*2024年3月13日 16:51σ(・∀・)ノ


 ガドンと強い音がした。包丁とまな板が勢いよくぶつかった音だった。前から血を止めていたからか、血は思ったより流れなかった。
 竹浦は眉をひそめただけだった。ひそめて「いってぇ」と言った。それだけ。たったそれだけだった。おおよそ指を切り落とした人間の反応ではない。と、思う。わからない。覚悟を持って指を切り落とした人間のサンプルが、尾形の頭の中にはない。
「やるよ」
 竹浦は指を投げた。たった今切り落とした指。滴る血が放物線を描く。重力に従って、直線に落ちる。投げられた指を尾形はキャッチした。床に落ちた血の赤が、まるで赤い糸のように竹浦と尾形の間を繋いだ。指は血と、血小板か何かの体液でぬるついていた。
 すごい衝撃だった。尾形はあまり感情の動かない方であるが、これにはさすがに感情は動いた。心臓がものすごい早さで肋骨を叩いている。感情が動いたというよりも動かされたというのが近い。無理やりに動かされた。全速力で走っているトラックに衝突されたような衝撃である。恐怖にも近い。今まで全部わかった気でいたのが、すべて偶像だったような気がしてくる。尾形が見ていたのは都合よく解釈していた竹浦かもしれない。急に人間かどうかすらあやふやになる。
 この生き物は一体なんだ?
「……これどうすりゃいいんだ」
 混乱する脳から絞り出した言葉はこれだった。おそらく第一声としては間違えている。ただ、正しい言葉なんてものもない。
「ホルマリンにでも浸けとけば?」
 返事もこれだ。会話とは。
 指に目を落とす。ジクジクと血が出ている。だいぶ固まってきた。血がぷるぷるとしている。断面はグロくてみる気になれなかった。ただ白い部分だけは目についた。ほとんどが骨なのだ。竹浦の身体に無駄な脂肪はない。指も同じなのだろう。
「おい。捨てようとすんなよ。傷付くだろうが」
 指を落とした時と同じように眉をひそめて竹浦は言った。せっかく切り落とした指を捨てられることと、指を落とす時の苦痛は同じなのか。精神的には前者がキツいかもしれないが、精神的にも肉体的にも、絶対に後者の方がキツいだろう。しかし竹浦は尾形の前提を覆していく。
「俺は切り落とせなんか言ってない」
「はあ? 俺だってお前に言われただけじゃ切らねえよ」
 まるで責任を押し付けるような尾形の言葉も即座に否定される。竹浦のこの行動は、尾形に対するあてつけではないということだ。より訳が分からない。訳が分からないのが、責められている気分になる。理解できない。正解が欲しい。確固たる、ぶれない、芯を持った……
「お前が、俺に覚悟がないみたいに言うから。これが俺の覚悟だよ。お前、適当なこと言うなよ。俺はお前に言われたって絶対に指なんて落とさない。でも俺の覚悟を示すためならいくらでも落とす。俺を舐めるな。俺は俺の信念のためなら指なんていつでも切れるんだからな」
 尾形は竹浦の指を見つめる。短く切られた爪はもう二度と伸びることはない。左手の薬指。
 ……左手の薬指。
 途端、圧迫された心臓が解放されたように感じた。押さえつけられていた血液が弾けるように全身を巡る。
「ちゃんとホルマリンに浸けて、寝室にでも飾っといて。それは俺のお前への覚悟だからね」
 竹浦は、薬指が壊死しないかと、そんな心配をしている。
 一方の尾形はポカポカする身体に悩まされた。どこをどう切り取っても、お似合いの二人である。




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