*2024年3月29日 17:16σ(・∀・)ノ


 次の日。
 普段通り目が覚めた。アシリパも白石もまだ寝ている。杉元は周りを見回した。当たり前だが、特に目立った変化はない。
 普段着に着替えて廊下に出る。階段を下りて食堂に行く。
 食堂には新聞を読んでいる月島と、茶を飲んでいる鯉登がいた。月島は杉元を認めると「おはよう」と言ったが、鯉登は杉元を見ると眉を寄せべっと舌を出した。それでわかった。今日も【今日】であると……。
 朝食のスープを飲んだところで、鯉登が「来い」と言うので鯉登の部屋に行った。月島の目線が気になる。どうして鯉登が杉元を部屋に誘うのだ、とその目が問うている。いたたまれない。
「……これ以上、どうすれば元に戻れるのだ」
 部屋に入るや否や、鯉登は重いため息を吐いた。
「別の方法試したら?」
 それ以外杉元が言えなかったのも、当然と言えば当然だった。鯉登がすべて試した≠ニいうようなことを、杉元は一つも試していない。何かと言えば鯉登と性交ばかりしている。鯉登はもう最後の望みとばかりのことを言うけれど、杉元は他に手段がある気がしてならない。
「神話と言えば……愛だったよな?」
「なんかお前の知ってる神話違くない? 日本神話ってそういうのじゃなかったぜ」
「とすれば、……お前の行為に愛がないのがいけないんじゃないか?」
「はぁ?」
「愛のある行為を求められているんじゃないか?」
 何も疑わない目で杉元を見る。
 もうここまで来たら、付き合っている方がばかばかしい。ばかばかしくてむしゃくしゃした。ずっと、この男の信じていることを否定してはいけない気がしているのだ。この男の無垢さを否定してはならないと。
 童貞処女は弾に当たらないというゲン担ぎは、信じない方が馬鹿にされる。この世界ではくだらない謂れでも信じる方が正しい。
 杉元は立ったままの鯉登の胸倉を掴んだ。掴んで引き寄せて、後頭部に手をやった。逃れられないために。非難の声を上げようとする鯉登の唇に、叩きつけるように自分の唇を押し付けた。唇は力が入っていて硬いし、舌なんか入れたら噛みちぎられそうだ。けれど、これは愛のある行為の一つのはずだ。娼婦だって陰茎を舐めしゃぶるのは良いが口吸いだけは嫌という者もいるくらいだ。おそらく性交よりも口吸いの方が愛の容量は大きい。
 舌を入れるのは怖かったので、代わりに唾液を流しいれた。関節がブリキになったように鯉登の身体はガチッとこわばっている。唇の端から唾液が零れる。少しして、嚥下のために喉仏が上下したのがわかって、杉元はやっと唇を離した。殴られてはたまらないので腰を抱いて引き寄せた。
「……ッな、なにを、貴様……!」
「愛のある行為ってこういうことを言うんだろ? 俺はそれしか知らねえ。お前が言ったんだぜ」
「い……言ったけど、そんな、急に……」
「こういうのは急だとおかしいのか?」
「貴様ッ! おかしくなったのか!?」
「俺がおかしいんじゃなくてお前が元からおかしいんだよ!」
「何を言っているかさっぱりわからん!」
 腕の中で鯉登がぎゃあぎゃあ喚く。なんとなく照れ隠しの罵倒であることが察せられた。力任せに抱擁をふりほどいたりしないからだ。
「今から、俺なりのやり方で、愛を持って、お前を抱きます」
「キエエエエッ!」
「叫ぶなバカ! 軍曹来るだろ!」
 たしなめると鯉登は唇を引き結んだ。そうして視線を彷徨わせ、しばらく逡巡してから、俯いて唇を開いた。
「……場所を変えるか。……私には準備が要る。待ち合わせよう」


 蕎麦屋の二階では大変盛り上がった。
 盛り上がったと言うより、杉元が自分のしたいようにできたというのが大きかった。今までは鯉登に促されるがまま、あれよあれよと性交に及んでいたが、能動的に動くとなると全く違う。杉元は鯉登のことをなんとも思っていない。性的に見たこともない。いつもうるさくて、勝手にうろうろして、面倒な男だと思っていた。鯉登と関わるのは少しの間だけで、人生が交わることはないと思っていた。それが覆されている。鯉登への欲がぐつぐつ煮え立つ。
 待ち合わせて、明るい陽射しの差し込む部屋で身体を寄せあった。押し倒して、鯉登の黒い髪がさらりと布団に落ちるのを見る。鯉登が瞳を揺らす。どこを見ればいいか迷っている。
 外で待ち合わせたので、鯉登は普段から着ている軍服を着てきた。そのせいで杉元の欲の閾値は更に下がった。口付けて、服を脱がせていく。みっしり詰まった筋肉が露わになる。
「! すぎも、っぁ、耳、いやだっ くすぐった、ア、っひぎ、い」
 頭を押さえるように髪の間に指を通して耳を舐めた。そういえば舐めたことがないな、と思って舐めただけだったのに、鯉登の反応は予想以上だった。舌を這わすごとにびくびくと身体が跳ねる。逃れようと身体をよじる。色気のない喘ぎ声だったが、それでもこんなに反応を引き出したのは初めてだった。身体を押さえつけて逃げようとするのを制した。触れた鯉登の肌は鳥肌が立っていた。
「耳気持ちいい?」
「……くすぐったいだけだった」
「あっそ。じゃあこっちは?」
 軍服の前を開けて、慎ましい乳首を舐めた。小さくて舐め甲斐がない。舌を這わせて、鯉登の身体が強ばった。耐えるように布団を握っている。
「……ッ くすぐったい、くすぐったいだけだ…っ ……も、そこはいいから、はやく、後ろ……」
 杉元は軍跨に手を伸ばした。耳を舐めた時から鯉登の軍袴はしっかり膨らんでいるのは知っていた。片手でどうにかボタンを外して、下帯の中に手を滑り込ませた。しっとりとした薄い皮膚に触れる。鯉登の陰茎だ。
「ひっ! ……私のは触らんでいい!」
 そう言う鯉登を無視して、乳首を舐めながら陰茎を触っていると、諦めたのか鯉登は何も言わなくなった。諦めたのか、これを自分の言う愛≠ニ捉えたのか、それは杉元の知ったことではない。
 陰茎の先からは薄い精液が滲みだしていた。それを塗り付けるように手を動かす。鯉登の口から喘ぎ声が漏れる。杉元は己の軍袴が窮屈であることを自覚した。
「っだめだ、杉元、やめて っああ、あ、出る、でてしまう」
 無視して手を早める。
「待てっ、手を、あ、手を止めろっ! っよご、汚してしまったら帰りに困る!」
 不粋なことを言う口である。杉元は手を止めた。ついでに胸から口も離した。憮然とした顔で見下ろしてやると、顔を上気させた鯉登と目が合った。濡れた目で杉元を見上げている。
「……貴様がこんなにねちっこい男とは思わなかった」
 ムスッとした顔で鯉登が言った。杉元はちいさく「うるせえ」とだけ言った。鯉登の乳首は赤く腫れていた。
 身体が熱かったので服を脱ぐ。それを見た鯉登も身体を起こしノロノロと服を脱ぎ始めた。杉元が中途半端に脱がせた服が肌の上を滑り、床に落ちる。
「鯉登少尉」
 下帯まで脱いだのを見て、また押し倒した。鯉登はもう抵抗しなかった。
「何回できる?」
 興奮は最高潮だった。腹につきそうなほど反った陰茎が熱を集めて痛い。杉元はそそり立った陰茎を鯉登の陰茎に押し付けた。触れ合った鯉登の陰茎もひどく熱かった。
「貴様がしたいだけすればいい。……これが愛なんだろう」
 杉元は笑った。そんなのはお前が言ってるだけなのに。
 後孔に手を伸ばす。触れると、ぬるついた感触がした。ここに来る前に鯉登はしっかり準備してきたのだ。指を入れると、少しの抵抗を伴って吸い込まれた。にち、と包み込まれる。つるつるしてしっとりして、指を入れるだけでも気持ちがいい。「ん、」と鯉登の声が上がる。細く呼吸しようとするせいで息が震えている。
 しばらくゆるゆると動かして中を探っていると、鯉登が杉元の肩を掴んだ。
「え。何?」
「……だめだ……。もう、我慢ならん。お前のが欲しい……腹のなかが疼いて堪らん。早く奥まで埋めてほしい……」
 バチン! と脳の太い血管が切れた。杉元は指を引き抜いて、代わりに、がちがちに張った陰茎を突き入れた。


 結果、4回した。これは杉元の射精だけを数えたものなので、鯉登の射精だけを数えると6回になる。ただ鯉登の射精は、終盤は射精だったのか定かではない。薄くてさらさらしたものが腹に飛び散っていた。
 何度も舌を吸って、耳を舐めて、肌に痕をつけた。歯を立てると中がぎゅっと締まるので、鯉登の肌にはいくつか歯形も散っている。
 普通の情交と何も変わりがなかったように思う。少なくとも、杉元の方は遜色なかった。愛があるかと問われたら、確かにあったと答える。スムーズに肯定できるかどうかは別としても。
 もう勃起しても何も出ないだろうと思った頃、ようやく杉元は布団に横になった。ひどく疲れていた。夕飯の時間が遠く感じる。これから寝るだけではないことが信じられない。
 杉元の横では鯉登が横たわっている。荒い息を整えている。
 さっきまで触れ合っていたのに、やめた途端距離が空いてしまうとなんだか心細いように感じた。なんだよ俺の竿だけが目的なのかよと嫌味を言いたくなる。けれどこの嫌味は鯉登にとっては事実なので、嫌味になりようがない。それに気付いたので言うのはやめた。
 鯉登の前髪が乱れている。一瞬の逡巡はあったが手を伸ばした。いつもの分け目に直していると、目を閉じていた鯉登はパチッと目を開けた。目が合う。心臓に何かが詰まったような音がした。
「思ったんだけどさぁ」
「……何だ?」
「次の日になったら全部なかったことになるって言ってたじゃん。持ち物も、今日の朝と同じに戻るって」
「ああ……うん。戻る。夢かと思うくらいにな」
「お前も処女に戻ってるんじゃない?」
「……あっ」
 けだるそうに杉元の言葉を聞いていた鯉登の目が少し開かれた。焦点は杉元より少し後ろで結ばれている。考えているのだ。そのうちに、眉間に皺を寄せた。思考を深めている。
「……ということは、まだ聯隊旗手にはなれるのか? ……しかし破瓜の記憶はあるのに純潔と言えるのか……鶴見中尉殿に聞いてみなければ……や、どうやって説明するのだ……月島……駄目だ……信じてもらえる気がしない……」
 ぶつぶつ呪文を唱え始めた。その抑揚の少ない言葉を聞いていると、だんだん眠くなってきた。
 まばたきの感覚が短くなる。そのうちにまぶたを閉じる時間が長くなる。
 それに気付いたらしい鯉登は焦ったように声を上げた。
「あっ。おい! 寝るな! 夕方には戻らんと怪しまれるだろう!」
「うるさい。黙って……」
 揺さぶって起こそうとしてくるので、その腕を引っ張った。よろけた鯉登の身体をそのまま引き寄せる。大きな抱き枕のようにして、そのまま目を閉じた。
 意外にも、腕の中に収めると鯉登は静かになった。「汗臭い」と文句を言う言葉だけははっきり聞こえた。
 ――目が覚めた杉元が「また今日を繰り返している」と気付いたのは、宿の布団の中にいたからだ。昨日は蕎麦屋の二階で鯉登を抱いて、眠ってから移動した記憶がない。
 鯉登は次の日になったらすべて元に戻ると言った。これをこんな形で体験してしまった。
 ……気が重くなる。食堂に降りるのが億劫になった。それでもなんとか準備をして食堂に降りる。
 月島は新聞を読んでいるし、鯉登は杉元にべっと舌を出すし、谷垣は転がり落ちる。
 夕方までアシリパと山に行こうとしていた杉元が、樺太の図書館に行こうと思い立ったのは、隣をすれ違った鯉登の放った台詞のせいだった。
「役割が逆なのかもしれんな」
 背骨が氷になったようだった。鯉登に抱かれる選択肢など杉元の中にはない。
 鯉登のことは散々抱いておいて勝手な感情である。けれど杉元はもともとそういう性格だ。嫌なことは嫌だ。鯉登が受け入れる側になったのも、別に杉元がそれを強いた訳ではない。
 宿の前でアシリパと別れ古本屋へ向かう。
 そんな自分の後を鯉登が付いて来ている。
 気付いていたが、わざわざ声はかけなかった。不審者にかける言葉などない。
 古本屋につくと、鯉登はついに、杉元に声をかけた。
「……おい、杉元」
「何? 付いてくんな」
「こういった事象についての文献を探したいのか? あいにくだが、その対策は私も講じた。お前の求めるものはないぞ……」
「ふ〜ん。別にいいんだよ。ほっとけ。おうちに帰りな、シッシッ」
「……ほう。そこまで強情とはな。何か引っかかることがあるのか?」
「ハァ?」
「どうしてもと言うなら、まあ仲間なのだし、手伝ってやらんこともない」
「素直に暇だって言えアホ」
 二人は連れだって古本屋の中に入った。店主はいらっしゃいと言い、新聞を読んでいる。あまり商売熱心ではないらしい。
 本は日本語のものとロシア語のものが混在していた。今杉元が探したいのはロシア語の本である。わかってはいたが、いきなり頓挫した。杉元はロシア語が読めない。
「何を探してるんだ?」
「ロシアの神様とか、妖精とか……伝承とか。そういう本」
「ふうん」
「日本語に訳したのあるかなあ?」
「知らん」
 もしかしたらあるかもしれないので、日本語に翻訳されたものを探すことにした。鯉登も手にとっては戻してを繰り返している。同じものを探してくれているかどうかはわからない。
「……――いた。……はぁ、こんなところに……。鯉登少尉殿。どこかへ向かわれる際は、私に行先を伝えてからにしてください」
「おっ。月島」
「月島軍曹?」
「喜べ杉元! 翻訳者がきた!」
「マジ? 軍曹、ありがとう」
「はぁ?」
 よく事情のわかっていない月島に翻訳を頼んだ。ロシア語担当は月島。杉元は日本語訳があるかもしれないので探す。鯉登はおそらく、よそごとをしている。元から宛てにしていないので構わない。
「あっ。おい杉元、これじゃないか。ロシア神話と民族伝承」
「それっ! ……お願いします」
「はぁ? 嘘だろ……」
「読み聞かせてください」
「……店主、いいか」
 許可を取り、月島に音読してもらった。
 音読してもらったが、自分で頼んだのにも関わらず退屈な内容で眠かった。杉元は別に神話にも民族伝承にも興味がある訳ではない。ヒントがどこかにないかな、と思っているだけで、かぶりつきで知りたい訳ではない。月島の一定の音量での朗読も眠気を誘う。
「――……は、森の精霊。……は、家の中に住む。お供えをしなければいたずらをする。……は、白い毛の動物が嫌いで……」
「えっ。あ? 待って軍曹さっきなんて?」
「は?」
「いたずら? ……お供え?」
「ああ。マトフェイは、家の中に住む精霊。お供えをしなければいたずらをする」
 杉元は魂が震えるのがわかった。
 これだ、と思った。むしろ、これしかない。
「軍曹マジありがとう……これだ……」
「はぁ?」
 むしろこれが正解であってほしい。正直、鯉登に抱かれるのは一回きりならいい。我慢できる。けどあの鯉登の様子だと「愛が」だの「二人で」だのごちゃごちゃ話をややこしくしてそのまま杉元が抱かれ続けることになるだろう。そういうのは無理だ。鯉登に抱かれて勃つ気がしない。あの男を抱くのはいいが、抱かれたくない。
 月島は怪訝な顔をしている。「もう読み聞かせは大丈夫」と礼を言い、杉元はお供えの準備をしに宿へと帰った。鯉登は月島と古本屋でニコニコ楽しんでいる。




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