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結局


私が間違ってるって言いたいんでしょ?

あぁもう、無性に死にたくなる。

なんでこんな思いをしてまで生きていなきゃいけないの。
跡形もなく消えてしまいたい。

ごはん




中学生になってからの事を語る前に、話しておかなくてはならないことがある。


朝起きたら母親がキッチンにいて、朝食は既に出来ていて、『早く食べなさい』と言われる、ホームドラマなんかではよくみるシーン。
わたしはこれを、ドラマの中だけの世界だと思っていた。だって私達に『朝食』なんてものは用意されていなかったから。


小学生になって直ぐに、わたしは姉に『朝食は自分で作るもの』と教えられ、卵の焼き方を習った。…我が家では、それが『当たり前』だったのだ。現にふたりの姉は、ずっとそうしてきていた。
幼稚園の時はどうしていたのかよく覚えていないけれど(その前は殆ど祖父母宅にいたし)、トースターの使い方は知っていたし、苺ジャムを好んでいた記憶があるので、その頃は自分で焼いたりジャムを塗ったりして、食パンで済ませていたんじゃないかと思う。


父の朝食の準備で起きてきた母がキッチンを使う前に、自分の朝食の準備を済ませなければ厭事を言われるので、必然的に早く起きなければならなくて、朝は大変だった。

はじめの内は姉と一緒に拙い卵焼きを作って、それをおかずにごはんを食べていたけれど、結局は子どもだから朝早く起きられなかったり、毎日同じメニューになってしまう飽きで、朝食を摂らずに学校に行くようなるまで、そう時間はかからなかった。

そんなわたしを見ていた母は、わたしが高学年になる頃には、蒼子はごはんを食べない=余分に炊かなくて良いと判断したらしく、ある朝気まぐれに朝食を作って食べようとしていたら
『お弁当の分のごはんが無くなるから食べないでくれる?あんたの分まで余分には炊いてないんだけど』とキレられてしまった。

おかしいな、弟には毎朝ちゃんと菓子パンが用意されているのに、なんでわたしは自分で作らなきゃいけなくて、その上食べたら怒られるんだろう。

パンもなくて、ごはんを食べたら怒られて、別の朝、仕方なく買い置きしてあったバナナを食べたら『卓に買ってるんだから勝手に食べないで』と又怒られた。唯一食べることを許されたのは、前日の夜の残りの冷やごはん。
でもそれも毎日あるわけじゃないし、ちょっと硬くなっちゃってるし。お茶漬けにでもしないと美味しくなかったから、朝何か食べられるとしたら『お茶漬け』だった。

わたしの『朝ごはん』はこんな感じで、有ったり無かったり。
途中で作らなくなってしまったわたしが悪いんだろうか、少なくとも母にとってはそうなんだろう。


だから小学生〜中学生時代のわたしは、だいたい朝からお腹を空かせていた。給食の時間が待ち遠しかったなぁ、中学に上がってからは、お弁当の時間。早弁なんて発想はなかったあたり、我ながら真面目だなと思う。


これだけ言えば分かると思うが、わたしの身売りでの儲けはその大半が飲食代に注ぎ込まれた。だってわたしの朝ごはんはないから、材料もなくて、家に有るものを食べたら怒られるから、自分で買って食べるしかなかったんです。

悪いことをしていると言う意識は殆どなかった。


わたしにはこれが、この世界が当たり前でした。これが『ネグレクト』と言う一種の虐待であることを知ったのは、大人になってからです。
母と同じことはしたくないし、娘にはわたしみたいにはなって欲しくないので、娘にはちゃんと『朝ごはん』用意してます。

小学生



その頃になるとわたしは、嘘を吐く癖が出来てしまっていた。

今思えば些細なことばかりだったけれど、時に母に叱られそうになった際に、保身の為の出任せも口にするようになった。
所詮はこどもの浅知恵だから、簡単に看破されては余計に叱られる羽目になっていたけれど。

でも嘘の大半は、学校であったことや、友達から聞いたとして、話しを捏造したり、面白可笑しく盛ったりと言った、作り話に使っていた。それも日常的に。

例えそれが嘘で作られたものであっても、少しでも良い、母にわたしの話しを聞いて欲しかった。弟の育児に追われる母には、『あとで』『今忙しいから』と、スルーされることの方が多かったけれど。
『あとで』の機会を伺っていた時期もあったが、『うるさい』と一蹴されてしまうこともあって。わたしは段々、母と最低限の言葉しか交わさなくなった。
弟に絵本を読んであげる時間はあるのに、わたしの話しを聞く時間はないんだ…と子供心に悲しくなったのを覚えている。


そして今、『ママ、今日ね、学校でね…』と嬉しそうに語りかけてくる娘に、どう接したら良いのか解らない時がある。
そればかりか、母と同じように『忙しいから』と邪険にしてしまうことすらある。
時間と心に余裕ができると、昔、自分が感じた寂しさを娘にも味わわせてしまったんじゃないだろうかと自己嫌悪に陥るが、対応が解らなくて、どうにもならない。優しいママでありたい。でもわたしはその手本を知らない。

娘が『はぁーい、…じゃあママ、終わったら聞いてくれる?』と諦めずに尋ねてくれることが、本当に救いだ。





父は、家庭を省みない人だった。男は働いて家族を養うのが仕事、家の中のことは女の仕事、と一本筋が通ってはいるが、昨今では通用しない古い考えを持っている。
帰宅も遅く、わたし達姉妹とはあまり接点がなかった。唯一、弟にだけは休日の時間を割いて、一緒に遊んだり出掛けたりしていたが。

殆ど家にいない。それに、父は女であるわたしのことは要らなかったのが解っていたから。だからか、父に関しては構って欲しいだとか、寂しいだとか考えたことはないように思う。

ただそれは自覚がなかっただけで、わたしはどこかで『父親』を求めていたのかも知れない。


中学校に上がるとわたしは、親子程に歳の離れた、素性も知らぬ男性を相手に、自分の身体を売るようになった。

幼少期




幼少期、わたしは家庭の事情でその大半を父方の祖父母宅で過ごした。祖父母は優しく、時に厳しく、今思えば『親』よりもよほど親らしく、わたしに接してくれていたように思う。

当時弟はまだ生まれていなくて、二人の姉は小学生だった。学校があるから祖父母宅に連泊は出来ない二人は、実家で伯母の助けを借りて過ごしていた。
わたしは幼稚園に通える年齢だったけれど、諸々の理由でそれが叶わなかったから、祖父母宅に預けられていたのだ。

祖父母宅での暮らしに不満はなかったけれど、母にたまにしか会えないのだけは寂しかった。



『家庭の事情』が解決して、また家族揃って過ごせるようになったのは、わたしが幼稚園の年長さんになる年だった。
漸く幼稚園に入れたこの年、両親待望の男の子が生まれた。生まれたばかりの赤ちゃんは可愛くて、わたしも嬉しかった。みんなが弟の誕生を喜び

…そしてわたしは、その年で自分が望まれて生まれたわけではないことを知った。


これだけでは語弊がある。確かにわたしは両親の間に生を受けて、両親の希望で生まれてきた。

『次は男の子でありますように』と言う、両親の希望。
わたしが生まれた時に周囲に上がったのは『また女の子か』『男の子が良かった』と言う落胆の声だったことは想像に難くない。

『父さんたら、入院中毎日卓に会いに来て呆れたわ。面会時間過ぎてても来るから看護士さんに怒られて、私恥ずかしかったんだから。…蒼子が生まれた時は、入院中一度もお見舞いに来なかったのに』

生まれたばかりの弟の顔を見に来た親戚に、そんな笑い話をしていたおかあさん。

『何でウチはこんなに女ばかりなんだ』と苛立っていたおとうさん。

わたしが女に生まれたのはわたしのせいじゃないけれど、女に生まれてすみませんでした。

お陰でわたしは今も、わたしの存在意義がわかりません。

疑問と違和感



「ママ大好き!」
そう言って満面の笑みで抱き着いてくる娘に、「ママも大好きだよ」と抱きしめ返す瞬間。

とても幸せで、娘が愛しくて、とても嬉しい。わたしの大事な娘。毎日のスキンシップは欠かさない。
仲の良い親子は、傍目にも微笑ましい光景だろうな、と思う。

だけど、そんな自分を冷めた目で見ているわたし自身に気付いた。いつのことだったかは、もう忘れてしまったけれど。
わたしはとても幸せなのに、心が二分されたかのように一線引いて、遠くから他人事のようにその光景を見てるような気分。


娘は明るく素直で、優しい性格の子に育ったと思う。先生からの評価も「友達を思いやれる優しい子」だから、親の贔屓目ではないだろう。
外見はわたしの小さい頃によく似ているけど、性格は全然似ていない。どうやら人の良い主人に似たようだ。
わたしより年上の主人は子煩悩で、娘を大変可愛がってくれている。仲睦まじぐ遊んでいる二人を見ていると、細やかではあるけれど「幸せ」を実感する。

なのに、その光景もやはり、まるで自分とは関係ないことのように一線引いて見てしまっているわたしに気付いて、愕然とする。


その影のような部分で覚えるのは、寂しさと嫉妬。あろうことに、わたしは自分の娘に嫉妬していたのだ。

女としての感情ではなく、まだ幼い日に、母を独り占めする弟に抱いた感情によく似ている。


『おかあさんの大好きな卓くん』

待望の男の子を猫可愛がりするおかあさん、わたしにはそんな風に言ってくれたこと、なかったじゃない。

「ママ大好き!」

毎日のように甘えてくれる娘、わたしはおかあさんにそんなこと言って、抱き着いた記憶なんてないよ。


幼い日のわたしの記憶と、幼い娘の姿が重ならない。それがわたしの中に違和感を生んだ。

両親に愛されていると疑い無く甘える娘を、冷めた目で見ているのは、幼い頃のわたしだと気付いてしまった。


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