蝉達がやかましく泣き叫ぶ夏。
この世界にお前が未だ存在している理由。
それはオレが望んだから、なんて言ったら。
お前はどう言う反応をしてくれるのかな…。
『たわむれの夏』
「…〜〜〜っ」
“暑い”
有川家では、その言葉が禁句になっていた。
今年は例年を遙かに上回る猛暑で、八葉の面々までもが夏バテで各部屋に篭る程。
そんな八月のある昼時。
クーラーの壊れたリビングで、食事を済ませた敦盛がソファでぐったりしていた。
その隣には、更にぐったりと座るヒノエ。
「…あつもり…」
「…なんだ…」
額に濡れたハンカチを乗せている敦盛は、殆ど口を動かさないで返事をした。
「こんな…気温、有り得ないね…」
「ああ…。神子は“温暖化”だと言っていたが…これは、酷いな…」
苦しそうに額のハンカチを取ると、折り直してまた乗せる。
その度に長袖のシャツの袖元から汗ばんだ素肌が見えるのだ。
ヒノエの体温は上がる一方で、禁句を連呼したい衝動に駆られていく。
「おはよーございまーす!皆居るー?」
いきなり、バンッ!と音を立ててリビングの扉が盛大に開いた。
音のした方を首だけ動かして見れば、大きなビニール袋を抱えた望美と朔が立っている。
ヒノエと敦盛を発見した二人は、楽しげに…涼しげに、側までやって来た。
「あ、敦盛さん大丈夫ですか?長袖だと余計暑いですよね」
「…いや、心配は無用だ…」
禁句と知っていながらさらりと言うあたり、流石神子。
敦盛は額のハンカチをまた取り、望美に心配をかけまいと座りなおす。
「姫君達は…やけに涼しげだけど、どうかしたのかい?」
「ふふふー、それはね…。朔!」
「ええ」
アイコンタクトを取り合い、互いに持っていたビニール袋から中身を取り出す神子二人。
「ジャッジャジャーン!これを買ってきたからです!」
そう言って、二人が差し出したものは
甚平と、…女物の浴衣。
「こんなクソ暑いのに敦盛さんが長袖着るのは見てて暑いです。だから、見た目も涼しい長袖って事で浴衣を買ってきたんです!」
「敦盛殿に似合いの浴衣がなかなか見つからなくて、遅くなってしまったの」
「そうそう。で、折角だしヒノエ君にも浴衣って思ったんだけどね、ヒノエ君が和服で足出さないのって違和感あるから甚平にしてみたの」
「そうしてあれこれ悩んでいたら、結局全員分買ってしまったのだけれどね」
楽しげに買い物の様子を話す二人に圧倒されつつ、敦盛はやっとの事で聞く。
高々と掲げられた女物の浴衣を指差して。
「…それを、…私が着るのか…?」
会話を止め、目を見合わせてから敦盛に向き直ると神子二人は笑顔で言った。
「「もちろん」」
「…」
「…あ、じゃあ私達これ全員に渡してきますね」
「はい、ヒノエ殿の分と、敦盛殿の分」
それじゃ、と言って神子たちはパタパタとリビングを後にする。
「あ、そうだ。二人共、今日のお祭りはちゃんとそれ着て来て下さいね」
ドアを過ぎる直前思い出したようにそう告げると、有川邸内の八葉を探しに出て行った。
後に残ったのは、ヒノエと敦盛…そして手渡された甚平と浴衣。
「…ん?祭り?」
暫く呆然としていたヒノエが、不思議そうに呟いた。
「…この近くで、今夜夏祭りがあるそうだ…」
「なるほどね…。それでこれ、か」
ふう、と溜息をつけば、隣から絶望的な声が聞こえた。
「…着なければ、ならないのか…」
「いいんじゃない?お前なら絶対似合うよ、麗しい姫君」
「…あまり…嬉しくない誉め言葉だ…」
はあ…と溜め息を溢す敦盛だが、暫くの間を置いて、ふとヒノエを見上げて呟いた。
「……懐かしいな…」
「は?何が?」
ヒノエが首を傾げて先を促す。
が、敦盛はしまった…と口を抑えて俯く。
「ねえ、何が?」
半ば無理矢理に、敦盛の口を抑える手をとって引き寄せるヒノエ。
有無を言わさぬ眼で見つめれば、敦盛は潔く抵抗をやめた。
「…昔…ヒノエに、着せられた…姫装束…」
「ああ、あれ」
懐かしい思い出。
幼少時…熊野神社の蔵にあった綺麗な姫装束を失敬して、敦盛に着せた。
賭けに勝った方の言う事を聞く、なんてませた遊びをしていた頃だ。
その賭けの内容が「敦盛に女装が似合うか似合わないか」だったのだ。
武門の子である事に誇りを持っている敦盛としては、不満たっぷりの賭け事だった。
もちろん、敦盛は「似合わない」と言い張り、負けた。
当然、ヒノエは「似合う」と言い張って、勝った。
勝ったヒノエが敦盛に命じたのは、「今日一日その格好でオレと遊べ」…―――
若気の至りだね、と苦笑するヒノエ。
今も姫君よばわりしているだろう、と敦盛が反発すれば楽し気に笑う唇。
それは何かを企んでいる時の、悪戯な笑み。
「もう一回、賭けてみる?」
浴衣に積まれた髪留めを、す…と敦盛の髪に挿す。
「な、…何にだ…」
ビク、と警戒心を目いっぱい込めて見つめれば…。
「オレの可愛い姫君に、この浴衣が似合うか否か」
幼少の時分の様に、否と言い切ることは出来なかった。
にこりと微笑むヒノエの顔が恨めしい。
女性の召し物が似合うなどと、認めたくなどない。
しかし、この賭けには勝てる気がしないのだ。
ヒノエがそうして笑うのは、勝つ自信がある時だけ。
負けると解っている賭けに乗らねばならない。
暑い夏の、君だけが楽しいこのたわむれ。
―――…神子の望んだ通り、敦盛は一日浴衣で過ごす事になったと言う…。
06*10*06