“乾先輩"
俺がそう声をかけると、先輩はゆっくりと振り向いた。俺の顔を見るとだらしなく笑って、ゆっくりとこちらに手を伸ばしてくる。
緩んだ笑顔のまま、くしゃりと頭を撫でられる。
そんな夢を、今朝見た。
「なんだよ……今の……」
朝から先輩の夢を見るなんて、なんとも複雑な気分だ。なんでアンタが出てくるんだ。朝練でも顔を合わせるのに。
でも、喜ぶ先輩の顔を見るのは嫌じゃない。それに俺の頭を撫でる度に見せるあの表情は………
「……くそっ!」
俺は勢いよく起き上がると、顔を洗うため立ち上がった。寝起きの気だるい気分も、顔が熱いのも、冷たい水で洗えば治まるはずだ。
朝の部室で会った乾先輩は、夢で見たよりヘラヘラしていた。
「おはよう海堂。」
「…おはようございます。朝から機嫌良いみたいっすね。」
「そりゃあ、もちろん。海堂が夢に出てきたからね。」
俺はその言葉にビクリと肩を跳ね上げ、シャツのボタンにかけていた指が縺れてしまった。
しかし、乾先輩は気付かなかったようで、また上機嫌に喋りだした。
「海堂を見てたら無性に愛しくなって頭撫でてたんだ。そしたらそこで目が覚めてしまってな。」
惜しいことをした、と悔しそうに話す先輩の横で、俺はまた肩を跳ね上げた。何でよりによって……!
しかし今は同じ夢を見ていたことに対する羞恥でいっぱいだ。赤くなってるであろう顔を隠すため、俯いた。しかし、そこで先輩は聞き慣れない言葉を呟いた。
「思いつつ寝やれば人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを。」
「……え?」
「古文で習わなかったか、恋の句。」
そう言われてみれば、先日聞いた気がする。
意味はなんだったかと思い出すより先に先輩が答えた。
「あなたを思いながら寝たからあなたが現れたのだろうか、もし夢とわかっていたら目を覚まさなかったのになぁ。…正に今の俺じゃないか?」
「……馬鹿馬鹿しい…」
そう冷たく言い放つが、先輩には少しも堪えてないようだ。それはきっと、俺の本当の気持ちを知ってのことなんだろう。
この人はことあるごとに気持ちを伝えてくる。ときにはさりげなく。ときには大胆に。
俺は毎回それに応えられなかった。応えたい気持ちもあったが、堂々と認めるには恥ずかしくて出来なかった。
だからいつもぶっきらぼうになってしまうが、それでも先輩は正確に理解してくれた。
そんな先輩に俺はいつも甘えていたんだ。
「海堂知ってるか?現在だと夢に好きな人物が出てくると、自分が想っていたから出てきたと考えるが、昔は逆だったんだぞ。」
「逆?」
「つまり、相手が自分を想っていたから出てきた…ってことさ。」
したり顔で話す乾先輩を見ながら考えた。
相手が自分を想っていたから、夢に出てくる。
ならきっと……
「だから海堂の夢に俺が出てきたりしたら……」
「今朝見ました。」
「へ?」
先輩の驚いた眼が俺を捉える。心臓の鼓動が煩く耳につくが、聞こえない振りをする。
「アンタが出てくる夢、今朝見ました。……想いあってるから、見たんじゃないすか………」
後半は呟くようにしか喋れなかったが、先輩は何故か耳がいい。
その証拠に硬直していた先輩の表情が、だんだんと緩んでくる。
「……お前はいつも俺のデータの上を行く……」
「何でもデータで図ろうとすんじゃねえ……」
「本当、理屈じゃないな。…海堂、顔真っ赤だぞ?」
「っ!うるせぇ!」
赤くなった顔で睨み付けても効果はなく、先輩は緩んだ笑顔で俺に手を伸ばす。その手が髪に触れると、かき回すように撫でてくる。
そこでふと、既視感を感じた。
(……あ…)
今朝の夢と同じだ。ただ一つ違うことは幻影ではなく、確かに先輩がいること。触れる手の感触と温もりは夢では味わえない。
「やっぱり、夢で逢うより、今ここに海堂がいる方がいいな。」
心を読まれたかと思った。けれど、互いが夢に出てくる程だ。考えることなど、一緒なのだろう。
「……そうっすね…」
俺が顔を上げたと同時に同じように先輩の顔が近付いてくる。
重なりあった部分から、俺の気持ちが伝わるよう、祈った。
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朝から部室でイチャついんてじゃねー!という突っ込みが聞こえます。もっともです。
海堂さんが珍しくデレた様子です。なんとも恥ずかしい話だね!