物語の中でだけは、なりたい自分になれる。
物語の中でだけは、誰をも幸せにできる。
小説を書くことは、自分のとっておきの世界を作り上げることと同じだ。
「髪の毛を逆立てるのはやめて。面白くないわ」
誰かれ構わず仕掛けられるイタズラは、今日は運悪く私に矛先が向いた。同級の双子は私の言葉を聞いて大げさにおどけてみせる。
「“面白くないわ”?」
2人が声を揃えて言う。
「心配しないで。君はいつだって最高に楽しそうだよ」
「ほら、今日も眉間のしわで“楽しい”って書いてある」
わざわざ私の目線まで屈んでから意味不明なことを言って、ハイタッチしながら去っていった。言いたいことはたくさんあるはずなのに、また言い返せなかった。
周りにはそこそこの数の生徒がいて、私を見てクスクス笑っていたり、双子に向かって指笛を鳴らしたりしている。もう17になる年だというのに、いつまでこんなことを続けるのだろう。
抱えていた教科書を廊下の出窓に置いて、乱れた髪を手で押さえる。静電気を起こす魔法だろうか、手に顔に髪の毛が張り付いて整えるどころではない。口角が下がって眉間に力が入るのが分かる。
「眉間のしわ…」
さっきジョージに言われたことを思い出して少し傷ついた。
愛想が良くないことは自覚しているけど、とっさの自己主張がちょっと苦手なだけ。
「ヘアゴム貸すわよ」
通りかかったアンジェリーナが手首から外したゴムを差し出してくれたので、ありがたく受け取って頭の一番高いところで1つに結んだ。
「ありがとう」と笑顔で伝える。
こうして助けてくれる友達はいるし、普通に話しかけてくれればゆっくりとはいえ、ちゃんと応えられるのに。あの双子は突然現れてイタズラするから、怒る以外のリアクションがとれないだけだ。
「それに、“今日も”って何よ…」
自分が標的じゃなければ私だってイタズラを笑って見ていることもある。それなのに、人が毎日怒ってるみたいな言い方ってひどい。
中心に寄った眉間を指で擦り、ため息を吐いて歩き出す。次は魔法薬学の授業だ。
あの2人に構われたせいで教室に入るのが少し遅れたけれど、幸いスネイプ先生はまだ来ていない。
席について授業の準備をしていると、首の辺りがぞくっとして体が震えた。髪を上げているから毛先が首に当たっているのだと納得して、ポニーテールの先を左右に振る。それで一度治まったはずのくすぐったさは、今度は上に下に移動して、しかも強さを増している。ある可能性に行きついて素早く後ろを振り返った。
「どうもレディー」
思った通り、羽ペンの先で私の首をくすぐっていたのはさっき見たばかりの顔だった。
「やめて。ジョージ」
「まーた怒ってる?」
ジョージは頬杖をつきながらニヤニヤしていて、当然だけど隣のフレッドも大体同じ顔をしている。
「当たり前でしょ。こんなことされて喜ぶの、あなた達のファンだけ」
しかも、何このアナログなイタズラ。イタズラとも言えないくだらないちょっかいで、らしくもない。
口に出したら後でもっと凝ったイタズラをされそうだから言わなかったけれど、何か考えたのは伝わったみたいだ。
「何か?」
「何でもない。もういいから」
これがフレッドでもジョージでもない他の男子だったら、私に気があるのかな?と思うだろう。友達が男子からこんなちょっかいを出されていたら、生暖かい目で見守らない手はない。だけど、この2人は例外だ。毎日飽きもせずに、誰かれ構わずイタズラを仕掛けて回っている2人だ。男子も女子も上級生も下級生も、果ては先生まで、分け隔てなく彼らの標的になる。そこに個人的な感情が関与しているとは誰も思っていないだろう。
「ねえ、ノート落としたよ」
隣に座った女の子の声で現実に引き戻される。差し出された鍵付きの馴染みのノートを見て、少しドキッとした。これは私だけの世界が広がる場所だ。肌身離さず持っているけど、中身を誰にも見られてはいけないもの。
なるべく自然にお礼を言って受け取って、袖で汚れを拭った。この学校は古いから、どこも何となく埃っぽいのだ。
何のとりえもない私の日常の大部分は、良く言えば平穏、悪く言えば変わり映えしないもので、たまに思い出したように双子の標的にされる以外は誰かの注目を集めることもない。
暖炉の音だけがぱちぱちと響くグリフィンドール寮の談話室で、鍵付きのノートを開く。寝る支度をみんなより早く済ませてから、ひとりきりで物語を書き進める夜のこの時間が好きだ。趣味で自分のために書いているだけだから、自分以外の人が読んで面白いと思うかは正直わからない。というのも、今までいくつか物語を書いたけれど、そのどれも結末と呼べるようなエンディングがないのだ。私の理想の世界で、日常が淡々と続いていく―それが私にとって一番楽しい展開だから。なりたい自分を投影した主人公は、明るくて誰にでも優しい、茶色い毛をしたウサギだ。最初は人間の設定で書き始めたけれど、自分では絶対に言えない素直な台詞を淀みなく言わせるにあたって、動物の世界を舞台にした方が何かと都合が良かったのだ。創作の世界でも素直になりきれない私って…。自嘲の笑いが鼻から漏れたのと同時に、座っているソファのすぐ隣が大きく沈んで手元が狂った。
「わぁ!」
「なるほど、物書きだったのか」
「ジョージ!」
急いでノートを閉じ後ろ手に隠すと、ある違和感に気づく。
「…1人なの?」
いつも一緒にいるはずのフレッドがいない。
「実はな、俺たち鎖で繋がれてる訳じゃないんだ。誰にも言ってないけど」
別々に行動している理由を言う気はないようだ。こちらも詮索するつもりはないので適当に相槌を打った。間一髪素早い動きでノートを隠せた自分に感心しつつ、隣に落ち着いてしまったジョージを眺める。早く寝室に戻らないのかな。
「ところで」とジョージが話し出す。
「すごく素直で雄弁なウサギだな。この世の正義を全て集めて固めたみたいにさ」
「見たの!?」
ジョージはすごく面白そうな顔をして頷く。一番見られてはいけない人に見られた。
「見開き1ページ分は読めた」
間一髪どころではなかった。私が気が付くより前からジョージはここにいたということか。変な独り言とか、あくびとか、していなかっただろうか。1人でいるジョージはただの男の子みたいに見えて、ノートの中身を見られたことよりそんなことが気になって顔に血が集まるのがわかる。ノートのことはもう、見られてしまった以上取り繕っても仕方ない。半ばライオンに身を差し出すウサギのような気持ちで口を開く。
「物語を書くのが趣味なの。笑えるでしょ」
「笑える話かは別として、なかなか読ませる文章だね」
「笑えるって言ったのは、私なんかが小説を書いていること」
「そのことならむしろ納得したよ。ミステリアスな雰囲気の謎が解けた」
笑うどころか納得されてしまったことに拍子抜けするが、引っかかる言葉を聞き返すタイミングは逃したくない。
「あの、ミステリアスって、私のことそんな風に思ってたの?」
ジョージは眉毛を上げて頷く。私はショックで軽く泣きそうになる。そんな、私はジョージのこと普通に…
「友達だと思ってたのに」
「なんだそりゃ。友達だろ」
「だって、よくわかんない奴だと思ってたってことでしょ」
「言っただろ。謎はさっき解けた」
ジョージは顎で私が背中に隠したノートを指した。でもその表情はいつもみたいに何かを企んでいる顔ではなかったから、私は心のままに口を開いた。
「これはね、私の世界なの」
「なんとなくわかった」
「だから、誰にも言わないで」
ジョージは返事をする代わりに私の背中をポンポンと2回叩いた。それに微笑みで返す。
ジョージとこんな風に落ち着いて話をしたのは初めてかもしれない。同じ寮の同級生、他愛もないお喋りをすることはあれど、ジョージはいつもフレッドと一緒だ。2人やリーが悪ノリし始めると会話は卓球のラリーのようなテンポになって、私は着いていくのを諦めてしまう。もともと外野の1人だ。私の声が途中から聞こえなくなることは、彼らにとって何の意味も為さないだろう。
けれども今夜、ジョージにとって私は外野ではないはずだ。言い切れないのが悲しいところだけど、こうして優しさを見せてくれる彼を体感したのは事実で、私もまた彼をイタズラコンビの片割れとしか見ていなかったことを反省する。
私たち、本当はもっと良い友達になれるのかも。
暖炉の薪がパキリと大きめの音を立てた。そろそろ最後の破片が燃え尽きそうだ。就寝時間も迫っている。
「今日は怒られずに済みそうだ」
同じように暖炉に目をやっていたジョージが言った。
「それだけど。人がいつも怒ってるみたいな言い方、やめてよ」
「あら、やっぱり怒られた」
ジョージの言う通りだ。私は自覚していないだけで、いつも怒っているのかもしれない。気恥ずかしさとおかしさで、笑いながらジョージの膝をはたいた。ジョージも肩を揺らしている。
なんとなく2人でクスクス笑い続けていると、談話室の入口にひょっこりと頭がのぞく。と思ったら、次の瞬間にはひょっこりと言うには無理がある大きな体が姿を現した。フレッドだ。
「何がそんなに楽しいんだ、おふたりさん」
笑うのをやめてジョージを伺い見る。ノートは背中に隠したままだから、フレッドからは見えていないはず。誰にも言わないでほしいと言った私の頼みを守ってくれるだろうか。
ジョージは私の目をちらりと見てから、こちらに歩み寄ってきたフレッドに上目遣いで答えた。
「このレディーにまた怒られてたとこだ」
「笑いながら怒り怒られ、か?そういうのは痴話喧嘩って言うんだ」
「黙っとけ」
ジョージはフレッドにノートのことをばらす気はないようだけど、うまくごまかしてくれたことで不本意なからかいを受けてしまった。申し訳ない気持ちと、小説のことを人に打ち明けた解放感が手伝ってジョージに加勢する。
「そうよ。これは健全な友情の成長なんだから」
フレッドは私の言葉を聞いて吹きだした後、「お前フラれてるぞ」とジョージをさらにからかった。助け舟を出したつもりでいたのに、上手くいかなかった。ジョージに謝ると、「いいよ、こいつはバカなんだ」と首を振る。
この日から、ノートの中だけにあった私の世界が、少しずつ現実に流れ出した。
(たぶん続く)
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