*2024年2月15日 11:49σ(・∀・)ノ


 ぬち、ぬち、と肌同士がぶつかるたびにローションの音がした。前立腺を掠めるたびに声が出る喉がかわいくて、杉元はべろりと喉を舐めた。
 腰を押し付けるとその度に押し出されたような声が出る。耳の裏を舐めるような声に、それを出させているのは自分だという自覚がより杉元の鼓動をかき立てる。鯉登の昼と夜のギャップが好きだった。昼間はツンケンして少しのミスも見逃さない堅物のような雰囲気があるくせに、夜は杉元の下で気持ちいいことに没頭する。かわいらしくていじらしくてどうしようもない。鯉登の好意が自分に注がれていることは自覚あるものだったから、その健気な様はより一層胸を打った。そもそも未経験だった鯉登の孔に男根を教え込んだのは杉元だ。受け入れる側に負担の大きいこの行為は、愛がなければ受け入れがたいことだとも思っている。
 だからそれが慢心だと言われたら、もしかしたらそうだったのかもしれない。
「……ッ杉元、ぁ、や、あ、ああ …ッそこ、」
「ここ? ……あー、締まった。そんなにイイ?」
「っん、奥……ぐりぐりしてっ、ぁあ、っふ、 んう」
「……やば、もうイきそ……イっていい?」
 そう尋ねると、鯉登はぐいと首裏に回っていた腕を自分に引き寄せた。そのまま口付けられたのを答えと捉える。言葉を必要としない甘やかなコミュニケーションに脳が溶けてしまいそうだった。これが二人で積み重ねた年月に裏付けされたものだとわかっているからだ。
 絞り込むようなそこの感触に、すべての意識が集中する。温度も音もなにもわからなくなって、ただ目の前の恋人だけに没頭する。鯉登の足が腰に絡みつく。出て行くなと言わんばかりの行動に心臓が跳ねる。性器がさらに硬くなったのを実感する。達する前の膨張だった。
「……ッぁ、あ、」
「っ、ふ……」
 ごり、と最奥に性器をぶつける。ぎっちり押し込んだせいでぶつかった足の骨が軋む。睾丸が引き攣る感覚がある。短く息を吐き出しながら、杉元は鯉登の中に射精した。
 それとほとんど同時に、触れていない鯉登の性器からぴゅく、と精液が出る。鯉登の腹の上を垂れていったので、杉元は慌ててベッドサイドのティッシュを引き抜いて拭いた。鯉登の腹の上を綺麗にしてから性器を引き抜く。ぬぱ、と温まったローションの音がした。
 ゴムを抜き口を縛る。吐き出し終えゴムの底に溜まる生暖かい精液に妙な感慨を覚えながら、ゴムをティッシュに包みゴミ箱に放る。かしゃ、とビニール袋が音を立てて揺れた。
「……ティッシュ」
「ん?」
「ティッシュ、一枚」
「はいはい」
 ふてぶてしい態度だが、事後どう振る舞えばいいかわからない鯉登の照れ隠しであることを知っていた。杉元はティッシュを鯉登に渡す。横腹を垂れた精液の拭き取りが甘かったらしく、鯉登はそれを拭いて、「はい」とティッシュをベッドサイドに腰かける杉元に渡した。こういう時のゴミ当番は杉元だったが、特に不満に思ったことはなかった。
 横になる鯉登の真横に身体を投げ、鯉登の身体を引き寄せた。汗が乾いて肌が冷たく感じる。それでもジッと触れ合っていると、触れたところからじわりと熱が生まれ始める。
「あ、そーだ。俺海外移籍することになった。あとは向こうがサインするだけなんだけど九割確定」
「ン……海外移籍?」
「前言っただろ。話来てるから挑戦してみたいって話!」
「ああ。言っていたかもしれん」
「レンタル移籍だからたぶん二年くらいなんだけどさ。待てる? 鯉登」
「えっ。……てん」
「え?」
「……待てん」
 ――杉元佐一26歳、実業団所属プロアイスホッケー選手。ピロートークの最中、恋人に振られる。




 4月。出会いの季節。今年度から北海道に来るのであろう若者たちががやがやと賑やかに杉元の横を通り過ぎて行った。杉元は空港の長い長い通路をスーツケースをゴロゴロ転がしながら歩く。スーツケースは胸中のように黒く、ずっしりと重かった。
 もちろん鯉登は見送りに来なかった。当たり前だ。待てないと言った恋人の旅立ちを晴れやかに送り出しに来るはずがない。
 鯉登に待てない、と言われた後、自分がどう振る舞ったか全く覚えていない。気付いたら鯉登を見送って一人になった部屋でベッドに腰かけていた。何時間こうしていたのかわからなくて、時計の針が『5時』を指していたけれど、それが明け方の5時なのか夕方の5時なのかもさっぱりわからなかった。
 それからなんとなく連絡がしづらくなった。
 時間が経てば経つほど、明確な言葉ではなかったけれどあれは別れの示唆じゃなかっただろうかと思い始めた。
 遠距離恋愛になる。それでもきっと帰ってくる。待てますか。
 ……この返事が「待てない」のだから、あれは「別れましょう」と同義なんじゃないか。
 考えれば考えるほどそうだとしか思えない。
 そして考えるほど日は経ってゆき、どんどん連絡がしづらくなる。何をしても「今さら」に収束してしまう。
 疑問に思った時に「あれって別れるってこと?」とすぐ聞いてしまえばよかった。こういうのは瞬発力がなにより大事なのに。時間が経つとどんどん聞きづらくなってしまう。あれこれ考えた最終手段で疑問をぶつけるのではなくて、とにかく疑問に思った瞬間にぶつけてしまうのが一番良い。頭でこねくり回したって、答えは相手の中にしかないのだから考えるだけ意味がない。
 藁にもすがる思いで友人の白石にも聞いてみた。一応鯉登とも知り合いではあるので、鯉登の性格を考えたうえでの回答をもらえるだろうと思ってのことだった。
 けれど、やっぱり杉元の思った答えは返って来なかった。
「えっ。普通は別れるってことじゃん? だって待てないんでしょ。まあ鯉登ちゃんが素直に待つよって言うとは思えないけど」
「……だよなぁ」
「なに別れちゃった?」
「わかんねえから聞いてんの」
「本人に聞けば一発じゃん? 聞いちゃえ〜」
「いや……お前だったら聞けんの? なんて言えばいいんだよ。あれって別れるってことだった? ってバカの顔して聞くのかよ」
「鯉登ちゃんは察して察してってタイプじゃないと思うから聞いていいと思うけど。でもまあ一般的に待てないっていうのは、待つくらいならその間遊びたいってことじゃない? 普通2年も待てないって。繋ぎとめるものがないと待つ方は不安でしょ。フィンランドだっけ? そこまでついて来てもらえば?」
「俺そこまで稼ぎねえし、そもそも鯉登大学あるしィ……」
「あ〜あ。ダメだ。打つ手なし」
「……」
「だぁから、聞けばいいって! 杉元って身体は不死身なのに、こと恋愛になると弱いよなぁ」
「……ウルセ」
「でもまあ、俺がお前でも聞けないと思うけどねぇ〜」
 白石の言葉が決定打になった訳ではない。けれど、自分の推論を補強でもされたような気分だった。
 レンタル移籍の契約は締結され、4月から移籍することになった。氷の張らないオフシーズンは休暇をもらえると聞いたけれど、移動で3日ほどかかるので日本に帰って来れたとしても一日くらいしか暇がない。それでも鯉登に会いに戻って来ようと思っていた。けれどそれも言えなかった。
 言う順番を間違えたのかもしれない。でも、帰ってくるよ、一年に一日だけだけどね、と言ったところで何か変わっただろうか。
 七夕みたいに一年のその一日しか会えないなら、そんな頻度なら繋がりなんていらない、と言われてしまったら。
 一年に一度しか会えない人間より、ほとんど毎日会える人間の方が良いと言われたら、もう、それこそ本当に終わりになってしまう。

 日本を発つ前日、意を決して鯉登に連絡をした。
『レンタル移籍することになった。明日フィンランドに行く』
 と送った。指が震えて何度も打ち直した。はっきりと関係性を確認しあった訳ではないが、おそらくは元彼――からこんな連絡が来たら気持ち悪いだろうか。この移籍が決定打で別れることになったのに、何わざわざ報告するんだと思われるだろうか。それでも義理を通したい気持ちで送った。
 どういう返事が来るだろう。鯉登の性格上、別れた相手なら無視するだろうか。それとも激励の一つでもくれるのだろうか。付き合っている最中は手に取るように分かっていたつもりだった恋人の性格が、今はもう何一つわからなくなっていた。
 一時間ほどして、画面が光った。メッセージ受信の通知だった。杉元は心臓が嫌な音を立てて跳ねるのを聞きながら、恐る恐る手を伸ばした。心臓の音をうるさく思いながらメッセージを開く。
『頑張れ。応援してる』
 鯉登からの返事はシンプルだった。恋人に向けるもののようにも、友だちに向けるもののようにも、元恋人に向けるもののようにも思えた。
 ……でも恋人に対してだったら何時発かどうかも聞くんじゃないか? たとえ見送りに行けなかったとしても、発つ時間くらいは気になるはずだ。
 頭に浮かんだその推測はひどく筋の通ったもののように感じた。胸の空洞にスッと隙間風が吹いた気がした。
『ありがとう。頑張る』
 とだけ返した。終わったんだ、と思った。
 すぐ既読がついて、ファイト! と文字のついたスタンプが送られてきた。オットセイだかアシカだかアザラシだかのスタンプは、鯉登が好んで使っていたものだった。
 心臓がギシギシよじれて痛い。
 これが人生の大きな決断だったか、と聞かれると、もしかしたら違うかもしれない。レンタル移籍は本移籍ではない。二年後に日本に戻ってくることが前提の移籍である。稀に契約更新……というか、本移籍になって現地にそのまま残ることもあるけれど、杉元の場合はその可能性は低かった。向こうでの練習だとかそういうのを実際に肌で感じて、勉強して取り込んで、それを還元するために日本に戻ってくるのが目的だからだ。杉元が断れば他の人間が行った。けれど、このチャンスを逃したくないと思ったのも事実だった。
 短い競技人生、70代になってバリバリ競技ができるかと言うと、そうではない。若い頃が一番大事で、貴重で、何物にも代えがたい。
 でもそれは長い人生で、何に於いても言えることだった。
 鯉登も若い。鯉登が、それこそ70代であれば杉元を待つと答えたかもしれない。けれどまだ若い鯉登の2年を、ただ『遠距離の恋人を待つ』ことに費やさせてしまうのも違うと、杉元はわかっていた。頭ではわかっていても心は一緒に付いて来てくれなかった。
「ハァ〜……マジで終わった……」
 大学に入った頃から使っていた部屋は先日引き払った。空港に近いホテルの部屋の中、手元のスマホを放り投げた。
 使っていたベッドもテーブルやテレビも、食器や調理器具も全て捨てた。全部は持っていけないので泣きながら選別して服は白石に譲った。売るなり捨てるなりなんでもしてくれて良いと言った。
 あれこれ選別していたら、自分の荷物はスーツケース一つに収まった。アイスホッケーに必要な防具やらなんやらのあれそれは、自分の所属するチームが向こうに送ってくれていた。鯉登との思い出もスマホの中に入っている写真と、トークルームだけである。
 杉元に実家はない。荷物はスーツケース一つだけで、どこまでも身軽だった。
 人生にとって何が重要かとの問いに、杉元は迷わず夢だ、と答える。散々な人生で夢は心のより所になったし、自分を何より奮い立たせてくれた。生きるすべだった。
 けれど恋愛が大事ではないかというとそうではない。鯉登のことだってものすごく大切で何にも代えがたかった。生意気で高慢ちきで何代も続く政治家よりも偉そうな態度をとるしで腸は何度も煮えくり返ったけれど、嫌じゃなかったし感情を揺さぶられるのだってむしろ心地よかった。鯉登のその態度は自分を普通の人間に戻してくれるように思っていた。
 恋愛を二の次にしたらなし崩しに鯉登のことを失ってしまうなんて、話が違う。
 ――だから嫌なんだ。大切なものを一つに詰め込んでしてしまうのは。
 杉元はゴロンと横になる。ホテル代はチームが持ってくれたので、自分では選ばないいい部屋だった。
 ……そういえば鯉登も、ホテルはいい部屋を取りたがった。
 無意識にそんなことを考えてしまい、ハァと深いため息を吐いた。
 こうやって何かにつけて鯉登のことを考える機会は、これからどんどん減っていくのだろうか。
 いつか『こんなことで悩んだこともあったなあ』と笑って思い出せる日が来るのだろうか。
「寝れる気しねえよクソ……」
 いつか笑い飛ばせる日が来てしまうなら、ずっとウジウジ悩んでいたいと思った。
 なんだか投げやりな気持ちになって、白石に『たぶんマジで終わった』と送ると、しばらくして『ドンマイ!』と来た。慰めを欲していた訳ではなかったのに無性にイラついた。
 部屋の電気を消して寝ようと試みた。ずっと脳の一部が覚醒しているようで、うまく眠ることができなかった。



 ――フィンランド到着。
 フィンランドはめちゃくちゃに寒かった。4月と言えど想像していた4月とは違う。ダウンを着てきて正解だった。空港にWi-Fiが通っていたのでスマホを起動させると、白石からメッセージが入っていた。到着を確認するものだったので適当に返事をした。
 移籍先のチームのコーチと日本人通訳が迎えに来てくれていたので、合流して、すぐチームの本拠地へと向かった。
 都市部はさすがの栄え具合だったが、しばらくするとのどかな風景が車窓から現れた。
 最初しばらくはコーチと通訳と、日本の話やアイスホッケーの話などをしていたが、話題が尽きると車内はカーステレオからの音楽で満ちた。
 聞き慣れない音楽と、見慣れない異国の地。
 こういう非日常を、一番に伝えたいと頭に浮かぶのは鯉登だった。
 ……また思い出してしまった。
 日常を過ごす中、何を考えてもその余白に鯉登がスッと滑り込んでくる。
 郷愁に似たものが頭を翳らせる。
 自分の選択は間違いじゃない。
 こういうのは自分たちだけに神様が誂えた危機などではなく、よくありふれた人間関係の一つだ。そういう恋愛ドラマや小説などが流行ったこともあったし、バラエティで議題に上がっているのも見たことがある。
 杉元はこれから日常の一部になるであろう光景を、薄く濡れた目に焼き付けるようにジッと見続けた。

 杉元はもともと順応性が高いたちなので、3日もすれば環境に慣れた。
 慣れたけれど、それでも唐突に訪れるホームシックはたびたび杉元の胸を引き絞った。周りは異国語話者ばかりで、いくら自分に気を使ってくれているといえど、通訳を介したり翻訳アプリを駆使しなければ意思の疎通ができない。いつかは伝わるけれど、タイムラグが大きくて、待つ時間どんな顔をしていたらいいかわからなくてそわそわしてしまう。宇宙飛行士と中継会話しているような気分だった。「気にするな」とは言ってくれるけれど、スムーズではないコミュニケーションの原因が自分にあると思うと申し訳なさが募る。
 こういう時誰に心中を吐露していいのか、杉元は迷っていた。
 杉元に実家はない。家族は早くに亡くしてしまった。幼なじみはいるが、結婚して家庭を持っているから邪魔できない。友人もそれなりにいるけれど、不安な感情を伝えたところで困らせてしまうのが目に見えている。白石――はかなり有力な候補ではあるけれど、真っ先に連絡したい相手ではない。そもそも日本にいる時だって、急に連絡をするとギャンギャンうるさいパチンコ店内の音が聞こえてくるのが常だった。
 だからこういう時、いつも頼りにしていたのが鯉登だった。
 日本にいたときも、レギュラー争いで相手に軍配が上がりそうな時、試合中足を捻って故障による離脱が頭をよぎった時、チームの運営母体がチーム経営を手放そうとしているという噂を聞いた時、……そういった時に生まれる不安や葛藤は鯉登に話していた。彼は真面目な話を茶化すことはあっても、決しておざなりにすることはなかったので頼りにしていたのだ。
 よく言えば、なんでも話せる人だった。
 逆に言えば、すべて鯉登に背負わせていた。
 親がいれば親に不安を吐露していたかもしれない。けれど杉元は親がいないから、自然と恋人である鯉登を頼った。鯉登は恋人でもあるから、自分の心を全部鯉登に預けていた。鯉登は自分の親のようでもありながら、親友で、恋人だった。人間関係のすべてを鯉登に集約させていた。
 財布も音楽も連絡先も時計も、すべてを集約させたスマホを取り上げられると何もできなくなるのと同じように、鯉登を取り上げられた杉元の心のより所はどこにもなかった。
 ゴロンと自室のベッドに横になる。家具家電付きの選手寮を一部屋貸してもらえたのでそこで生活している。壁が薄く、隣から電話しているチームメイトの声が聞こえる。相変わらずの異国語で心細さがグッと増す。
 目を開けてシーツを見る。フィンランドの国民的キャラクター、ムーミンのシーツだ。この部屋には所々ムーミンがいる。時計も、チェストも、カーテンも、果てには「移籍祝い」と監督から渡されたタオルでさえ、ムーミンと仲間たちの柄だった。
「……ぜってー鯉登が好きなやつじゃんかよ」
 この国でムーミンを見るたびに何度も飲み込んだ言葉を、今やっと吐き出した。
 その言葉は、隣から聞こえてくる笑い声にかき消された。



 ――フィンランドに来て一年が経った。
 一年はあっという間だった。と言うより、あっという間だと思えるように努めて過ごした。できるだけコミュニケーションを取りたいから語学の勉強をし、学んだことは一日の最後にレポート用紙にまとめ、それを清書しながらパソコンに打ち込み日本にいるチームへと送った。二度手間だがこの手間を短縮すると暇ができてしまうので、できるだけ暇を作らないようにした。
 ただ一年も経つと慣れが出てきてしまう。じゅうぶんに時間にゆとりが出てきた杉元は、街を歩くことも増えた。そうして最初は日本人の経営する店を見つけて通い、その次に現地の人の経営する店へと行く先を広げ、次々に自分が行ける場所を増やして行った。
 うまく生活ができているという自覚があった。
 気分に合わせて行く店を決めているし、仲の良いチームメイトもいて、少しずついろんなことを話すことが増えていた。
 それでもまだ鯉登のことは忘れられなかった。
 アプリの鯉登のアイコンが変わっていないか見てしまうし、円満に恋人でいられた時のトーク画面を見返して重い息を吐いたりしている。白石とは連絡をとっているとはいえ、まさか「最近の鯉登どう」とは聞けない。ただ時々フィンランドの風景を見たがるので写真は送ってやっていた。
 この頃にはムーミンを見ても「鯉登の好きそうなやつ」ではなく「ムーミン」としか思わないようになったので、精神はかなり成長していると感じる。
 それでも日常の折に鯉登を思い出せば胸が痛んだ。待てなかった鯉登は、日本で、いい相手を作っているのだろうか。その相手と一緒のベッドで寝たりするのだろうか。
 鯉登は性欲が強い方だったように思う。一度同じベッドに入るとねだられて何度もしたし、それに付き合えるくらい杉元も性欲は強かった。そんな鯉登だったから、まあ、待てないのもそりゃそうだろうな、と今なら思える。待てるかと問うたのは、かなり傲慢だった。あの時の自分を張り倒して「お願いだから待っていてください≠ニ言え!」と言ってやりたい。それでも、そうしたら絶対待ってくれるという訳ではない。
 杉元の盛んだった欲は鳴りを潜め、一年前に鯉登としたセックスで最後だった。自慰をすれば勃つには勃つけれど、それを誰かの身体の中に収めたいという欲は生まれてこなかった。
 鯉登がいい、と、そう自覚するたびに涙が出そうになった。誰か知らない相手に抱かれている鯉登を想像してしまいそうになって、あわてて打ち消すのを何度も繰り返した。

 練習終わりのロッカールーム、何の気なしにトーク画面を開いた。特に変わったことはなかったが、癖で鯉登のアイコンをタップし、写真を拡大した。画面いっぱいに写真が広がる。
 鯉登のアイコンは、別れる前と変わらず水族館の写真だった。付き合う前に一緒に行った水族館で、水槽をジッと見つめる鯉登を後ろから撮ったものだった。暗い館内で水槽が青く光るので、鯉登の後ろ姿はまるで影のように映っている。内緒で撮っていたのを伝えると鯉登は怒り、でも写真は気に入ったようで「設定してくれ」とスマホを杉元に放り投げて自分のアイコンに設定させたのだった。
 変更しないのは、やり方を知らないからかもしれない。まさか自分に未練があるとか、そういう都合の良いおとぎ話ではなくて。




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