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4回忌

じいじ4年が過ぎたよ。忘れてなんかいない皆まだずっと寂しい。永遠にさみしい。


いつもは泣かないのに今日は泣けるよ。


何年経っても泣けるのはじいじの生前の行いの良さだから心配せずに、誇ってね。


何か変わったことはない?困ったことはない?生きていた頃にも何もしてあげられなかったし、今はもっと何も出来ないけど心配だよ。


私は成長出来てる?
じいじと別れたとき高校3年だった私ももう大学4回。また来年は新生活だよ。
見守って応援してね。


でもばあばは怖がりだから、ずっと守っててね。私はたまに見に来てね(笑)
例えば明日とか新学期とか。勿論私も頑張るから!


嘘か…頑張れてないね。


頑張れてたら来てね(笑)


おやすみ
いつもありがとう
大好きだよ。

命日

明日で私が大切な家族の一人を失って1年です。


受験が終わったら、車椅子を押して何処へ行こう。


受験にかまけて弱さを認めなかった私の未来像が夢に消えたのは当然の報いだったかもしれません。

私は何も出来なかった。話すことも、何かをしてやることも出来なかった。遅かった。


出来ることはあったのに、したいこともあったのに、何もしなかった。


受験なんて今年だって出来たのに。


戻れるなら去年の2週間前に。


無理をさせるのは可哀相だから。


でも出来るなら、手立てがまだあった日に。


暗くて怖くて入れなかったあの日の病院にはまだ祖父が生きて居たのに。


ぐだぐだで中途半端に集中もしないまま、受験を続行して、志望校に受かるとか、こんな状況に喜んでるかはわかりません。


ズミにどうなって欲しかったかも知りません。


苦しくて
悲しい


何も忘れたくないのに。忘れてしまう馬鹿な私のための私信でした。


ありがとう
ごめんなさい
ありがとう
ごめんなさい
ありがとう
ありがとう
ありがとう

人間なんてさ…

ただの水が入った袋なんだよ。


ほんと。


それが今日も破裂せずに生きてんの。


ほぼ“よしもとばななさん”の小説の引用だけど。
朔ちゃんが記憶戻ったシーンで言ってた。タイトル忘れちゃったけど。


ほんと奇跡奇跡の連続なんだょ生きるって。


わかってた。
人は死ぬんだ。


祖父母も両親も叔父叔母も兄貴も従兄弟も

私も。


けど誰もが経験した必ず起こり得る出来事

“人が死ぬって事”

は、とんでもなく痛い程に苦しく切なく寂しい。


小説の一節でハっとして“弱いものの脆さ”を考えた。


祖父母を大事にしようと思った。


けど後悔したくなくて、私の気持ちが伝わってたかはわからないけど、大事にしても大事にしても、愛しくなってもっともっとあれも出来るこれも出来るって考えてた。


今年は受験で忙しさにかまけながらも、受験が終わったら、何処に連れて行こうって、想像ばかりが膨らんで、受験が終わった時にはもう居ないなんて考えもしなかった。


去年の春、学校の窓から旦那さんの車椅子押してお花見してる老夫婦を見たんだょ。


これだって。


来年の春はおじいちゃんの車椅子を押しておばあちゃんと3人で来ようって。
こんな学校卒業したんだよって見てもらえるしね。


車椅子運ぶの大変だけど電車とバス乗り継いだら不可能じゃないって思ってた。


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