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ミニマムなせかい

まわりにたくさんロールモデルになる人たちがいる
これはありか?あれはなしか?っていちいち先例を洗ってた人たちじゃない。作ってきたひと

この人だったらどうするか、あの人だったらどうするか‥
場面ごとに降臨してくるひとは違う
自分の人生 自分の選択 でもその中には避けがたく自分以外の人たちが入り込んでいる
その包含は素敵なことだと思う
ひとりの自分が何にでもなれる可能性を秘めている

煩悩を抱え込んでいるとき、ぽんぽんと浮かぶ顔は全然違うコミュニティの人たちだけど みんな出会ったらすごく仲のいい友達になりあえるんだと思う そういう共通の雰囲気を携えた人たち 面白くて真っ直ぐで優しくてしなやかで強い人たち

頻繁には会えないけれども、それまでに自分のしごとに注力したいと思う。話すネタも誇れる自信もできるようにね。

Kiss X5

夏にヨーロッパ6都市16日の旅に行きます。ロンドン、パリ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマを訪れます。すごい景色が見られると思うと楽しみです。自由旅行なので航空券、鉄道、宿を予約して、友達とプランを立てています。

せっかくのヨーロッパをきれいに写すため、一眼レフを買いました。Canon Kiss X5です。機能がすごい。いろいろ触ってみて練習してます。転送スピードの速いSDを買ったり、100均のプラスチックケースと乾燥剤で収納ボックスを作ったりしてます。趣味と呼べるものにしたいと思っています。

Kiss X5ってキスかける5みたいでかわいい。そんな意味もかかってるんだろうか。海外では違う名前になっている。

心がどうとか

異質な集団の中でなにも知らない正しくないマイノリティになったとき
すれた気持ちになるのよねん

心だけは綺麗でいなくてどうする。

Oasisを聴きます。そういうとき。
彼らはいつの時代にあっても普遍のものを聴かせてくれる気がする。理想の像を結んでくれる気がする。夢とか憧れに真っ直ぐ連れていってくれる。

誰のために生きたいんだという。
相手を軽んじる人のために無理な努力をするのか?私は相手を尊重する姿勢の人のために生きたい。

違う人たちと接して、今までのコミュニティでうまくいった議論が適用されないとき
自分とは違う人たちに認められてもらいたいと思うしね、自分が間違ってるのか?そっちに比重をかけて訂正した方がいいのか?という気持ちになる。特に自分は流されやすいから。それと間違ってるものは直したいと思うから。

しかしどれが正しいとかはないんだろうな。異質なものに振り回されてる方が滑稽って見方もある。自分の思うことを貫き通したらいつか花開くという思いもある。一部で評価されないからといって動揺しないこと。違う世界のこと。好きなものに集中してもいいのかもしれない。思いきりよく捨象するのも能力。私は私の大切な人たちに向けて生きたい。

根本的なこと

動かないものに自分から働きかけないままなら、手に入らないんじゃないか。

義務じゃないことを進んでやる慣習を守る模範的な学生にはなれていない。ならなければならないだろうか
。義務だろうか。こんな人もいていいだろうか。

自分のことしかしてないままで、周囲をよりよくなんてできないんじゃないか。そうすると存在意義はどこに求められるんだろうか。いろんなレベルがあるけれども自分の生活だけ全うしていればいいんだろうか。

こういう根本的なことで揺れてる。染み付いた性分について考えている。
これまで無視していたこういったことがこれから先を大きく決める要点になるんだろうと思う。

どこで自分は変わるんだろうか。誰も気にかけないところで体面をとりつくろうんだろうか。
何かの契機に突然スイッチできるのか。それともそんなのに頼ろうとしたら一生ずるずる引きずるのか。

思いきりのよさ、未来を作っていく力

面倒とか責任を持てないと思っている段階では全くだめなのかな。リスクを背負ってまでという思いが薄い。

一生こうしていればいいとも思う。自虐して、誰も気にしないことにこだわりをかけて、ひょうひょうとひとりたたずんでいそうだと思う。

素敵な空間を作り出す人。乗っかっているだけの人。

よくも悪くも、言うことが何もない。

それは悲しいことだ゜θ゜

in this sweet surrender

エアロスミスのアルマゲドン主題歌「I don't want to miss a thing」を映画とシンクロさせた動画を見て何度でも泣ける。ラストの石油堀りの父親と娘の高速切り替えと幼い頃の娘の姿の走馬灯、それがハイライト、それが全て。二本足で立つ人間の美しさが素晴らしくて。だいたいPVでもインディー感あふれる場面切り繋ぎの音楽つきダイジェスト形式は好き。自分も重要な局面ではこんな風な景色を見るのだろうか ‥
ある人にこの話をしたら、映画の娘がエアロスミスのボーカルの実の娘だと教えてもらった。映画の石油堀りの父親とボーカルの方の父親としての思いが。シンクロ!!こうも映画と現実がハマりすぎ。壮大。

歌詞に出てくるin this sweet surrenderというのは、この人生でと訳されていて気になっていたので、調べた。
surrenderは降伏。だから悪い意味かと思ってたんだけれども。愛などにあるがままに流されている様子。そしてsweet、それを楽しんでいる様子。
信じるものに流されるままに身を任せて楽しんでいる様子。それが人生とな。とても素敵な言葉だと思う。
sweet successとかsweet sacrificeとか頭文字ssばっかだね。前者は甘い蜜を吸うような素晴らしい成功。後者はエヴァネッセンスの曲名で甘い犠牲?とか思ってたけど、なんていうか愛がこもってて、悪く言うと自己犠牲だけどよく言うと献身的なのかなーみたいな
そんな根拠のない独自の勝手な解釈をして楽しんでいる。

あと中島みゆきさんの「ヘッドライト・テールライト」を聴いたりしている。あの全てを受けとめる覚悟と許しを湛えた微笑みで歌っているのを見ると、それがこの世の真理だと思えてくる。日本人には本当に響くんだろうな。テレビではあるお年をとられたあるミュージシャンが人生の最後に聴きたい歌というテーマでこれをセレクトしていた。

最近は旅行について考えている。一人でヨーロッパに行きたいなと考えている。しっかり調べて勉強したい。不安を解消するのも行ってこいと背中を押すのも周到な準備でしかない。いつも面倒なことから逃げていた。チキンとか言ってる場合じゃねーぞ。乗っかってばっかのフリーライダーから脱したい、自分でやりとげたい、価値観が変わるような経験をしたい。そんな思いを今回の旅には込めている、託している。

今週はずいぶん暇なんだ。来週は大好きな先輩に会って、オークランド仲間の留学前の送別会をして、研究所見学が待っている。楽しみ。

あとは体育、ゼミ、バイト、免許更新。
いろんな人とおしゃべりしたい。みんな大好きだから。

そう、卒論構想発表を先週終えた。今回はシンガポールにおける一党優位について。資源のない多民族の都市国家という構造から、一党優位体制で外資・外国人労働者受け入れなどの政策を進めて経済発展を遂げた同国だが、外国人労働者数増加に伴う雇用などの問題についての国民の不満があらわとなり、2011年選挙で与党は数議席を与党に明け渡す結果となった。これに対する与党の政策や、市民社会の動きから、今後同国における国民生活への厳しい管理の緩和は起こりうるのか?というテーマ。

これは二つの意味で自分にとって意味がある。
第一に去年独論で扱ったテーマが数年前の卒論で二つも(ラテンアメリカのゼミと開発人類学のゼミから)出ていて、オリジナリティを出すのが難しいかもしれないこと。去年調べていて実際に現地に行けなかったり、包括に扱えなかったりして行き詰まったこと。去年調べてある程度テーマに関する知識を得て満足したこと。howを扱うテーマは議論が外向きで際限がないこと。今年はhowよりwhyがやりたいと思った。ゼミ自体アジアの国際関係・政治(経済)。原因分析をして、意味付けをして、他の概念と合わせて‥できるだけゼミで認
めれるレベルのアカデミックな論文にしたい。
第二に、外国の政治分野であること。私はもともと高校の時に国際という自分にとってのキーワードを冠する学科を探していたけれども、なかなか合ったレベルで見つからなかった。国際の何をやるのか?って時に、人々がよりよく生活できるための国家および国際機関の役割にたぶん一番関心があって、私立三つのうちリベラルアーツ以外は政治学科を選んだ。
それからボケーっとしながら4年くらい経って、ここで今、政治についてテーマを選んで取り組む意味。はとても大きい。
やりたかったことを、やれるような形でテーマを設定できたことが嬉しい。みんなからいろんな指摘やアドバイスをもらったので、反映させて試行錯誤しながらしっかりとしたものに仕上げていきたい。興味をもって楽しく自発的に取り組みたい。少なくとも嫌々だったり悪い意味で悩むことはしたくない。がんばる。
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