prof:bkm:
30代/二次元/メンタル/お洒落
誘拐未遂や変質者の話
02:24 2015/8/28
話題:超どうでもいいこと

発達障害者は往々にして人を信じやすいようですが、わたしも例に漏れずそうです。そのため物心がついた頃から見知らぬ男の人について行き、何度となく痛い目を見ました。記憶を遡ると保育園児だった頃にはもう失敗をしています。当時母子家庭の家族が暮らす母子寮(母子生活支援施設)に住んでいたのですが、そこの高校生の男の子とわたしと同い年の男の子から部屋に連れ込まれていたずらをされていた時期があります。わたしは幼いながらに「お母さんには言っちゃいけない事をした」という自覚はあって、じゃあどうしたらいいのか?と考えた時、黙って死ぬしかないと思い至りました。それで母とベランダで洗濯物を干している時に「お母さん、ここから飛び降りたら死ぬかな?」と尋ねたら「そんな暗い事言う子はもうお母さん知らない!死にたいなら死になさい!」と叱られ、本当に二階のベランダの柵をよじのぼって柵の向かい側にぶら下がった事があります。母親に止められたのかどうかは覚えていません。怖くなって自分で引き戻ったのかもしれない。ともかくその頃にはもう既に自殺願望というのは備わっていたのです。

後々になってあの頃母は離婚したばかりでとてもストレスがたまっていた事を知るのですが、それを差し引いても母子寮での生活にいい思い出はありません。保育園でもお昼寝の時間に同い年のボーイッシュな女の子からいたずらをされていたんですよね。小学校がわかれて一度離ればなれになりましたが、高校でまさかの再会、それも三年間同じクラスです。まともに話した事はほとんどないんじゃないかな……わたしはずっと「話しかけないでください」という雰囲気を出していたし、彼女が所属する運動部女子のグループには近付かず、いつも仲良しの女の子二人の陰に隠れていました。一度チョコブラウニーか何か手作りのお菓子を作ってきてくれた事があったんですが、それも「いいです」と受け取りませんでした。ちょっと大人げなかったかなと年をとった今は思います。何もなかったフリをして友達になる事もできたのかな。

話を戻し、痛い目を見た経験です。小学校五年生か六年生の時は危うく車で誘拐されかけて警察のお世話になりました。また同じ時期、友達とデパートの書店フロアでわかれて一人で雑誌を見ている時に知らないお爺さんから連れ去られそうになり、戻ってきた友達の叫び声で事なきを得た事もあります。中学三年の時には学校の裏門の前で「道が分からない」という若いお兄さんに手を引かれ、ビニールハウスへ連れ込まれかけたところを数学の先生に救出されています。高校一年の頃も道案内を求めてきた人からビニールハウス脇に押し倒され、自力で逃げました。自転車のチェーンが運悪くはずれてしまったので、もう自転車をほっぽって裸足で走って。そしたらたまたま演劇部の先輩から電話がかかってきてその人経由で警察の人たちがやってきたんですが、結局犯人は現場を去ってから時間が経ちすぎているという事で捕まりませんでした。ただビニールハウス周辺には「変質者注意」の札が立つようになりました。これは今でもあります。

馬鹿な話は大学一年生になっても続きます。学園祭の帰りに自転車通学の友達と道路を歩いていたら、爆音で音楽を流す車がわたしの隣に横付けしてきて助手席の人が「○○駅ってどっちにあるか指さして」と言ってきたんですね。「あ、○○駅はあっちですよ。地図を書きましょうか?」と腕を上げた瞬間後ろの席のドアが開き、バッグを捕まれて車の中へ連れ込まれそうになって。友達が自転車から手を離して助けてくれなかったら、そのままどこかへさらわれていたと思います。全部、自業自得の話なんです。先生達からも半ば呆れ気味に「もう少し危機感を持ってくれ!世の中良い人間ばかりじゃないんだから」と言われています。ここまで読んでこの人はなんて大馬鹿者なんだろう!と思ったら、それが正解だよ。

ちなみに母はすっかり心配性になってわたしが夜外出しようとすると「もう暗いし明日にしたら。弟をボディーガードに連れて行ったら」とおろおろするようになりました。29歳の娘にかける言葉としてはいささか心配しすぎな気もしますが、それだけ気を遣わせていると思うと申し訳なくもあります。

拍手してくれた方々どうもありがとね。

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