精神の病んだ人を、マニュアルにより分析・分類し、適当な処置・処方箋を与えれば治癒するであろうか。
それは、外科内科と同じように解決できるだろうか。


自然科学は、WhyをHowに変化させることで発展を遂げてきた。
つまり、「どうして人間は存在するか」などの、思弁ではとうてい解決のできない問いに科学的な解答を与えた。(宗教色・思想色・主観性の排除)

そして、精神医学もこれに組み込まれることで権威が与えられた。


著者は、精神医学に携わる者としてこの傾向を危惧しながら、狂気を再発見しようとする。

そして、人間の深層に常に潜み、千差万別である狂気を見つけ出す。

それは、狂気(人間)は普遍的な尺度で測れないということだ。つまり客観的狂気の存在不可能性を示す。

この主観的なWhyに客観的なHowが通用するのか。Howが通用する領域は物理的・物質的領域に限られる。

狂気はHowでは説明できない。
その存在因はWhyにあり、狂気が降臨したことこそに本質がある。

そして、著者は「このクライエントは少なくとも心的現実としてはそう思っているのだ」と言う。

「狂」は神と同じく、存在を信じる人には存在しその逆も然りである。

この個別的なWhyと真摯に付き合うことで、精神医学に拘束され閉じ込められた「狂」を解放する。




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