企画していたイベントが終わった
楽しかった
ちゃんと三次元に身を置いて人と関わるって大変なことですね(嫌とかではなく)
どこまで優しくするのか、優しさとは何か。気遣いとは何か。
どこまで責任を取りどこまで把握し伝達し何を、誰と、誰が決めるのか。
色々なことを考えた日々でした。
至らない点を上げろと言われたら無数に上げられるし発言の一つ一つを反省することもできるけれどそれはしない方が良いと分かっている。
ガチガチにルールを決めてしまえばそこから外れた時に苛々するし、このくらいの緩さが丁度良いのだろう
昔から『考えすぎ。そんなに考えなくて良いのに』と言われてきたけれどこの癖は中々抜けない。というか抜こうとも思っていなかったかな。学校という枠組みか無くなってからは集団行動をすることも無かったから。
今回のことでよくよく分かったのが自己統一性を欠いているということ。
人の顔色を伺ってきたからだろうな。そしてその相手は特定のパターンが無く突然にキレるからいつそれが起こるのか分からなくてビクビクしていた。
常に正解が分からない
これで良いのか?あっているのか?誰にとっての正解か?正解とは何なのか。
ずっとずっと分からなくて不安を感じる。
人との関わり方が分からない
今回この企画中にあまりにも不安で不安で仕方がなくて震えが止まらなくて第三者に電話をして私の行動は他人から見るとどう見えているのか、人として大丈夫な言動なのかを確認してしまった。不安定が過ぎる。
明るい人間になれたと思っていたのだけど根本的な問題は何も解決していないらしい。
主体性とはどうやって培われるものなのか。
1つの問題に対して同時にいくつもの答えが聞こえる。その中からどうやって“自分の意見”を見つければいい?
精神の分裂を感じる。細かく刻んで道の途中に置いてきた。どうやって集めればいい?
どうして思い切り吐き出させてあげなかったんだろう。思い切り怒鳴って喚いて暴れて思いのままに表現させてあげなかったんだろう
ごめんね、自分。
こんなに傷ついているなんて知らなかったんだ
今回企画を立ててみてご機嫌伺いとは別にどうしようもなく人を喜ばせることが好きなのだと気がついた。
その為なら自己犠牲をも厭わないところがちょっと傷だが、何かそういうプランニング的な仕事に向いているんじゃないかと思う。
そう考えるとやはり大学へ行くのは的外れなルートではないだろう
奨学金が下りれば通うことができるけれど、覚悟が決まりきらない。踏み出したら二度と戻れない気がする。戻りたい訳でも無いだろうに。
本当にこれで良いんだろうか