昨日中に書くはずだったけど文章がまとまらず一日遅れてしまいました
一年前のこの時間、私はいつまた大きな余震が来るかという不安を抱えながら停電して真っ暗な部屋の中懐中電灯を枕元に置き娘と二人で服のまま布団に入っていました
2011年3月11日午後2時46分
仕事中だった私はその日の郵便物をとりまとめていた
その時、いきなり大きな揺れがきた
それは立っていられないくらい強い地震で今までに経験したことのない長い揺れだった
私の会社はビルの4階にあったが、壊れてしまうのではないかと思うほど揺れ、停電して電気が消えてしまった
すぐに気になったのは子供たちのこと
携帯を開くと娘から
「地震すごかったね
お母さん大丈夫?」
とメールがきていた
娘はこの日午前授業で早く帰っていて私の両親と一緒にいたので安否確認も出来てひとまず安心
あとは息子
息子は春休み中だったがサークルの練習のため学校に行っていた
私「大丈夫?」
息子「なんとか」
息子とも連絡がついた
気をつけて帰ってくるようにメールし、今度は自分の心配。
大きな揺れのあとも何回も揺れ、なかなかおさまらずみんな仕事どころではなかった
少し揺れがおさまった時、上司にもう帰るように言われ急いで帰る支度をした
車で通っていたのでパーキングに行くと停電で料金の精算が出来ず、バーも上がらない
どうしようもないので徒歩で帰ることにしたのはいいけど帰ってる途中で地割れするんじゃないかとビクビクしながら歩いた
携帯は通話は出来ずメールのみ、そのメールもすぐには届かず遅れて届くようだった
停電で信号がつかないから歩行者は横断しづらい中、ようやくの思いで家にたどり着いた。
両親と娘は余震が続くからと父親の車の中にいた。
私もしばらく車の中にいたが、そろそろご飯の支度をしなければということになりみんな家に入り懐中電灯で照らしながらうどんを煮た。
ガスと水道は止まらなかったのが不幸中の幸いだった
実家に反射式ストーブがあったので居間に置き、閉めきって寒さをしのいだ
そこへ息子からのメール
「彼女連れてってもいいかな?
」
息子には数日前に付き合い始めたばかりの彼女がいた
その彼女はアパート暮らしだったのだが電気だけでなく水道もガスも止まってしまったという
「いいよ、連れておいで」
両親と私と子供たち、それに未来のお嫁さんの六人で停電した二日半と、電気が復旧してからの一週間ほどを一緒に過ごした。
停電していた間は情報源はラジオしかなく映像がなかったので、電気が復旧してテレビで震災の映像を見た時は愕然とした
私の会社の社員には幸い死者はいなかったけど、ご家族を亡くした方、ご親戚を亡くした方はいたようです
広い範囲での地震、沿岸では津波、福島では原発の問題と被害が大きく本当に大変な一年でした
この震災で亡くなった方々のお悔やみを申し上げるとともに、一日も早く被災地が復興することを心からお祈り申し上げます。
乱筆乱文失礼しました。