『才能開花とは競争です。競争とは努力過程と繋がりです』
私はクライアントの子供らと関わると どの分野で才能が活かされるかを見ながら「親子にヒント」を与えます。
例えば
※個人競技の才能があるなら→孤独との戦いにどれだけ耐えれるか→集中力や情熱はあるのか→親は黙って応援できるか→子供の苦しんでいる姿をどれだけ見ていられるか→サポートできるか→子供の能力と力を信じて見守れているかを見ていきながら
「遠回し」にポジティブとネガティブを伝えます。(ネガティブの八割は親です)(日本人の場合)
最近では体操に才能がある少年に 「競争意識」と「努力過程、結果への結び付き」の法則を伝えながら どれだけ「聞き入れる」力があるのか、その才能が過程によって育つんだと話しながら努力過程と結果が伴った場合 ステージが上がりそれは「新たなチャンスの始まり」なんだと話してました。
その結果
少年の才能を認めるコーチ陣と廻り合い、メダリストが経営する道場へ通うことになりましたが
少年は「通過点」とわかっているので この試練をどう成長へ変えていくかを見守っております。
通過点..
日本人は本当に通過点にするため 人との繋がりが途絶えてしまいます。
私が少年にうるさく話すのは 「出会った人が通過だったとしても」「人としての繋がりは意味が違う」と話しております。
もちろん
少年の才能を悪用したがる輩もいます。
ですが
私と関わるとは 人間の本質を見抜くことも学んでいるので 少年にとって悪い輩は「見抜く力を磨く」チャンスになり スポーツ選手の技術として「観察眼と分析力」そして「行動力」を身に付けるのことで 一流への扉へ近付けます。自分の意志で闘いの世界で生き抜こうとするなら、観察眼と分析力、そして行動力は必要なアイテムであります。
これは仕事でも同じで 自立なき人間は 修羅場で戦える観察眼、分析力がないので行動へ伴いません。
この世の中を生きるのは 誰なんですか?あなたの代わりは誰かやれるのですか?あなたは努力はやらないのですか?考えないのですか?人生他力本願主義で生き抜けますか
最近、親愛なる友人のお子様に、遠回しに才能開花させるキッカケ作りの話したり、お店屋さんをイメージさせた お店屋さんごっこ的な話をしてますが 食い付いてこないので諦めました。(>_<)
それはお子様が料理を作ってくれたり 学校行事に呼んでたりしてくれる 「サービス精神や人と関わる才能」があるからなんですが
その才能を「育てる意識」がなければ それは自立がないこと 才能に負けているため 私との縁がなかったということになります。
縁とは作るのではなく
自身の思いやりや努力過程が評価されて 出会いがあり、そのキッカケを「あなた自身が」どうするかで縁が繋がっていきます。
あなたは何歳ですか
二十歳?あっという間に30歳ですよ→時間はあるようでありませんよ
35歳?まだ理想主義者をやっているのですか?→チャンスは1日、1日消滅していると気づきませんか
私にはプランがある?→行動と伴ってないなら それはアイデアとは言いませんよ→実践に繋がる行動をやれる状態でないのに→アイデアがあるとは 理想的発想の言葉なんだと気づくべきではありませんか
芸能界を見てわかりませんか?
子供が大人より稼ぐ時代であること..気づきませんか
子供からお金を稼ぐ時代に変わったと気づいてなくて、先見の明があるのですか
ある政治家がメディアで
国の借金を返済する気がないと話してましたが
その時点で 日本経済は弱肉強食時代なんだと気づくべきではありませんか