉登、と顔をあげたところで、階段がミシミシ軋んだ。
 この音。
 谷垣だ。
 息を飲む。階段を見る。
 ギシ、ギシ、と音をさせながら谷垣が下りてきて――……尻からではなく、きちんと足の裏で食堂に下り立った。
 杉元も鯉登も、心臓を手で押さえてテーブルに伏した。
「お早う。……あれ? どうした?」
「った、谷垣が、普通に下りてきたのが嬉しくて……」
「え? ああ。昨日は転んだからか。さすがに今日は気をつけた」
 谷垣は笑った。杉元はむしろ泣きそうになった。
 鯉登も同じらしい。この場に留まるのが難しくなったらしく、席を立った。「お代わりしてくる」と言う。新聞から目を離した月島が「ほどほどにしてくださいよ。昨日何度も小便行く羽目になったでしょう」と声をかけた。
 【昨日】――は、鯉登は茶のお代わりはしていない。ということは、月島の言う【昨日】は、この同じ日を繰り返す現象が始まる前のことである。
 鯉登は杉元より何度も、同じ【昨日】を繰り返していた。やっと念願の【明日】に来れたのだ。
 コップに湯を汲んだらしい鯉登は、椅子に戻り座りかけて――杉元に声をかけた。
「そうだ、杉元。私の部屋に薬湯がある。飲むか?」
「は? 何の薬湯……」
「頭の。後遺症が気になるんだろう。薬があれば飲みたいと言っていたではないか」
 疑問符を浮かべながら鯉登を見る。バチッと目が合う。わかるだろ、の顔をしている。
「あー……そうだった」
 適当に話を合わせる。きっと鯉登は、喜びを分かち合いたいのだ。ここ数日、杉元と鯉登は戦友だった。共に、何が効くのかわからない強敵に挑んでいたのだ。
 私の部屋に行くぞ、と鯉登が言うので、杉元はそれに従った。今日は月島にそこまで怪しまれていない。鯉登はここ数日を通して各段に演技が上手くなった。
 二階へと続く階段を上がる。鯉登はもう、不安そうに杉元の腕を掴みながら上がらない。
 鯉登が部屋の戸を開ける。鯉登が先に入るので、杉元は後に続く。
 今日に来れて良かったね、と杉元が言おうとしたところで――言えなかった。
 鯉登が、むちゅ、と唇を重ねてきたからだ。
 驚いて硬直する杉元をそのままに、鯉登は啄むような口づけを続ける。むに、と唇を押し付け、杉元が固まっているのをいいことに、その身体に手を這わせる。横腹、腰――そして陰茎。
 服の上から、ぐに、と陰茎を掴まれる。
 ギッと身体を跳ねさせたところで、やっと鯉登は唇を離す。それでもまだ唾液でぬれた唇はぬるぬると触れ合っていた。
「神の指し示す愛は、あれで合っていたようだな……
 唇を触れ合わせながら鯉登が言う。
 もう、杉元はわけがわからなかった。
 同じ日を繰り返すのも。鯉登の解釈する日本神話も。ロシアの民族伝承も、お供えも、愛も。鯉登がどんな意図で話しているのかも、自分の陰茎がしっかりと形付いてしまっていることも。
 今も夢の中のような心地だった。杉元にとって同じ日を何度も繰り返すことも、今鯉登に陰茎を握られていることも、すべて現実とは思えないのであった。



おわり




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