俺の選曲には無いよ


12/20 23:59 映画の話 

話題:年上彼氏

おはこんばにちわんわん。
うさです。

プロフィールにもある通り、俺は一個年下のこささんと付き合う年上彼氏なわけですが。

正直、「年上彼氏」という言葉が持つ年上感をその身をもって醸し出せる程、大人ではない。

実際、学校とかで一個上の学年の人って大人に見えたりしたものだけど、浪人して自分とタメの人間が一学年上にいる状況ができてから、そういう感覚はただのまやかしだったと気付いた。

「大人」ってなんだろうと思う。「老けてる」ならわかるし、多分俺もそれなら当てはまる。でも、「大人」ってね。自立。精神的な安定。足りないものばかりだ。

「大人」なんてもの、ほんとはどこにもいない。一番身近な大人である親が、完璧超人じゃないどころか、ただただ足りないとこだらけの、自分と同じ様な誰かの子どもだと知った時にわかった。



今日見ながら、親子のこと、大人になること、色々考えた。

超簡潔に説明すると、
狼男との間に二児をもうけた母親、そしてその2人の子の成長の記録、てとこだろか。

全然大人じゃない2人が出会って子どもができた。子どもが子どもを生んで育てる。生まれて来た子どもは、親の意図しないような成長を遂げるが、それを「大人になった」と、親は不安になりつつも喜ぶ。

俺は違和感を感じた。自分が大人ではなかったくせに、子どもが大人になったかどうかなんでわからないはず。少なくとも、育てるだけの能力が充分にあるとは言い難い状況で子どもを作る親を、俺は大人とは思わない。

親が「子のためを思って」取る行動。その行動を生むエネルギーの元をたどって、理由のわからないものは全て「母は強し」だとか「親子の絆」だとかエモい言葉で美談にするような物語を俺は信じない。

全て親が平等に、子どもへの愛を持っているなんで誰も信じてない。けど、親は子どもを選べないが、子どもは何一つ選ぶことなどできないことに自覚的な親は少ない。

細田守監督の作品は、時かけもサマウォも好きだった。登場人物が、大人も子どもも皆、自分が大人だとは思っていないようなキャラクターばかりだったからだ。

おおかみこどもは、タイトルからして、こどもと対をなす大人が出てこなければならないはずなのに、誰も大人じゃない。大人じゃない大人が、親であることと、大人であることを混同して、エゴを通そうとする、そんな映画。

好きなものばかり紹介するブログだと言っておきながら、嫌いなとこばかり書いてる。

この映画の好きなところは、こういうことを考える契機になったこと。子どもであることを忘れない、わがままである対価の謙虚さを考えること、そのきっかけになりうることが、この映画の魅力だと思う。

話題からだいぶ離れたね。
俺は大人になれなくても、謙虚でいたいです。年上彼氏ぶらずに。

ま、最初から年上彼氏ぶれるような部分なんか無いのだけど。

終わります。
あざした。
ほいではでは。



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