*2024年2月15日 11:50σ(・∀・)ノ


 確かあの水族館の後に付き合い始めたのだ。
 自分と行った後、気に入ったオットセイだかアシカだかアザラシだか……それをもう一度見に行きたいとかで、鯉登は大学の友人を誘おうとしていた。それが無性に腹が立って、むかむかして、なんでもう一度自分と行こうとしないのだとモヤモヤして、だからそれをすぐ本人にぶつけた。
 二人で飲みに行った時だった。有線で流行りの曲が流れ続けるガヤガヤうるさい店内も、明るい木目のカウンター席も、煌々と明るい居酒屋の照明が鯉登を照らしていたのもよく覚えている。
「私が誰とどこに行こうが私の勝手だろう」
「そうだよ。だから今言ってるこれも俺の勝手なんだっつの」
「何を言っているかさっぱりわからんな。今後、言いたいことは紙にでもまとめてから発言するようにしてくれ」
「バカにしてんのかよ」
「そう聞こえなかったのなら、貴様の頭はだいぶ平和ボケしてると言えるな」
 そういうはずじゃなかったのに、次第に会話はとげとげしくなっていく。カウンターの小さな台に乗せられた揚げ出し豆腐が、一度も手の付けられないままジッと沈黙していた。
「……用事を思い出した。帰る」
 鯉登が、自分が頼んだ料理に手を付けず帰ろうとするのは初めてだった。その行動で、鯉登が今この瞬間をひどく気まずく思っていることを知る。立ち上がろうとする鯉登の腕を咄嗟に掴む。ぐ、と引っ張られたことで鯉登の動きは止まった。
「何、っ……」
「帰んないで」
 鯉登は唇を引き結ぶ。目線だけが絡んでいた。
 杉元は、これが大一番であると自覚していた。大事な局面であると朧気ながら察した。
「俺と行こ、水族館。……水族館だけじゃなくて、お前の行きたいとこ、全部、俺も一緒に行きたい」
 遠くの席で、酔いの回っているサラリーマンが有線の曲に合わせて合唱し始めていた。騒がしい店内の中で二人の間だけが静かだった。
 眉間に皺を寄せた鯉登が、意を決したように唇を開く。
「お前が、」
「……ン」
「お前が、……もし私の恋人なら、それでもいい。でもそうじゃないのなら――」
 と鯉登が言い終える前に、杉元は手首を掴んだ手を降ろし、鯉登の指を自分のものと絡めた。指の間に指を滑り込ませる、友人同士ではすることのない手の繋ぎ方に鯉登の身体は強ばり、二の句は一向に紡がれなかった。
 杉元は繋いだ手を持ち上げると、自分の腿の上に置いた。
「じゃあ、こういうことで……よろしくお願いします」
「……」
「……なんか言えよ」
「キェ……」
 杉元の視線から逃れるように顔を前へ向けた鯉登の顔は赤かった。繋いだ手は振りほどかれない。試しにギュ、と力を込めて握ると、恐る恐るといった力で握り返された。
「予定はもういーの」
「……なくなった」
「ん。……そっか」
 しばらく何も言わずに手を繋ぎ合っていた。空いた手でグラスを掴み酒を飲んだ。
 少ししてから鯉登が「左手では豆腐が食べられん」と言い、仕方なく手を離した。繋いでいた手は、ギュッと力強く握っていたせいで痺れてジンジンと熱かった。

 ――そこまでしっかり思い出してハッとした。
 ここはまだ自室ではなくロッカールームで、着替えの最中だった。
 鯉登のことを思い出すと、その思い出に耽ってしまうことがあった。チームメイトの着替えは着々と進んでいる。慌ててスマホをロッカーにしまいこもうとした時、トントンと肩を叩かれた。
「Who?」
 青い目をしたチームメイトだった。アメリカから移籍してきたこの選手は、似た境遇だからかよく杉元を気にかけてくれていた。カタコトの中学英語であれば会話もできる。耳に入った吐息のような単語に少し遅れて意味を理解する。
「えっ……あー、ディス? ディスフォト?」
 杉元はスマホの画面を見せながら尋ねた。チームメイトはウンと頷いた。画面はまだ水族館で撮った鯉登の後ろ姿を映している。
「えっとー……マイ、マイプレシャス……」
 それが恋人を現す言葉なのか杉元はわからない。けれど、その単語を口にした途端、目のふちからドロッと涙が出そうになった。別れて一年経って、ずっと会えず会話もできなくても、何をしているか何を思って生きているのかわからなくても、それでもずっと好きだった。それを言葉にして第三者に伝えた途端、その気持ちが引き返せないくらい本物になったように感じた。
 そんな杉元の気持ちを知らず、チームメイトはニコニコしながらバシバシと杉元の背を叩いた。まだ防具を装着したままだから痛くはないが、それなりの振動に身体が揺さぶられる。
「That's neat!」
「いでっ」
 痛みに涙が滲んだふりをした。チームメイトは思う存分叩けたのか、ニコ! と最後に笑顔を見せてロッカールームから出て行った。
 日本に置いてきてしまったのは仕方のないことだった。別れてしまうのも自然なことだ。
 そもそも鯉登はまだ大学生だ。若すぎるほど若い。若い時期の二年が、どれほど大事なのか、杉元だってわかっている。
「……待ってて、じゃなくて……。……二年後迎えに来るって、言ってたら……」
 ぶつぶつ独り言ちる。
「……毎日連絡するって言ってたら、浮気なんてしないって言ってたら、夏休みに戻るって言えてたら……」
 こういう言葉を鯉登に言えた世界線では、鯉登と付き合いを続けている今が存在しているのだろうか。
 でも、それがこの世界線でなければ意味がない。だから繰り返すたらればも意味はなく、ただ後悔を胸に沈ませるだけだった。



 ――二年経過。
 二年経った。レンタル移籍は予定通り、このまま終了することとなった。早く日本に帰ってチームメイトたちにフィンランドでのアイスホッケーのことを話したかった。気候や氷の状態など、違いは色々あるけれど還元できることは多いだろう。
 フィンランドのチームはお別れ会を開いてくれた。ウェルカムドリンクがストレートのウォッカだったので、あまりの度数に喉が爛れて声が出なくなるかと思った。フィンランド人は酒が好きな人が多いので、お別れ会はあっという間に何が目的だったかわからなくなった。
 杉元もすぐに酔った。日本では酒に強い方だったが、大陸の人間と比べれば杉元は下戸も同然だった。
 ガヤガヤする中、会話していた相手がトイレに立ったので杉元はスマホを見た。
 特に何の通知もないスマホである。
 帰国まで残り一週間。そのうち3日は空港や空にいるので、フィンランドの滞在時間はもっと少ない。
 トークルームを見る。そういえば白石に返事をしていなかったことを思い出す。白石はパチンコで当たりが出ると喜んで写真を送ってくる。「スゲー」「オメデト」「やるじゃん」の3つだけで返事をしているが、白石はそれでも満足らしかった。
 ――杉元が今考えたいのは白石のことではない。鯉登だ。鯉登のことにケリをつけたい。
 日本に帰ってから連絡しようかどうか考え始めるのでは遅いと思った。完璧に振られるならここにいる間がいい。そうしてまっさらになった気持ちで日本に戻るのがちょうどいい。
『一週間後、日本に帰る。メシでも行かない?』
 パパパと入力し、一瞬躊躇ってから、送信した。
 酔っ払ってなくちゃできなかったな、と思った。喉も胃も焼く度数の高いアルコールに感謝した。画面を開いたまま、しばし眺めていたら既読がついた。え、と思う間もなくパ、と返事が来た。
『来週なら火曜日以外の夜は空いてる』
 心臓が止まった。
「え゛っ」
 スピードが速すぎて頭がついていかない。えっと、俺が連絡をして、メシに誘って、そうしたら素早く返事が来て、しかもそれがどうやら『OK』の返事で……。
 今度は心臓がボコボコと暴れ出した。慌ててフライトの予定を確認する。日本に着くのは月曜日の早朝。日本にいた時の部屋は引き払ってしまってないので、ひとまずはホテル暮らしになる予定だった。そのホテルはすでにチームが押さえてくれている。
『月曜日でいい?』
 そのメッセージには既読はつかなかった。つかなかったけれど、その落胆よりも興奮の方が勝っていた。チームメイトがジョッキを渡してきたので顔を真っ赤にして飲んだ。鯉登と会える!
 お別れ会が終わり、隣の部屋のチームメイトと肩を組みながら寮まで来た。部屋の前でガッシリ握手をして別れた。部屋に入り、ベッドに伏せ、そのまま寝た。アルコールで身体がポカポカと温かくて、ぼんやりした頭に二日酔いの気配があった。
 朝起きてスマホを確認すると通知のランプが光っていた。
『わかった。19時でいいよな。いつもの店を予約しておく』
 と鯉登からの返事があり一気に目が覚めた。
 うん、19時でいい。ありがとう。……えいや待って、あの、マジで? 予約までしてくれんの。いつもの店って何。付き合ってる時に気に入ってよく行ってた店?
 いろいろ疑問は浮かんできたがいい言葉が浮かばない。何を言ってもわざとらしくなる気がするし、詮索しようとして気持ち悪い男になってしまう気もする。なので、
『うん』
 とだけ返した。頭の中に浮かんだ言葉は、情けないことに九割カットした。
 時刻朝の10時。日本とは七時間時差があるから、日本は深夜三時のはずだ。夜中に返事して悪かったかなと思いつつ、鯉登は通知をオフにしていたことを思い出す。気付いても朝だろう。こっちがお昼になったくらいに――
 と思っていたら杉元のスマホに通知が来た。まさかと思いながら手を伸ばす。
『(写真)
 予約しておいた』
 心臓が大きく拍動している。送られてきた写真は、店をネット予約した画面のスクショだった。
 いや夜中の三時!
 嫌でも期待が大きくなる。まさか待っててくれたんじゃないのかとか、楽しみにしてくれてるんじゃないかとか、そういった期待がむくむく膨らんで身体を圧迫する。
 や、でも、夜更かししていて起きていたのかもしれないし、たまたま三時に起きたのかもしれないし、眠れなくて携帯を見ていたのかもしれないし……。
 けれどそのどれもが決定打に欠けた。
 期待しちゃダメだをスローガンに、部屋の片付けと荷造りを始めた。白石に報告しようかと思って、それでも人の意見を聞くのは怖いのでやめた。



 ――帰国。
 日本を出た時より荷物が増えたので、向こうでムーミンのスーツケースを追加購入してしまった。そこでフィンランド限定の人形だとかを詰め込んだ。白石には外国の味がする飴を買った。
 月曜日、早朝の便。今日の夜鯉登と会う。
 チームが予約してくれたホテルに向かい、チェックインし、寝た。飛行機の中ではやっぱり上手に寝れなかったから、ベッドに滑り込むとすぐに寝た。
 約束の時間が近くなると、ソワソワしながらホテルを出た。
 2年ぶりの日本だ。夏休みはもらえたけれど、日本に帰ってくる用事がなかったので帰国しなかった。しっかり2年間足を踏み入れなかった日本は、フィンランドと比べると温かいと思った。耳に入る日本語が懐かしい。
 約束の時間が近付く。この場所でよかっただろうか。予約の詳細が送られてきたあのメッセージから、一言二言でやり取りは終了して今日に至る。だから待ち合わせの場所は決めておらず、付き合っていた時に待ち合わせていた場所に行った。
 2年間音沙汰がなかったのに。連絡してすぐ会えるなんて都合の良い話だ。
 ……もしかしたら「新しい恋人ができた」と会わせてくるかもしれない。鯉登ならばあり得る。鯉登は好きな人同士を会わせたがる傾向があるので、杉元は彼の兄と何度も居酒屋で飲む羽目になった。それでも元彼に対し今彼をぶつけるのはさすがにないと思うけれど、絶対にないと言い切れないのが切なかった。
 パーカーのポケットに入れていたスマホを取り出す。連絡は来ていない。待ち合わせの時間に遅れている訳でもなさそうだ。
「あ」
 鯉登だ。
 見間違うはずがない。2年が経っても全く変わっていなかった。むしろ少し大人びて更に精悍になったような気がする。
 目に焼き付けるように見ていたら声をかけるのを忘れていて、鯉登が気付くまでジッと見つめてしまっていた。杉元に気付いた鯉登が怪訝な目を向けてくるのを、まるで今気付きましたの演技をしてやり過ごそうとする。久しぶりに会ったあなたに見とれていました、はさすがに恥ずかしかった。
「すまない、待たせた」
「全然、今来たトコ……」
「何をそんなに見ていたんだ」
「……本当に鯉登なのか自信なくって」
 そう素直に白状すると鯉登はふふふと小さく笑った。鯉登の態度が思ったよりも強ばっていなかったので杉元は面食らった。鯉登は今彼も兄も連れてくることなく、一人で待ち合わせ場所に訪れた。

 予約の店は付き合っている頃に何度も訪れた店で、いつもは飛び込みで行くからテーブルやカウンターに通されていたが、今回は予約だったからか個室に案内された。「こちらになります」と店員に案内された先が個室で、その時の鯉登の表情がグッと固まったのを杉元は見逃さなかった。周囲の音に紛れることのできない個室という場所は、お互いをより意識させられてしまうようで緊張する。
 一杯目を頼み、乾杯し、ぽつぽつと話し始める。何を話したらいいかわからなくて、エピソードトークの表面をなぞるだけのような会話になった。上滑りで浅い。
 二杯、三杯と進むと、次第に緊張がほどけてきた。張り詰めた空気が弛緩していく。同時に頭の中も締まりがなくなっていった。
 鯉登は相変わらずかわいくてかっこよくて美しくて綺麗だった。前から美しさを形容するすべての単語が当てはまる稀有な人間だと思っていたが、それが今日確固たるものになった気がした。2年の月日は人の考え方を強固にさせるらしかった。
「向こうでも飲み会とかはあったのか」
「フィンランド? あったよ。寒い地域だからか酒飲み多かったし……めちゃくちゃ強い。飲み会の後は床に瓶がゴロゴロ転がってる」
「ふうん」
「鯉登は? 飲み会とか」
「ゼミの飲み会とか、部活の。それくらいだった」
「そっか……」
 会話が探り探りになっている自覚はあった。何かを糸口にして、鯉登の2年で他の人間の影がないかを探っている。それはあまりに遠回りで、面倒で、やきもきした。単刀直入に聞きたい。心臓をちぎって渡した相手が自分以外にいたのかということを知りたい――……
 杉元はジョッキを煽った。氷いっぱいに冷えたハイボールを飲みほした。チリと喉が痛んだがフィンランドで飲んだ酒ほどではなかった。
「ッあ゛〜……もうめんどくせえから率直に言うわ」
「は?」
「鯉登。お前、誰かとヤった?」
「……明け透けな言い方をするな馬鹿者」
「だって別れたのってそういうことだろ……」
 視界がぼやけてきた。これがアルコールによる脳の誤作動なのか目に膜が張ったからなのか自分でもわからなかった。
 鯉登がどんな顔をしているのか、怖かったけれど、がんばって真っすぐに見た。記憶の中の彼と変わらなかった。記憶は美化してしまうと言うけれど、記憶より、実際の鯉登の方が何倍も綺麗だった。
「……あの日、私は待てんと言ったな」
「ああ」
「それが答えだ」
「ハア?」
「怖い顔をするな」
「お前の中に入った奴がいるってことか?」
「私が入れたかもしれんぞ」
「ハア?」
「何度怖い顔をするんだ。そもそも貴様、人の二年をなんだと思ってる。二年もあれば赤子だって走るようになるし、大学院なんか卒業してしまうんだぞ」
「……返す言葉がございません」
「だろう。こうやってまた会ってやったことに感謝されこそすれ、なじられる謂れはない」
「仰る通りです……」
 杉元はしおしおとしなだれた。鯉登はその姿を肴に酒を飲んだ。塩のかかった青菜を見ているだけでも酒は旨かった。
 テーブルに伏しかけた杉元は、しかし顔をバッと上げた。勢いの良いその所作に、何か反論の一手でも生まれたのかと、鯉登はわずかに身構えた。
「じゃあなんで会ってくれたの?」
「何が」
「だって色んな男を試したんだろ。本命ができたら絶対俺とは会わなかっただろ。お前、意外と一途だし元彼とは会わないタイプじゃん」
「意外とは何だ!」
「それでも今日会ってくれたってことは、入れたか入れられたかわかんねえけど、いろんな人と比べても俺が一番だったってことじゃねえの」
「……」
「なあ」
「……」
「なあって」
 鯉登は黙った。真っすぐ見つめる杉元の目から逃れるように視線を逸らした。
 鯉登は返事ができず、テーブルに貼りつけてある文字を無意味に読んだ。QRコードを読み込み友だち登録をすれば、登録画面の提示で本日の会計から5パーセントオフ……。
 団体客が帰って行く音が、閉じられた襖の向こうから聞こえる。店員の「ありがとうございました!」という大きな声が響く。
 暫し無言の時間を過ごした。
 無言だけれど、嫌な雰囲気ではなかった。
 緊張で引き締まっているよりかは、ゆるくてふんわりした雰囲気だった。どこかふわふわしている。身体の血の巡りがよくていて肌がむずがゆい。
「失礼します! ラストオーダーの時間になります!」
 ガラッと無遠慮に引き戸が開けられたと思うと、ニコニコした店員が伝票を片手に注文を待っている。鯉登を一瞥した杉元が「大丈夫です」と言うと、店員は再び戸を引いて去って行った。
「あのさ、……鯉登」
「……」
「二軒目どうする?」
 付き合う前の微妙な関係みたいだと思った。鯉登とこうなる前、どうだったっけ。もう何年も前だったけれど、今でもその気持ちは鮮明に思い出せるように感じた。あの時も今みたいに、じりじりと鯉登に焦がれていた。
「ここからだと私のマンションが近い」
「え゙っ」
「不満か?」
「あ、いや、全然ッ……お邪魔します……」
 フィンランドを発つ一週間前から都合の良い夢を見ている気がする。それでもあの日、杉元が勇気を出して連絡をして、返事を受け取った瞬間に勝ち筋は見えていた気がする。こうなることがうっすらわかっていたような驕りすらある。あの鯉登はかなり前のめりだった。
 会計を済ませ店を出る。春の風がなまぬるく肌を撫でた。
 杉元は辺りを見て、日本の春だ、と思った。
 ピカピカ光る店の看板。大通りを歩く若者たちに、スーツ姿でお辞儀をし合うサラリーマンたち。大きな声をあげて笑う男女グループに、携帯を耳にあて足早に通りを抜けていくピンヒールの女性。それに、隣には鯉登がいる。
 前を歩く鯉登の片手が揺れている。
 あ、と思う。
 杉元はその片手をとって指を絡めた。指の間に指を通してしっかり繋ぐ。鯉登の手は湯に浸かった後のように熱かった。
「こういうことで……良い?」
「……キェ」
「良いってこと?」
「……好きに捉えろバカ」
 そう言いながら鯉登はギュ、と手を握り返した。杉元は笑った。胸にくすぶっていた靄が、風に吹かれて一気に霧散していったように感じた。2年かけて溜めた恋しさが消えて愛しさに変わった。
 自分といない間の2年、鯉登が誰かに心を開いて見せていたことは、めちゃくちゃにムカつくし脳が焼ける音がしそうなくらい嫉妬するけれど、それでも、再び自分に戻って来てくれたのならまあいいか、と思えた。
 ――それから鯉登の家に行った杉元は、部屋に置いてあった段ボールに驚くことになる。フィンランド移籍前、白石に譲渡した杉元の服が段ボールに詰めて部屋の隅に置いてあったのだ。「しまった」という顔をした鯉登は、段ボールを滑り込ませるようにしてウォークインクローゼットに隠した。
「白石に、杉元から買ったと聞いたから」
「買い戻した」
「別にそういうのじゃない」
「販売終了しているものもあったし」
「私が欲しいなと思うものがあったから」
「ちゃんと一度全部洗濯したし」
「本当にそういうことじゃない」
「違う」
 と杉元が何も言わないまま鯉登は言い訳を重ねた。今までいつ見た鯉登の顔より顔が真っ赤になっていた。胸がいっぱいになった。杉元はたまらなくなって鯉登の腕を引き抱きしめた。もう登場人物全員バカだと思った。「ゴメンね」「鯉登のいない2年マジしんどかった」と杉元が言うと「私だってさみしかった」と、胸に唇を押しつけるようにして鯉登が言った。
 そして「二年間一度も帰って来ないお前の薄情さは、その愛情をもってしても薄まらん」とも。

おわり




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