19XX年六月、一人の少年の名前が日本中に知れ渡った
「名前ねえ、」
紀州尚は手元の雑誌の先をいじりながら 元恋人が気に入っていたよ、と懐かしそうに口元を緩めた。
紀州直はゲイだった。
幼い頃から女性よりも男性に興味を持ち、それを誰に相談するわけでもなく善良な学生に成り済まし、やがて男子高校に進学した。男子校に進学することが彼の唯一の救いでもあり、憧れでもあった。
芽が出て、膨らんで、花が咲いて。彼は顔が綺麗な方だったのですぐに恋人という名の理解者も現れた。
「よだれが出てきそうな名前だよね」
「ああ、名字な」
「名前もだよ。直って純なイメージじゃん?どこから汚してやろうか考えただけで堪らなくなる」
「あっは 変態」
嘗てここまで満ち足りた思いをしたことはあっただろうか。満点を取って優越感に浸るよりも、部活の大会で優勝したことよりも、身も心も汚されることが彼には最高に生きている実感が湧いた。
しかし堕ちる。花が咲いたら枯れちゃった、ーーその歌には続きがあった
6月XX日、紫陽花が露を乗せて踊る様が印象的な日だった。 元恋人、谷嶋明史の家族構成は父と谷嶋の二人だけだった。
父は世間では気立ての良い優しい人間を演じていたが、家に帰れば暴力的で酒に溺れる典型的な二面性を持った脆い男だった。
その日に何があったのか、私の口からはとても言えない。機密事項だからという意味もある。しかしとんでもなく醜態な事件があったのは事実だ。そして、先ほど言ったようにその男を含めた中年男性三人が殺されている ーー紀州直の手によって
谷嶋はそれをただ見ていた。そして事後、怯えるわけでも感謝するわけでもなく、ただ警察に行こうと涙した。
「今思えばとんでもないよな。正義感ばっか振り回してさ、きっと無駄に頭おかしいんだよ俺は」
新聞記者は何も言わず、ただナオを見つめた。
「……両親は?」
「縁が切れた。今は生粋のニートだよ」
「…そうか、」
「犯罪者って知ってて社会に溶け込ませてくれる奴なんかいねえって。で、さ」
それまで笑っていた目が唐突に終わりを告げた。
「あんたは誰だ?」
ぎらついている目が閃光を放ち、喉元に食らいつこうとする
「ライターの割には随分と上品な物聞きだ。本物のライターはゴミを見る目で俺を見るよ」
それにしてもライターは肝が座っている。怯えた様子は微塵も見せないし、目を離すこともない。ナオは苛立ちを覚え口を開こうとすれば、ライターは立ち上がり背を向けたが最後ゆっくりと歩き出した。
「おいてめえ、」
「お見舞い品はそこに置いておくよ、…ナオ」
ごつり、ごつりと鈍い音が遠ざかっていく
点滴の液が揺れる。そのまま自身も立ち上がろうとするが足が動かないことを思い出し、そのまま机に伏せた。
「…サングラスにマスクしてちゃ解るかよ、チクショウ…」
お見舞い品、と言った黒いイスの上に乗った白い袋。中身は真っ赤に染まった糖の固まりだった。ナオはそれをすかさず口に放り込む。田舎でしか売っていない木苺の飴だった
窓の外には水溜まりで遊ぶ子供達がはしゃいでいた。昨日は雨なんて降っていたっけ。メイシは暫く子供達を見つめ、三階の窓をちらりと見やる
薄暗いと思った部屋には太陽が覗き込んでいるらしく、赤くどこか懐かしい光が窓ガラスに反射していた
息を引き取ったのはその数日後だった。
塩辛い飴だったよ、と丁寧に書かれたメモとごめんなさいとメモと比べると随分汚く書かれた付箋を残して、彼は地球から姿を消した。